6月11日(日)と12日(月)、私は長野県上田市内を歩き回りました。
最初に気になったのは、下の建物です。
「2Fの上にある、外気を取り入れるようなものは何に使われているのだろう。」と思いました。
その疑問を持ちながら、市内の古い建物を巡りました。まずは、信州大学繊維学部に行ってみました。
信州大学繊維学部の前身は、1910年(明治43年)に開校した、官営の上田養蚕専門学校です。1949年(昭和24年)から信州大学繊維学部になっています。
下の写真の警備員室は1912年(大正元年)に建てられ、1964年(昭和39年)に移築されたそうです。
一際、目を引く建物があります。トップと下の写真です。
1929年(昭和4年)に完成した講堂です。内部には桑、繭、蛾の意匠が施されているそうです。あまりごてごてしていない、直線の多いすっきりとしたデザインの建物だと思います。
こちらの倉庫は、上田養蚕専門学校が開学した時に造られたレンガの貯蔵庫です。現在は資料館だそうです。
とにかく上田市は養蚕が盛んな街だったのでしょう。
まだまだ、養蚕関係の建物があります。
旧常田館製糸場は、長野県岡谷市出身の笠原房吉氏が1900(明治33年)に設立しています。数々の古い建物が残っています。下の写真は、1905年(明治38年)に建設された5階立ての繭倉庫です。
こちらは、1908年(明治41年)に建設された事務所兼住宅です。現在は資料館だそうです。
翌日に歩いていて見つけた農家の廃屋を見て、最初の疑問が解けました。2Fの上に付けられた吸気口のような部分です。
「2Fは、蚕室になっており、そのために外気を入れる部分が必要だったのではなかったか。」です。
上田市内には養蚕関係以外にも古い建物が多くあります。
下の写真は、旧上田市立図書館です。
上田男子小学校同窓会が市民の寄付を募り、建築したそうです。1910年(明治43年)です。1970年(昭和45年)まで、図書館として使われていました。
上田高校は、旧上田藩主邸に建設されたそうです。この門はそのまま残っているそうです。
小県上田教育会館の建物も歴史がありそうです。
1Fは事務室、資料室、会議室であり、2Fは石井鶴三美術資料館だそうです。
下の建物も歴史がありそうです。
上田電鉄千曲川橋梁は、1924年(大正13年)に建設された、プラットトラスの橋梁です。この形式、近年では使われません。
最後は、東塩田に有った、下之郷公民館分館です。
旧東塩田郵便局だそうです。