7月も末だというのに「梅雨前線」は未だに日本列島に居座り、西は豪雨で東は竜巻・・・
異常な長雨続きの北海道は農作物に被害が出ていると聞きました。。
早々と「梅雨明け宣言」が出された関東南部も、たま~に真夏の太陽が顔を見せるだけで長続きせず、ジメジメジトジトと不安定なお天気が続いています。
ちょっとおかしい今年の「夏」ですね。
我家の庭に咲いているそろそろ終りの「ヤブカンソウ」・・・
今まで写真に収めたこともありませんでしたが、今年は何故かこの色が眩しい
蝶もセミもトンボも、青空の下で飛んでこそ「夏の風物詩」となるはずですが、これから本格的な夏はやってくるのでしょうか?
仕事が休みの来週は、山仲間と2人で「立山三山」を歩いて「釼岳」を見に行く予定。
もっか天気予報を見ながら出発日を決めようと思っていますが、やのマークに遮られ、未だに中々決まらな~い
長々と神社仏閣めぐりの紹介が続き、流石に書き手の私も少々飽きてきましたが、自分自身のための保存版と割り切って、引き続きUP致します。
ご興味のない方はスルーして下さいね。
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「常楽寺」
常楽寺は、別所温泉にある天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つです。
平安時代のはじめ624~834(天長年間)、慈覚大師という方によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれています。
「北向観音」をお守りする寺で、今は天台宗の別格本山となっているそうです。
茅葺屋根の今の本堂は江戸中期の享保年間(1716-1736)に建立されたものだとか。
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本堂前の境内に、横に広がりを見せる「お船の松」が植わっていました。
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本当に帆掛け舟のような形に刈り込まれています。
ここは昔、大きな火柱といっしょに観音様の本尊が現われた尊い場所だといい伝えられています。
代々の寺の住職さんたちの石塔や、たくさんの小さな五輪塔・宝篋印塔などが「石造多宝塔」を守っているように並んでいますが、昔はこのあたり全体が、とても大切な尊い場所であったことを物語っているようです。
ひんやりとした空気の中、木の精霊や高僧たちの精霊が混じり合い、如何にもたくさんの霊気が漂っていそうな場所でした。
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昼なお暗い木立の中の正面に建っているのが「常楽寺宿造多宝塔」(国指定重要文化財)です。
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多宝塔というのは、上下二重の屋根がある塔です。
下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上にまるい塔身があり、二つの屋根がその上にのっています。
そしてその上に、相輪という柱のようなものが立っています。
この多宝塔には木造のものと石造のものがあり、木造のものでは重要文化財になっているものがいくつもありますが、石造で重要文化財のものは、常楽寺のこの塔の外には滋賀県にある塔だけだそうです。
「安楽寺」
私たちは昼食を共にし、常楽寺を一緒に見学したご夫妻と別れて、お隣の「安楽寺」に歩いていきました。
階段を登ると茅葺屋根の本堂が見えてきました。
常楽寺、長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称されていた古刹。
天長年間(824~834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという歴史ある禅寺です。
鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、信州の仏教の中心地となっているという意味の記事が書物に残っているそうです。
このお寺の見どころは何と言っても国宝の「八角三重塔」・・・
お昼をご一緒したご夫妻は先に見学したそうで「あれは一見の価値があるから是非行った方が良い」と勧められました。
これは見逃せませんね。300円を払って山の斜面に建つ塔を見に行きました。
檜や杉が茂る林の中の階段を登って行きます。
途中の伝芳堂(開山堂)に安置されている開山・樵谷惟仙[しょうこくいせん]和尚坐像(重要文化財)と、二世・幼牛恵仁[ようぎゅうえにん]和尚坐像(重要文化財)は、玉眼でまるで生きているかのように威厳があるお姿が見られますが、暗い中でのガラス張りで・・・
写真撮影はとても無理でした。
上の方に何やら見えてきました
階段を登りつくと・・・
ドカンと迫力のある国宝の「八角三重塔」が全体の姿を現しました
ふつうの塔は四角形ですが、この塔は八角形であることが珍しく、この形は全国にこの塔一つだけしかないそうです。
この塔の一番下に裳階(ひさし)がついていて、一見、四重塔にみえますが、正確には「裳階付三重塔」というのが正しいとか・・・
屋根を支える垂木が扇の骨のように放射状に外側に出ています。
そのほかいろいろの点からこの塔は、ふつうの塔とかなりちがった形をしているらしい・・・
八角の塔は古代には日本にもあったという記録は残っていますが、いずれも現在はないそうです。
ところが中国の塔というのは八角が普通なのです。
禅宗の安楽寺の二代目の住職の幼牛恵仁さんは中国生まれの人といわれていますので、その影響が充分考えられるようです。
この堂々とした風格ある名塔が、鎌倉時代に塩田平に居館を構えて、信濃に威を張っていた北条氏の力によって造られたものと推察されるようです。
この辺り一帯が「信濃の鎌倉」と言われる意味が少し判ったような気がしました。
思いがけず「国宝」や「重文」を堪能して、駐車場に戻った時は三時半を過ぎていました。
名湯「別所温泉」に入っていきたかったのですが、宿のある軽井沢まではここから1時間半はかかります。
そしてこの「暑さ」、この日は30度を越えているようでした。
温泉はパスして、上田城見学もパスして、一緒に常楽寺を歩いたご夫妻から紹介されたラベンダー畑もパスして・・・
私たちは一路軽井沢に向かいました。
歩行計は9000歩近くを示していました。
「お寺めぐりは年をとってから」なんて言ってられませんね。