海上自衛隊では、艦艇の一般公開のほかに、明治40年(1907年)に建築され、今でも呉統監部第一庁舎としている建物の公開も日曜日に行っています。2月15日(日)、私はそれに参加しようと思いましたが、時間があるので、先に「歴史の見える丘公園」に先に行きました。
「歴史の見える丘公園」からは、IHIの造船所が見えます。
左手の上屋が戦艦大和を作ったドックの上にあったものだそうです。ドック自体は埋められてしまったようです。上屋の鉄骨が当時のものだそうです。
噫戦艦大和塔が有ります。
蝋燭のように立っているのが、戦艦大和と戦艦長門の主砲の徹甲弾だそうです。どちらもこの呉の地で製造されました。
向かって左が戦艦長門の主砲の41cm徹甲弾です。
向かって右が戦艦大和の主砲の46cm徹甲弾です。当時は世界一だったそうです。
旧海軍工廠礎石記念塔も有ります。
銘板のついているレンガは、旧海軍呉鎮守府、開庁当時の庁舎の建材だそうです。両側の石は二重橋のものだそうです。
時間になり、呉地方統監部第一庁舎の見学が始まりました。トップの写真です。写真の方が、とても面白く、名解説をしてくれます(以上で解説を終わりますといった瞬間に拍手がおこるほど、すばらしい解説です)。袖にいっぱい線が入っていましたので、かなり階級の上の方のようです。
こちらが山側入口です。
地下1Fも採光できるようにと窓が造られ、少し浮いた形になっているのだそうです。
玄関ホールはシンプルです。
質素ですが、美しいです。
海側からの眺めです。
両袖の海側に出た部分は、後から増築されたものだそうです。レンガ材の規格が違うので、繋ぐのに苦労したとのお話が有りました。
こちらが海側入口です。海軍ですので、海から来ることも多く、このように呼称します。
その入口に向かう大階段が有ります。
明治天皇が海からいらっしゃるとのことで、この大階段を整備したそうです。お迎えに皆が並んだそうですが、明治天皇は馬で横にある坂道を登られ、この階段は使用されなかったそうです。
初代の建物は明治22年(1989年)に完成したそうです。しかし、明治38年(1905年)の芸予地震で半壊したそうです。地震で壊れるようなら、砲弾に耐えれないと考えられ、新たに造られたそうです。完成が明治40年(1907年)です。なお、レンガはイギリス輸入のものではなく、近郊で造られたもののようです。地震の被害に遭った前庁舎も残され、第二庁舎として使用されていたそうです。昭和56年(1981年)にこの初代庁舎は取り壊されたそうです。現存している、一番古い庁舎は下の写真の建物だそうです。
最後に正面からの写真です。
屋根の部分のドームは、戦争で破壊されたそうですが、平成11年(1999年)に復元されたそうです。
正面にある松は形が錨になっているそうです。上の部分には元々、錨の丸い部分があったと言われているそうです。英連邦軍(米軍ではない)が庁舎を使用した際、窓からの景色の妨げになるとから、切られたそうです。
今回の呉地方統監部第一庁舎に関するものは、ほとんどがトップの写真の方に解説していただいたものです。ありがとうございました。