しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

関西郵便局訪問 NO.8 奈良市

2009-01-31 10:56:28 | Weblog
 1月26日、27日、28日と奈良市、和歌山市、神戸市の郵便局を訪問しました。本当は、九州の郵便局を訪問したかったのですが、貯まったマイルによる札幌福岡の特典航空券が取得できなかった(去年はB747だったのが、小さな機種になったため?)ので、関西方面となってしまいました。
 今回も3回に分けての投稿となります。

 1月26日は、30年以上も前の高校の就学旅行以来となる奈良市です。その前、中学2年の夏休みにも家族で訪れたことがありました(近鉄奈良駅が地下ではなかった記憶があります)。
 JRの連続立体交差事業が進み、JR奈良駅付近が変わっていました。しかし、変わらないものも多く、伝統として残っていくのが古都奈良の魅力です。縦格子の家並みはとても美しく、街のあちこちに残っています。

 そして、寺社仏閣、古墳などは全く変わらずあります。歩いていて、常に感動があり、楽しい訪問でした。
 下の写真は珍しい工事の看板です。この地域ならでのものと思います。

 宮内庁発注の天皇陵の樹木維持工事です。13代の成務天皇陵です。工事看板は「稱徳天皇陵ほか」となっています。後で地図を捜しましたが、すぐ南に孝謙天皇陵が有るのみで、稱徳天皇陵は発見できません。どうしてか、解りました。46代孝謙天皇は重祚され、47代淳仁天皇の後、もう一度48代稱徳天皇となられたそうです。奈良山陵簡易郵便局から奈良秋篠郵便局へ、わざわざこの道を選びました。

 訪問した奈良市の郵便局は次のとおりです。頭の奈良は省略しています。

 県庁内、東向、舟橋、中央、市役所内、大宮、三条、小川町、下御門、元興寺、京終、紀寺、大安寺、神殿、辰市、北之庄、帯解、古市、高畑、今小路、法蓮寺、法華寺、山陵簡易、秋篠、ファミリー内、西大寺

 神殿(こうどの)、京終(きょうばて)、東向(ひがしむき)など結構、読み方が難しいのがあります。寺が多いので郵便局名にも寺の名前が多いです。
 トップの写真は2550番目となった奈良小川町郵便局です。
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ウトナイ湖 オオハクチョウ その2

2009-01-28 22:25:07 | Weblog
 トップの写真のように、多くのハクチョウの中に緑色の首輪をしたのがいました。何か理由があるのだろうと写真を撮影しました。オオハクチョウたちがいた近くにあった「ウトナイ湖野生鳥獣保護センター」に立ち寄って、理由がわかりました。

 この緑色の首輪をしたオオハクチョウは、生まれ育ったのがウトナイ湖であるということです。怪我をしたか、何かの理由で親鳥はシベリア方面に旅立てず、このウトナイ湖で卵を産み、孵化させ、育てたようです。育った子供は、元気に、仲間たちといっしょに渡りをしているようです。そのようなオオハクチョウが3羽いるようです。
 ウトナイ湖にはコハクチョウも立ち寄ります。コブハクチョウは、この日は見つけることができませんでしたが、ずっと定住しているそうです。保護センターの下の説明版で知ることができました。

 「ウトナイ湖野生鳥獣保護センター」に立ち寄ったことで、今まで知らなかったことがわかりました。環境省が設置し、苫小牧市と共同で運営しているようです。主な仕事は傷ついた鳥獣の保護活動なのでしょうが、こうした情報を教えていただけるのはありがたいことです。機会があれば、お立ち寄りください。
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1月のカラオケ

2009-01-24 10:52:42 | Weblog
 またまた、2ヶ月ぶりとなってしまいましたが、洋楽カラオケを23日(金)に行いました。
 いつもカラオケをする店は4ヶ月ぶりとなります。曲目がかなり変わっているようです。以前あった曲がありません。洋楽の場合、新譜が入ると古く、人気の無い曲はどんどん落とされていくようです。80年代の曲は随分、少なくなったなと感じています。

 歌ったのは次の曲ですが、50歳という年齢のせいか、高い音が出ずらくなりました。歌いだしは良いのですが、途中で出せなくなります。今回はテーマは無く、昔はよく歌ったのに、最近は歌っていないなという曲です。途中でフランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語の曲を入れました。歌詞にふられているカタカナを読んで歌っています。かなり怪しいものですが。

