10月14日(土)、川端ぜんさいを食べた後、私は地下鉄で、福岡城址に向かいました。お濠に沿って進みます。写真の奥で、アオサギが佇んでいます。
下之橋御門が有りました。
1805年(文化2年)に建てられたものだそうです。しかし、明治時代に上層部を失い、長い間一層だったそうです。2000年(平成12年)に不審火で被災したことから、2008年(平成20年)に今の二層櫓門の姿に復元されたそうです。
そして、潮見櫓です。
福岡城には50ちかくの櫓が有ったそうです。大正初期に黒田別邸に移築され、1956年(昭和31年)に再移築されたものです。しかし、1991年(平成3年)の調査の結果、潮見櫓では無く、別の城内に有った櫓ではないかと考えられているそうです。
黒田如水公隠居屋敷跡が有りました。
黒田如水公は、徳川家康に代わり、天下を手中にしようと考えていた人物と今は評価されているようです。
旧母里太兵衛亭長屋門が有り、名島門が有りました。
名島門は1587年(天正15年)に小早川隆景が築いた名島城の脇門だったそうです。持ち主を変え、時を経て、この地に移設されたものだそうです。
いよいよ福岡城址に入ります。
天守台の石垣がすごいです。トップの写真です。
天守台の上からの眺めです。
実は、今でも福岡城に天守台(基礎の石垣)は有りますが、天守閣があったかどうかは分かっていないそうです。1646年(正保3年)の絵図には天守閣が無いそうです。黒田官兵衛、長政親子が徳川幕府に遠慮し、造らなかったとの説があるようです。しかし、近年、その天守閣の存在をうかがわせる文書が発見されたことから、天守閣は有ったが、数十年で取り壊されたのではないかとの説が生まれたそうです。今だ、天守閣の存在は分からないようです。
そして、南に下り、多門櫓です。江戸時代からずっとこの位置にある唯一の櫓だそうです。
中を見学することができました。下の写真のように部屋となっています。
16の部屋があるそうです。
瓦も展示されていました。