しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

水郷柳川に行ってみました その1 川下り乗船場から北原白秋記念館まで歩きました

2019-01-30 21:21:42 | Weblog

 昨年の12月24日(月・祝)、私は久留米市のホテルを出て、西鉄久留米駅から電車に乗り、西鉄柳川駅を出ました。福岡県柳川市の観光をするためです。

 西鉄柳川駅を出て、最初に向かったのは川下りの乗船場です。

 

 朝、8時くらいだったので、まだ営業していません。船がたくさん繋留されていました。

 

 

 そこから歩いて観光することとしました。水郷と呼ぶだけあり、水路が素敵な空間になっています。

 


 柳川古文書館が有りました。

 

 「立花宗茂と誾千代を大河ドラマに」と書かれた幟が立てられています。

 

 申し訳ないのですが、私はこのお二方について、知りませんでした。立花宗茂は、初代の柳川藩主です。高橋宗茂として元服し、立花道雪の一人娘の誾千代と結婚し、立花家に婿養子として入りました。誾千代はなんと女性でありながら、1575年(天正3年)、立花城主として7歳で家督を継いだそうです。女性でしたが、かなりの武人だったようです。1581年(天正9年)に13歳で宗茂(15歳)で結婚しています。
 立花宗茂は豊臣秀吉の配下となり、手柄を立てます。豊臣秀吉に「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と評されたそうです。そして、柳川の地を豊臣秀吉から与えられ、初代藩主になったのだそうです。
 関ヶ原の合戦では、立花宗茂は西軍に付き、敗れます。しかし、陸奥棚倉藩主で大名に復活し、その後、再び柳川藩主となります。旧領地に復帰した唯一の大名だそうです。


 柳川城堀水門が有りました。

 

 「水の城」と言われた柳川城に二ツ川から水の引く3つの水門のひとつだそうです。柳川城の要となる水門だったそうです。


 アサヒみそ・しょうゆさんが有りました。

 

 さらに鶴味噌さんが有りました。

 

 そして、3連のレンガ造りの倉庫が堀に映えるところが有りました。トップの写真の並倉です。明治後期に建築され、鶴味噌さんの麹室として使用されていたそうです。


 歩車分離式の信号で、手押し式なのを初めて見ました。

 


 柳川城は取り壊され、一部が残っているだけです。天守閣の石垣だけです。

 

 


 旧戸島家住宅を拝見しました。

 

 福岡県の文化財です。

 

 

 柳川藩士だった吉田兼儀の隠居後の住処として建築されたそうです。2階建の茅葺の住宅です。

 「日本の古い住宅には、必ず「陰と陽」があるな。」と私は感じています。

 

 

 

 庭も素敵でした。


 下の写真は何と漁港です。

 

 ちゃんと防潮堤があります。沖端漁港です。


 北原白秋記念館に近づくと、素敵な堀の景色が有りました。

 

 堀沿いの魚屋さんで、見つけました。「干しワラスボ」です。

 

 堅いので、包丁の背で叩いてから、焼いて食べるのだそうです。エイリアンのような頭は食べないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の所属する町内会では、今年初めて、子供会の行事として、スノーキャンドルと花火をしました

2019-01-28 20:05:14 | Weblog

 私の所属する町内会は、高齢化が著しい町内会でした。なので、私が51歳の時から9年に渡り、町内会長を勤めています。3年前、そんな町内会に隣接した土地に新たな開発行為が行われ、49世帯が引っ越してきました。町内会の総会でこの区域も当町内会に所属することを決定しました。若い世代が、家を建て、引っ越してきました。当然、子供たちも多くいます。そこで、2年前から7年ぶりに子供会を復活させました。最初は、町内会行事としていた「納涼花火の集い」を子供会行事とし、新たに「夏休みラジオ体操」を復活させました。

 今年、冬にも子供会の行事をということで、「スノーキャンドルを造り、花火をしよう」を企画しました。場所は近くの公園で、1月19日(土)16時から開催しました。

 スノーキャンドルは、最も簡単な方法で造ります。ポリバケツの真ん中に缶詰を入れ、雪を締固めながら詰めます。詰め終わったら、ポリバケツをひっくり返して、抜きます。そして、缶詰も抜き、開いた穴にろうそくを指して、点火します。下の写真のようなスノーキャンドルの出来上がりです。

