広島県福山市鞆は、古代からの港町であり、古い街並がそのまま残っています。小さな街ですが、歩いてたいへん楽しいです。
でも、路地は狭く、多くの観光客が訪れるため、かなり混み合っています。
下の建物は昭和初期のものでしょうか?なかなか素敵な建物です。
これが交番?思ったのが、下の写真です。古い建物を意識したデザインなのでしょう。
鞆の酒と言えば、保命酒です。㈱岡本亀太郎本店を見つけました。
トップの写真は、店の立派な竜の看板です。
保命酒は、大阪の漢方医であった中村吉兵衛がこの鞆の地で作ったそうです。桂皮ほか15種の薬草を味醂酒に浸け込んだ、和物のリキュールだそうです。
江戸時代は中村家が専売権を持っており、藩の庇護にあったそうです。しかし、明治維新により、専売権がなくなり、多くの保命酒醸造所ができたそうです。中村家は明治36年には廃業してしまったそうです。懇意にしていた岡本亀太郎はその道具等を譲り受け、保命酒を醸造することになったそうです。
その中村家の屋敷だったものが、重要文化財の太田家住宅として残っています。
名酒賣捌所の札が下がっており、杉玉があるので酒造家なのが、解ります。
この民家は、中村家の屋敷だった江戸時代末、三条実美ら尊王攘夷派の公家7人が都落ちして、長州に向かう途中、鞆に立ち寄ったさい宿泊所とされたそうです。
トップの写真にも上の太田家住宅にもお雛様が写っています。鞆では、2月22日(土)から、3月16日(日)まで、第12回「町並ひな祭り」が開催されていました。私が訪れたのは、3月10日(日)ですので、いたるところにお雛様が飾られていました。
横浜市の元町商店街では無くなった船具屋が、鞆にはありました。澤村船具店です。
最近、澤村船具店が所有する民家が17世紀後半の建物だったことが判明したそうです。
そして、坂本龍馬率いる海援隊のいろは丸と紀州藩の軍艦明光丸が衝突し、その事件の後始末の交渉をしたのが、下の旧魚屋萬蔵宅です。
坂本龍馬は、巧みな交渉術で、7万両もの賠償金を紀州藩から勝ち取ったそうです。
福山市指定の重要文化財が、下の写真の鞆の津の商家です。
当時のままの電話が有りました。電話番号は40です。鞆製網合資会社の番号でしょうか。
そして、ここにもお雛様がたくさん飾られています。
古いお雛様は、御簾のある御殿にいらっしゃる姿になっています。それを守るのが右大臣と左大臣のようです。3人官女はその下です。
ここで、無料で甘酒が振る舞われていました。私もいただきました。
口に入れた瞬間、「あ!生姜が入っている!」初めてだったので、驚きでした。でも、寒い時にはこうした生姜が入った甘酒はたいへん温まります。地域により、甘酒も様々なものがあることを知りました。