 ハッピー・トゥギャザー(タートルズ)、バス・ストップ(ホリーズ)、スカイ・ハイ(ジグソー)、ラヴィン・ユー(ミニー・リパートン)、ラブ・ミー・トゥナイト(トム・ジョーンズ)、ドント・ゴー・アウェイ(オアシス)、バイ・ザ・ウェイ(レッド・ホット・チリペッパーズ)、恋を抱きしめよう(ビートルズ)、サンホセへの道(ディオンヌ・ワーウィック)、悲しき恋心(ショッキング・ブルー)哀しみのシンフォニー(シルヴィ・バルタン)、悲しみの兵士(シルヴィ・バルタン)、黒い瞳のナタリー(フリオ・イグレシアス)、ジンギスカン(ジンギスカン)、ボラーレ(ジプシー・キングス)、フライ・ロビン・フライ(シルヴァー・コンベンション)、雨をみたかい(クリーデンス・クリアウォーター・リバイヴァル)、恋人よ我に帰れ(スタンダード)、ウィ・ウィル・ロック・ユー(クィーン)

 2時間半ちょっとで19曲でした。「フライ・ロビン・フライ」は、全く歌詞のない「ビバ・アメリカ」に次ぐ、歌詞の少ない曲です。Fly robin flyとup,up to the skyしか歌詞はありません。こういう曲はカラオケにする必要があるのでしょうか。解っていて、私みたいに選ぶ人がいるからなのでしょうか。

 トップの写真は弘南鉄道の弘前駅の駅名表示です。→の駅名が黒石となっていますが、次の駅名ではありません。終着駅です。単なる駅名表示なのですが、様々なのがあるなと思います。訪ねたときに、ちょうど納涼列車がホームに居たのを覚えています。冷たいビールを飲む人がいるのかと思うと、羨ましかったです。
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ウトナイ湖 オオハクチョウ その1

2009-01-21 22:44:45 | Weblog
 18日(日)の朝、NHK「さわやか自然百景」を見ました。クッチャロ湖のコハクチョウに関するものでした。見ていて、この時期、ウトナイ湖には越冬のオオハクチョウがいることを思い出しました。見たくなり、午後から車を走らせました。
 我が家から苫小牧市のウトナイ湖は1時間と少しです。ウトナイ湖の白鳥を見たのは10年以上も前のことです。
 いました、いました、オオハクチョウです。オナガガモも多くいます。
 下の写真の灰色のは、昨年生まれた若鳥だと思います。前述のNHKの番組で、コハクチョウの若鳥も同じでしたので。

 餌を与えている人を多く見かけました。議論の分かれるところです。私は専門家ではありませんので、直感だけですが、餌が無くて弱っていないかぎり、与えない方が良いのではと思います。上野の不忍池でも、太って渡りができなくなる野鳥が多くいて、餌を与えないようにしたと思います。一人、二人なら良いのでしょうが、あまりにも多くの人が与えるのは問題ではと思います。
 鳥たちを見続けていると、オオハクチョウ、オナガガモに、なぜかセグロカモメが一羽混じっていました。下の写真です。

 解りますでしょうか。写真の真ん中で当然でしょう、みたいな顔をしていますよ。
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郵便局訪問 過去の記録(NO.501~550)

2009-01-19 19:49:45 | Weblog
 過去の郵便局訪問の記録です。501番目から550番目です。トップの写真は550番目の訪問となった苫小牧桜木郵便局です。
 東京都千代田区では、12年も前ですが、4週間滞在したことのある御茶ノ水駅付近が懐かしかったです。
 また、2006年2月24日は早朝、早起きしてトリノオリンピック女子フィギュアスケート中継を見ました。荒川静香選手が金メダルに輝いた日です。
 ※印は車を使っての訪問です。長沼町、由仁町、栗山町、三笠市、江別市の郵便局が完訪となりました。

2006年1月25日
No.501  14:11 神田須田町         千代田区
          首都高は耐震補強だらけです。
   502  14:19 千代田鍛冶町       千代田区
          鉄道高架下の郵便局です。
   503  14:27 神田駅前           千代田区
          駅前では無くかなり離れています。神田はまだ古い街並みが
         残っています。
   504  14:47 神田錦町           千代田区
   505  14:58 神田淡路町         千代田区
   506  15:03 新御茶ノ水駅前       千代田区
          駿河台のこの辺りはJICA研修で東京に来た頃、良く歩きました。
   507  15:12 神田             千代田区
          神田淡路町にやきとり「とん吉」という店が有りました。
   508  15:30 御茶ノ水           文京区
         JICA研修の時、宿泊した「御茶ノ水イン」はまだ有ります。
         酒屋は無くなったようです。
   509  15:37 神田駿河台         千代田区
          懐かしいです。
   510  15:47 小川町            千代田区
          歩道が狭く、人が多く歩きにくいです。
   511  15:56 神田北神保町       千代田区
          昔のとおりゴチャゴチャした所が懐かしくて良いです。
   512  16:07 神田南神保町       千代田区
   513  16:16 パレスサイドビル内    千代田区
   514  16:32 九段             千代田区
          今回のラストです。今日は42局でした。少し休んで羽田に向かいます。