 

 


 「納涼花火の集い」で購入し、残していた花火をスノーキャンドルの火で点火し、子供たちといっしょに楽しみます。

 

 

 


 この日は晴天だったせいで、暗くなるのが遅く、薄ら明るい中での花火となりました。でも、子供たちはそれなりに楽しんでいたようです。

 最後に鍋で、温めていた甘酒の缶を一人ずつもらって解散です。28人の子供たちが参加してくれました。35本用意していましたので、足りました(足りない場合、誰かがコンビニに買いにいかなければなりません)。45分くらいのイベントでした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県郵便局訪問 神戸市北区、西宮市、三田市 有馬温泉から神戸市北区、西宮市、三田市と広がる住宅街を歩きました

2019-01-26 18:29:17 | Weblog

 昨年の12月27日(水)は、14回目となる兵庫県の郵便局訪問でした。9月に行った有馬温泉から、神戸市北区、西宮市、三田市と広がる住宅街を歩いて15局の郵便局に行きました。訪問したのは、次の局です。

 有馬、神戸有野台、神戸有野平井、神戸有野岡場、有野(以上、神戸市北区)、山口(西宮市)、道場、神戸鹿の子台(以上、神戸市北区)、三田本町、三輪、三田、三田武庫が丘、三田フラワータウン駅前、三田ウッディタウン、三田福島(以上、三田市)

 この訪問で西宮市の51局は全て行くことができました。
 
 トップの写真は、8200局目となった、神戸有野岡場郵便局です。


 西宮市と神戸市北区の境を何回も超えた郵便局訪問でした。

 

 


 有馬神社が有りました。遷座1300年と書かれています。

 

 歴史が違うなと思いました。調べたところ、有馬神社の創建は不明だそうです。しかし、舒明天皇が有馬温泉に行幸(631年)に参拝したとの記録が有るそうです。715年(霊亀元年)に今の場所に遷座したそうです。そこから、1300年ということだそうです。安産の神社だそうです。


 神戸瓦センターが有り、多くの瓦が有ります。北海道には瓦屋根の家はほとんど有りませんので、私にはとても珍しく感じます。

 

 営業していなかったのですが、調べたところ破産宣告がされているようです。


 道場郵便局から神戸鹿の子台郵便局へは、神戸電鉄道場駅を抜けましたが、駅の連絡通路へ上がるのも階段、駅の西口を出ても、すごい階段でした。

 


 神戸の最近の住宅は、窓に雨戸ではなく、シャッターを整備することに気が付きました。

 

 

 

 内側から開け閉めできるようになっているのでしょうか。それともリモコン電動なのでしょうか。


 「赤ちゃんの髪が誕生の記念筆に」との幟を見つけました。

 

 「エーッ。」という感じです。でも、「かわいい我が子に世界にひとつだけの贈り物」と言われれば、そのとおりです。私のへその緒がなぜか今でも残っており、私の手元に有ります。それと同じなのでしょう。


 三田本町郵便局付近は、古い建物が多いです。

 

 

 

 三田は、1633年(寛永3年)、松平重直が3万石の三田藩を成立させます。1633年(寛永10年)に今度は、伊勢志摩の九鬼久隆が3万6千石で入領します。その後、13代240年に渡り、九鬼氏がこの地を治めたそうです。水軍で有名な九鬼氏が山の中に配置されたのは、関ヶ原の戦いで西軍についたからと言われているようです。
 九鬼氏の元で、三田は米の集散地として、発展します。かなりの商家があったようです。特に本町は大きな商家が多かったそうです。


 県立有馬富士公園を示す標識が有りました。

 

 有馬富士を私は知りませんでした。標高357mの富士です。かなり低めの富士ですが、姿はきれいなようです。福島大池に写る逆さ富士で有名なのでだそうです。そこまでは、行けませんでしたので、機会が有れば、行ってみたいです。

 三田市は、住宅団地が広がりますが、道がたいへん難しいです。神戸電鉄と国道をどこで渡れば良いのかグーグルの地図では、判別できません(上空からの撮影で地図を造っているため、高架やトンネルが表現されない役に立たない地図です)。次に三田市に来る時には、別の地図にしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のお供 その178 新潟県新潟市内のホテルで、「越の譽」の「酒母四段 銀 カップ」をいただきました

