マラソンなかちゃん

マラソンのことを中心に、農業、環境、健康、パソコン、小旅行などを気ままに書いています。

令和の地、太宰府

2019-05-01 17:12:10 | 旅行記

このブログを書き始めたのは、平成18(2006)年12月、48歳で3回目の福岡国際マラソンに参加したころだった。ちなみに、その時のタイムは2時間40分00秒。

大会の翌日は太宰府の街なか散策をしてきたが、今となっては新元号「令和」のゆかりの地として、注目度ナンバーワンになってしまった。

あの時、まず行ったのは太宰府天満宮。そこへは、電車で太宰府駅まで行き、そこから徒歩で5分弱。

天満宮では子供の受験のためにお札を購入し、次の目的である観世音寺に向かった。

再び降りた駅の方に向かい、さらに御笠川を渡り、筑紫台高等学校の下を通り、観世音寺に向かった。今となっては記憶が曖昧だが、当時も地図と標識を頼りに歩いたに違いない。

 標識通りに進むと、観世音寺に着いた。

記憶が曖昧なところもあるが、当時の写真とネット上の画像を比較すると、この写真は観世音寺で間違いがないようだ。境内には日本最古の梵鐘があったらしいが、全く記憶にない。

さらに進むと、戒壇院に出る。

太宰府の戒壇院は西戒壇といい、中央戒壇(奈良の東大寺)、東戒壇(栃木の下野薬師寺)と合わせて、「天下三戒壇」といったらしい。ということは、我が館林に近い栃木の下野薬師寺も由緒ある所ということになる。行ってみる価値はあるが、現在、建物は存在しないようだ。

次に向かったのは、大宰府政庁跡。

ここは、長方形の広大な土地に礎石があるのみで建造物は無い。しかし、周辺には万葉歌碑が数多く存在する。

私が見たのは、小野老(をののおゆ)が詠んだ「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」という歌碑。今、元号で話題となっている大伴旅人ゆかりの坂本八幡宮には寄らなかった。というより当時はあまり知られていなかった。

その後は、帰路につくため都府楼前駅に向かった。途中に太宰府市立学業院中学校があったが、公立とはいえ、太宰府らしい校名と校門だった。

ところで、ダザイフには「太宰府」と「大宰府」の2つの書き方があることを知った。この件については太宰府市公式HPに記載してある。

清須や清洲のキヨスと似ているね。こちらも清須市公式HPに記載してある。

コメント
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