2006年2月15日
No.515        舞鶴簡易         (長沼町完訪)※
   516        泉郷簡易          千歳市 ※
   517   9:49 追分             追分町→安平町 ※
   518  10:03 川端             由仁町 ※
   519  10:24 三川             由仁町 ※
   520  10:39 由仁            (由仁町完訪)※
          たいへん暖かいです。
   521  10:50 角田             栗山町 ※
   522  11:01 継田             栗山町 ※
   523        栗山本町簡易        栗山町 ※
   524  11:29 栗山             (栗山町完訪)※
   525  11:49 栗沢             栗沢町→岩見沢市 ※
   526        栗沢本町簡易       栗沢町→岩見沢市 ※
   527  12:15 茂世丑            栗沢町→岩見沢市 ※
   528  12:26 上志文            岩見沢市 ※
   529        岩見沢朝日簡易      岩見沢市 ※
   530  12:53 美流渡            栗沢町→岩見沢市 ※
   531        万字仲町簡易        栗沢町→岩見沢市 ※
   532  13:56 唐松              三笠市 ※
   533  14:04 三笠弥生          三笠市 ※
   534  14:10 幾春別            三笠市 ※
   535  14:29 三笠              三笠市 ※
   536  14:40 三笠幌内          三笠市 ※
   537  15:05 三笠岡山         (三笠市完訪)※
   538  15:38 岩見沢幌向         岩見沢市 ※
   539        豊幌簡易         (江別市完訪)※
2006年2月24日
No.540   9:00 石狩市役所前       石狩市
          荒川静香 金メダル おめでとう!
   541   9:19 石狩             石狩市
   542   9:38 石狩花川北二条      石狩市
   543   9:55 石狩花川南一条      石狩市
   544  10:17 石狩花川南五条      石狩市
   545  10:33 石狩花川南八条      石狩市
   546  10:45 石狩南高校前       石狩市
2006年3月10日
No.547   8:59 苫小牧花園         苫小牧市
   548        西山手簡易         苫小牧市
          普通の家です。
   549        苫小牧シーアイ団地簡易 苫小牧市
   550  10:03 苫小牧桜木         苫小牧市
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とうがらし タイのおみやげ

2009-01-17 13:06:00 | Weblog
 職場の同僚からタイのおみやげに「とうがらし」をいただきました。乾燥させたままのやつと、磨り潰したもの2種類です。ものすごく辛いですから、入れすぎないようにとの注意も受けました。どうやって、辛さを試そうかと考え、数日が過ぎました。
 本日(1月17日)のお昼が韓国製の辛いインスタントラーメン(ドン・キホーテで売っている)だったことから、これに加えることとしました。

 辛いインスタントラーメンと言っても、私は毎回、スープまで全部飲み干しており、もう少し辛くても良いなと思っていましたので、試してみました。妻はいつも辛いからとスープは一滴も飲まず、麺と具材だけを食べています。
 磨り潰したやつを入れ、ごらんのようになりました。

 さすがに辛さは増しました。日本の製品にはない種までもが入っています。粒も大きく、たまたま舌に乗ると、ものすごい刺激です。私の体はほてります。額には汗が吹き出てきました。適量だったせいか、気持ちの良い辛さです。最高でした!この次も足して、この辛さを味わいたいと思います。
 
 いつもそうですが、ラーメンを食べると鼻汁が出るのは何故なのでしょう。疑問です。
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猫との出会い その5

2009-01-15 06:31:46 | Weblog
 2007年8月1日、夏の午後。北海道芦別市内のあるお宅の庭に、紐で繋がれた黒い猫がいました。私の家にも以前、「レグルス」という名前の黒い猫がいました。親近感が湧き、カメラを手に近づきましたが、そんな私に恐怖をこの猫ちゃんは感じたようです。すごい形相になってしまいました。驚かして、ごめんなさい。写真だけ撮らしてもらい、すぐにその場を離れました。
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家の近所 その6 月寒あんぱんとアンパン道路