2019-01-24 19:33:03 | Weblog

 2017年11月6日、この日は新潟県加茂市、三条市の郵便局訪問でした。私は、郵便局訪問を終え、帯織駅から新潟駅へ移動しました。「新潟庵」という立ち食い蕎麦屋で、いつものようにかき揚げそばをいただき、カップ酒を買い、新潟市内のホテルに入りました。

 買ってきたのは、「越の譽」です。「酒母四段 銀 カップ」という名前です。

 

 すみません、早く飲みたくて、写真を撮る前にリングプルに手をかけてしまいました。

 「越の譽」を醸造しているのは、新潟県柏崎市にある原酒造㈱です。創業は1814年(文化11年)だそうです。200年を超える歴史が有ります。この間、様々な災害を乗り越えてきているようです。
 1911年(明治44年)柏崎大火、2004年(平成16年)中越地震、そして2007年(平成19年)の新潟中越沖地震です。中越沖地震では、社屋の7割が倒壊し、大小300あるタンクの200が瓦や屋根の下になったそうです。

 原酒造㈱では、中越沖地震の後、「和醸蔵」という新しい蔵も造り、「酒彩館」というショップも設けています。また、酒蔵見学もできます。自動製麹室、天幕式麹室、大吟醸用麹室の三室の麹室が有り、酒種に応じて使い分けており、麹造りにこだわっているようです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森県弘前市には、長勝寺が有ります。中学校の修学旅行で行った時には、ミイラが有りました

2019-01-22 21:16:02 | Weblog

 青森県弘前市には、禅林街という33もの禅宗の寺が集まったところが有ります。そして、その役割は、第二の弘前城とすることだったそうです。最大のものが一番奥にある長勝寺です。元々、鰺ヶ沢町種里に有った寺を、二代藩主津軽信枚公が弘前城築造とともに移転させたものだそうです。

 禅林街の入口に黒門が有ります。

 

 長勝寺の門だそうです。1677年(延宝5年)から1687年(貞享4年)の間にこの地に造られたそうです。


 そして、六角堂が有りました。

 

 栄螺堂とも呼ばれているようです。中にはらせん階段が有り、上に登って行くようです。会津若松市にあったものと同じ構造でしょうか。33のお寺のひとつ、蘭庭院が管理しているそうです。


 そして、長勝寺の山門です。

 

 

 1629年(寛永6年)の建造だそうです。美しい形の門だと思います。1809年(文化6年)に大修理され、花頭窓が設置され、仁王像が安置されたそうです。

 


 長勝寺には、中学校の修学旅行で来ました。その時、ミイラが安置されていた記憶が有ります。このミイラは、藩主を継ぐべき立場だった津軽承祐(ゆきとみ)公だったそうです。1855年(安政元年)に17歳でお亡くなりになりました。1954年(昭和29年)に墓を長勝寺に改装するために掘ったところ、埋葬された当時のままの姿で発見されたそうです。それを弘前大学医学部法医学教室がミイラにしたそうです。現在は、ご遺族の要望により、火葬され、埋葬されたそうです。


 禅林街を出て、歩いていると、美しい五重塔が有りました。最勝寺の五重塔です。トップの写真です。国指定の重要文化財です。1656年(明暦2年)から建築が始まり、1667年(寛文7年)に完成したと伝えられているそうです。

 「弘前市には明治から大正期の建物、さらに古い江戸時代の建物も多く残っているな。」と思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県郵便局訪問 NO.10 福岡市博多区&東区、宇美町、志免町、須惠町、粕屋町、久山町 醸造に関するものを多く見つけました

2019-01-20 18:21:55 | Weblog

 12月26日は、福岡県の10回目の郵便局訪問でした。1局だけ残っている福岡市博多区から始めて、志免町、宇美町、須惠町、粕屋町、久山町という糟屋郡の町と福岡市東区の郵便局を訪問しました。訪問は、次の順です。

 博多月隈(福岡市博多区)、志免桜丘、粕屋南(以上、志免町)、宇美本町、宇美早見(以上、宇美町)、川子団地内簡易、須惠、旅石(以上、須惠町)、志免本通、志免南里、亀山(以上、志免町)、粕屋仲原(粕屋町)、福岡原田、福岡流通センター内(以上、福岡市東区)、長者原(粕屋町)、久山(久山町)、新福岡(福岡市東区)

