花と緑を追いかけて

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夏の中欧紀行②・プラハ「旧王宮と聖ヴィート大聖堂」

2006年07月06日 | 中欧三カ国旅行記

最初の見学は「プラハ城」ですが、私たちが抱くイメージのお城とは違っていて、生臭い政争の場でもあった旧王宮と
聖人に因む教会や修道院からなる複合建築体をプラハ城と呼びます。

中でも圧倒的存在感があるのがの写真の「聖ヴィート大聖堂」。
ゴジック様式の堂々たる姿で、塔の高さは96.6m・・・
この上に登る時間が無かった事が悔やまれます。

6月22日(木)
プラハで最初に迎えた朝は良いお天気でした
今回私たちは旅に出る前から、プラハ城が真近に望めるカレル橋の、早朝の風景とライトアップが見たいと計画していました。
ホテルの場所が旧市街地から離れていたので、朝の見学は諦めましたが、ライトアップは「是非に」と希望しました。


添乗員さんに相談したらビックリされましたが(今までそういう希望を出した人はいなかったそうです)・・・
「危ないからやめて下さい」とは言われませんでした。
私たち4人は4年前、ロシアのSTペテルブルグで地図も持たずに地下鉄に乗って「迷子」になった前科があります
今回は事前に地図と地下鉄の路線図をシッカリと準備し、頭に叩き込んで、そして更に朝食前に、地下鉄の駅を下見に行きましたよ。

ホテルから歩いて5分の所にある駅は大きな道路に面していました。
そして駅の周りにはお店はなくて、緑豊かな風景が広がっていました。



駅からすぐにホテルのお庭という感じだし、車の往来も多いようだし、夜遅く女4人で帰ってきても大丈夫ね
相変わらず好奇心も行動力も旺盛な私たち、ロシアの反省はあるんですがね~



こちらがプラハの宿「コリンシア パノラマ ホテル」
アメリカンタイプのビュッフェスタイルの朝食も、盛りたくさんの内容でした。
特にチーズとパンが美味しいですね
「出発は9時半よね」と誰かが言ったので、ノンビリと2階のレストランから20階の部屋に戻りました.
「ハテナ?ムムム?私は9時出発だと思っていたけどなぁ~?」・・・メモを確認すると「やっぱり9時出発だよぉ~
慌てて仲間のいる隣の部屋に知らせに飛び出したら、自分の部屋のドアーがロックされちゃった。アチャー
同室のK子さんはまだ下から戻ってこないし、しょっぱなから遅刻したらツアーの皆様に申し訳ないし
近くにお掃除の女性がいたので、事情を話してドアーを開けてもらいました。私の英語が通じたよ

第一日目の朝からドタバタしましたが、どうにか間に合いました。
全員でバスに乗って「プラハ城」に向かいました


「王宮」

市内を一望できるフラッチャニの丘の上に建つプラハ城は、いくつかの宗教施設とボエミア王家の居城との複合施設の総称です。

ここは九世紀以来、歴代のチェコの支配者が居城として定めた所で、時代ごとに増築を重ねてきたので様々な建築様式がみられます。城壁内はさながら一つの街と言ってもいいでしょう。

衛兵が身動き一つせずに立っている門から中に入りました。
いきなり見上げるばかりの「聖ヴィート大聖堂」の正面扉が現れます。
そしてその奥が広場になっていて、旧王宮が広がっていました。




12世紀に建てられ、当初はロマネスク様式でしたが、その後幾たびも修改築され、ゴジック、ルネッサンス様式が加わったそうです。
オタカル2世が欧州制覇を狙い結局敗れて戦死した後は、ハプスブルグ家の所有となりました。
そのハプスブルグ家から独立を勝ち取り、初代大統領になったのが、カレル大学の哲学教授だったマサリク氏。








第一次大戦後、亡命していたマサリクが国に戻ってきて大統領として演説した言葉は「正義は勝つ」・・・
この旗にはそれが書かれていると、行く前に見たビデオで語られていたような?
ぷりんさん、間違いなかったかしら?
※「真実は勝つ!」が正解でした。
マサリクの死後、チェコは今度はヒットラーに占領されます
そして第二次大戦後はソ連ですね。

苦難の歴史を見続けてきた王宮でもあります。




「聖ヴィート大聖堂」
王宮の中庭で写真を撮ってから、いよいよ「聖ヴィート大聖堂」の中に入ります。
外観はトップ写真としてUPしました。
中での写真はフラッシュをたかなければOK、但しお金を払ってシールを貼っている人のみです。
ぷりんさんとシールを求めましたが、私のところで最後、シールは品切れとなりました
商売っ気の無い話ですね~
シールを胸に張り、私が4人の代表で内部の写真を撮りましましたが・・・
上手く写せたでしょうか

サムネイル(小さな写真)をマウスオンしてみてください

「聖ヴィート大聖堂」

正面のステンドグラス(一番右の写真)は26000個以上のガラス片が使われ、太陽の角度により微妙な陰影を出しています。
第三礼拝堂の4万枚のガラス片でできたステンドグラス、特に右から三つ目はチェコを代表するアールヌーボーの画家「ミュシャ」作です。
私もUPで撮りましたが(画面真ん中の写真)分かりますか?

930年に建てられた時はロマネスク様式の円形教会だったそうですが、カレル4世がフランスから招聘した建築家アラスのマティアーシュにより、1344年、現在の建築が始まったとか。
完成したのはナント1929年

ここでは歴代の国王の戴冠式が行われ、現在では大統領の任命式が行われるそうです。

ご主人が日本人だという現地ガイドさんの説明を、無線のイヤホンで聞きながら写真を撮り続けました。



コメント (31)
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