2009-01-11 17:06:59 | Weblog
 月寒は昭和36年に豊平町と札幌市と合併するまで、豊平町月寒でした。明治43年に町役場が豊平町豊平から月寒に移転することになりました。陸軍第25歩兵連隊の向かい側です。豊平町平岸の人々は、町役場に来るのに、平岸と月寒を結ぶ道路がなかったため、いったん豊平に出て、月寒に向かわなければならなく、たいへんな遠回りでした。そこで、新しく平岸と月寒を結ぶ道路の建設が行われました。明治44年6月のことです。この道路の建設に尽力したのが、前述の陸軍歩兵第25連隊の兵隊さんたちでした。延べ7500人が協力し、人海戦術で、2.6kmをわずか4ヶ月の工事で完成させたそうです。
 兵隊の方々には、休息時間にアンパン(といっても今のアンパンではありません、詳しくは後段で)が一人5個配られたそうです。そんなことから、道路は「アンパン道路」と呼ばれています。当時の人々の兵隊さんへの感謝の思いが込められていると思います。昭和62年にはトップの写真のような石碑も建立されています。
 歩兵第25連隊はかなり強いとの評価がされていたようです。日露戦争では、乃木将軍の指揮下で、あの203高地を攻略しています(多くの人命が失われています)。ノモンハン事件でもソ連の戦車に多くの犠牲を出し、太平洋戦争中には、樺太に派遣され、悲惨な状態となり、多くの犠牲者を出しています。。

 戦前は連隊本部前に7軒のあんぱん屋があったそうですが、今では、1軒のみが当時のアンパンを製造しています。「株式会社ほんま」です。

 明治7年、木村安兵衛が酒種酵母によう「桜あんぱん」を製造していますが、それを真似て、大沼甚三郎が開発し、本間与三郎創業者が教えを受けて「月寒あんぱん」の製造を始めたそうです。下が「月寒あんぱん」です。

 「月寒あんぱん」は「アンパン」というよりは、月餅に近いと私は思います。漉し餡は固めでかなり塩が効いています。戦前は、もっと大きく、甘かったそうです。
今はかぼちゃ餡のものも有ります。
 「月寒あんぱん」は私はおいしいと思います。機会がございましたら、ご賞味ください。
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歌川国芳 猫飼好五十三疋 

2009-01-08 22:38:27 | Weblog
 猫好きにはたまらない、猫がいっぱいの浮世絵です。
 歌川国芳は、江戸時代の浮世絵師ですが、かなり反骨精神旺盛な人だったそうです。天保の改革で役者絵が禁止されると、落書きのような役者絵を描いたり、遊郭の絵が禁止になると、なんと猫を主役にしてその類の絵を描いています。
 相当の猫好きでもあったそうです。良く観察していて、なまずやうなぎといった文字を猫を組み合わせて描いたりもしています。それも良くできています。
 「猫飼好五十三疋」は、東海道五十三次の宿場を現しています。あまり古い字を読むことは得意ではないため、違っているかもしれませんが、例えば、「のどかい」は保土ヶ谷、「おや」は宮、「ぶちかご」は藤川、「ぶちじゃま」は土山などです。
 でも、おもしろいことに気づきました。尻尾の短い猫が随分、描かれています。最近、尻尾の短い猫はあまり見かけません。そこで数えてみました。上、中、下に全部で71匹の猫が描かれていますが、尻尾の長いのは12匹、尻尾の短いのが46匹、不明なのは13匹です。江戸時代の日本猫は尻尾の短いのが多かったのでしょうか。猫の種類に、たしか「ジャパニーズ・ボブテイル」という尻尾の短い種類のがあったと思います。江戸時代の猫が外国で飼われ、種類となったのではと考えてみました。

 写真は猫とは無縁のJR弘前駅の駅名表示です。
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家の近所 その5  軍隊の街 月寒

2009-01-05 22:33:26 | Weblog
 月寒は旧日本陸軍が作った街です。明治33年に歩兵第25連隊が創設され、札幌の隣の豊平町月寒に駐屯することになりました。軍都旭川を拠点とする第7師団に属していました。第7師団は多くが旭川に駐屯していましたが、野砲兵連隊(函館)とこの歩兵第25連隊だけが別でした。
 歩兵第25連隊が駐屯することになったことから、北海道で最初の水道(取水源は月寒川を堰きとめた西岡水源池)が敷設されたのもこの月寒の地です。
 現在では、歩兵第25連隊が駐屯していたことを示すものは少なくなっています。トップの写真は旧北部軍司令官官邸で、現在、つきさっぷ郷土資料館となっているものです。北海道大学の学生寮としても戦後から昭和59年まで使用されていました。
 忠霊塔のある平和公園には、次の写真の連隊入り口にあった門が移設されています。

 たぶん門が有ったところには、松の木だけが残っています。衛兵の松と呼ばれているそうです。

 地下鉄東豊線を掘削するに当っては、旧陸軍の防空壕が有るのではと随分、危惧されました。また、一昨年まで鉄筋コンクリート造の爆弾に耐えるように作られた頑丈な建物も残っていました(記憶では、理科教育研究所との表札が下がっていた)が、取り壊され、現在、開発行為がなされています。
 月寒は、もともと「つきさっぷ」と呼んでいましたが、これを「つきさむ」としたのは、難解な読みを嫌がった陸軍の要請であったとの説もあるようです。
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