 17局の訪問です。この訪問で、福岡市博多区、宇美町、志免町、粕屋町が完訪となりました。ただ、残念なのは、16時まで、時間が無くて急いで歩いたにもかかわらず、道を間違え、松浦台簡易郵便局に行けなかったことです。

 トップの写真は、8186局目となった、須惠郵便局です。


 博多月隈郵便局へは、地下鉄の福岡空港駅から歩いて向かいました。レベル5スタジアムが有りました。申し訳ないのですが、私は、アビスパ福岡のホームグラウンドであることを知りませんでした。熱い試合が行われるのでしょう。

 

 その次にアクシオン福岡が有りました。福岡県立スポーツ科学情報センターが正式名のようです。

 

 こちらは、1990年(平成2年)に「とびうめ国体」を記念して建設された、生涯スポーツの普及と競技力の維持向上のための施設だそうです。


 志免桜丘郵便局から粕屋南(粕屋南という名前ですが、志免町に有ります。移転したのでしょうか?)に向かう途中、カラスの大群の中を歩きました。

 

 


 宇美町に入り、酒蔵を見つけました。

 

 

 1792年(寛政4年)創業の㈱小林酒造本店です。酒銘は、「萬代」です。
 ㈱小林酒造本店を過ぎ、中小路を覗くと、高砂味噌が有りました。

 

 みそ作りセットを販売しているようです。


 そして、宇美八幡宮が有ります。

 

 「宇美」という名前だからでしょうか、「安産祈願」での参拝が多いそうです。衣掛の森、湯蓋の森という天然記念物も有ります。また、奉納のための宇美神楽という芸能もあるそうです。


 「これって、茅葺屋根を亜鉛鉄板で覆った結果、このような屋根になったのかな?」と思ったのが、下の写真です。

 


 須惠川は岩盤の上を流れていました。

 


 長者原郵便局から間に合わなかった松浦台簡易郵便局に向かう途中で、今度は「大久醤油㈱」を見つけました。

 

 1897年(明治30年)創業だそうです。大正天皇にも献上されたそうです。醤油のほか出汁パックなども造っているようです。

 今度は、光酒造㈱です。

 

 1959年(昭和34年)に光安酒造㈱から分離独立したそうです。「西乃蔵」という清酒、「博多小女郎」という焼酎を醸造しています。


 酒造、みそ醸造、醤油醸造と醸造関係ばかりを見つけた郵便局訪問でした。醸造業が盛んな地域だったのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨年の11月18日、私は訪れた青森県弘前市で藤田記念庭園にも行ってみました。紅葉が美しかったです

2019-01-17 19:09:20 | Weblog

 昨年の11月18日、青森県弘前市内の観光をしていた私は、藤田記念庭園にも行ってみました。

 

 洋館が有りました。

 

 

 ここは、「大正浪漫喫茶室」になっています。

 

 無料で入れたようです。私は知らなかったので、入らずで終わってしまいました。「大正浪漫喫茶室」があるくらいですので、大正時代に造られた庭園です。1919年(大正8年)に築造されたそうです。築造したのは、弘前市出身の藤田謙一氏です。氏の別邸として、弘前公園に隣接して、庭園が整備されたそうです。
 その後、弘前市が市の市制100周年記念事業として、庭園を整備したそうです。


 雪の積もった岩木山が綺麗に見えています。

 


 水琴窟も有りました。

 


 そして、何より紅葉が美しかったです。
 

 弘前は桜の街というイメージが有りましたが、弘前公園でもここでも紅葉が美しかったです。

 弘前公園は桜の名所ですが、ここにも大きな枝垂れ桜が有りました。

 

 春には素敵な花が咲くことでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫との出会い その145 2017年10月4日、私は東京都日野市で、3匹の猫ちゃんに出合いました

2019-01-16 23:13:17 | Weblog

 2017年10月4日、私は東京都日野市、八王子市の郵便局訪問をしました。その道中で、3匹の猫ちゃんに出合いました。

 最初の猫ちゃんは、何か獲物を狙っているようでした。

 

