2月29日、長崎空港からバスに乗り、私は15時くらいに佐世保に着きました。
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時間があることから、海上自衛隊佐世保資料館に行こうと、歩きだしました。
途中で、「ニミッツ公園」が有りました。
あの米国海軍の元帥だったニミッツ将軍の名前が着いた公園が有ることをしりました。原子力空母の名前にもなっていたと思います。
海上自衛隊佐世保資料館に着きました。
しかし、コロナウィルスのため、休館となっていました。
この建物は、旧水交社の建物の一部が使われています。上の写真の八角形のドームが特徴です。旧水交社は、海軍士官の懇談や外国海軍士官の接待等に使われたそうです。1881年(明治31年)に現在の場所に建築されました。初代は木造でしたが、2代目は、鉄筋コンクリート造となったそうです。
1997年(平成9年)に海上自衛隊佐世保資料館としてオープンしています。
海上自衛隊佐世保資料館の斜め向かいに、素敵な建物が有ったので、そちらに行ってみました。
入口が開いています。案内板には、旧佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保ホール)との標示がされています。
1914年(大正3年)の第一次世界大戦では、佐世保鎮守府は地中海で潜水艦からの護衛の任に当たったそうです。その功績から、イギリス国王から勲章を授けられたそうです。そのことを讃えるため、多くの寄付で、1923年(大正12年)この建物が建築されたそうです。この建物も鉄筋コンクリート造です。
中に入ると素敵なホールが有ります。両側にもステージが見えるところが有ります。
階段や窓も、素敵な感じです。今はこのような形式は無いです。
中に入ると、「アッ!駆逐艦 雪風の模型だ!」私は、思わず声を上げてしまいました。
戦艦大和とともに出撃するも、沈没することなく終戦を迎え、戦後は台湾の海軍で使用された駆逐艦です。
2Fからのホールの眺めです。
そして、私が駆逐艦雪風より感動したものは、このコンクリートのコアです。
この記念館の2Fのスラブから採取したコアだそうです。コンクリート打設から100年近く経つのに、全く劣化していません。骨材は玉砂利でみっちりと収まっています。全く隙間が有りません。
2Fから降りると、資料館の方が出てこられ、20分ほどお話をしました。先のコンクリートの話をしたところ、「当時、骨材を一つ一つ、人が手で洗って、投入したそうです。」と教えていただきました。
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そこまでしたからこそ、100年近くを経ても、劣化の全くないコンクリートになっているようです。「よい構造物をつくるには、手間をかけなければならないな(元、橋梁技術者の精神です)。」と改めて思いました。
なお、新年度、海上自衛隊さんの歓迎式がこのホールで毎年開かれていたそうですが、今年はキャンセルになったと資料館の方から伺いました。