 邪魔はできませんので、ズームで撮影しています。


 2匹目の猫ちゃんは車の前を歩いていました。

 

 近づいて、写真を撮ったのですが、「嫌!」と体を背けられてしまいました。

 

 3匹目の猫ちゃんです。道路に伏せているようです。

 

 どんどん近づきますが、私のことは気にならないようです。

 

 

 ちゃんとこちらを見ています。最後まで、香箱座りを崩さない猫ちゃんでした。よほどそこに居ることが、気持ちよかったからでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が郵便局訪問に福岡県大川市を選んだのは、「筑後川昇開橋」を見たかったからです。晴天の中、雄姿を見ることができました

2019-01-13 13:33:29 | Weblog

 12月24日(日)、お昼過ぎ、私は柳川市駅からバスで大川市に着きました。そして、念願だった「筑後川昇開橋」を見にいきました。そもそも、郵便局訪問先に福岡県大川市を選んだのは、この「筑後川昇開橋」を見たかったからです。

 川の向こうにその「筑後川昇開橋」が見えます。トップと下の写真です。

 

 福岡県大川市と佐賀県佐賀市を結ぶ、歩行者専用の橋になっています。脇から橋の上に上がりました。

 ベンチになるよう繋船柱が置いてあります。これは、先が曲がっていない河川用の繋船柱です。

 

 トラス部分の橋門構が見えてきました。

 

 塔が迫ってきます。30mの高さがあるそうです。

 

 

 「筑後川昇開橋」は全長が507mの橋梁です。元々は、国鉄佐賀線のための橋梁でした。1935年(昭和10年)に開通しています。名前の通り、川の船舶を通行させるため、このような構造となりました。筑後川は、有明海の干満の影響をうけるため、このような構造にしないと船が通れなかったそうです。中央部分の桁は、常時は船を通行させるため、上がっていたそうです。列車通過時に桁が下りたそうです。桁は24mで、48tも有りますが、ウィンチとロープで24m上下します。操作室は福岡県大川市側だけに設置されています。

 一応、橋の通時間が決まっているのですが、お客さんの求めにも応じてくれ、桁を上げ下げしてくれます。桁が上がり始めました。

 

 2/3ぐらいまで上げてくれました。

 

 昔は、角型鋼管などは製造できなかったのでしょう。橋梁の部材は溝形鋼を突き合わせ、トラス構造をリベットで結合して、四角くしています。

 

 夜にはライトアップされるのでしょう。ライトが設置されていました。

 

 川に向かって、信号が着いています。船舶のためでしょう。

 

 下の写真、橋梁端部の向こうには駅が有りました。

 

 筑後若津駅です。その跡は、記念碑や踏切が設置されています。

 

 国鉄佐賀線が廃止されたのは、1987年(昭和62年)3月27日です。その後、歩行者専用道として、整備されています。「筑後川昇開橋」は、2003年(平成15年)に国指定重要文化財に認定されています。また、2007年(平成19年)には機械遺産にも認定されています。国指定重要文化財であることを示す看板が設置されています。

 

 傍に、「大川昇開橋温泉」も有ります。

 

 美しい橋梁だと思います。なので、大分焼酎二階堂のCMにも使われました。記憶しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のお供 その177 新潟県三条市内のホテルで、「福顔」の次に、「菊水の純米酒」をいただきました

2019-01-11 18:51:44 | Weblog

 もう、2年前となる2016年(平成28年)11月5日です。郵便局訪問のため訪れた新潟県三条市内のホテルで、私は、「福顔」に続いて、「菊水の純米酒」の180mℓのアルミカップをいただきました。

 

 「菊水の純米酒」を醸造しているのは、新潟県新発田市の菊水酒造㈱です。「ふなぐち」で有名な会社です。創業は1889年(明治14年)だそうです。1972年(昭和47年)11月から、缶入りの生原酒を商品化しているそうです。

 「菊水の純米酒」も「ふなぐち」と同じく、「火入れ(加熱処理」をしていないそうです。生原酒ではありませんので、加水はされています。なので、アルコール度数は15度です。「ふなぐち」の生原酒は19度だったと思います。

 新潟県産米100が売りです。あえて、精米は70%ととして、ふくよかな旨味と濃厚な味わいを残しているそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする