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「トムラウシは毅然として、その独自を主張する個性的な山である」
「日本百名山」の筆者・深田久弥は大雪山系のトムラウシ山をこう紹介しています。
そして・・・
「登って行くと、あたり一面、白、赤、黄、紫の高山植物のしとねであった。あちこちに雪の溶けた池があり、その原が果てしなく広がっている。この雄大、この開豁、こんな大らかな風景は内地では求められない」と・・・
そのトムラウシで悲惨な遭難事故が起きました。
大雪山系はアイヌ語で「カムイミンタラ」(神神の遊ぶ場所)と呼ばれていますが、あの日現地は、神ならぬ悪魔のような冷たい風雨が吹き荒れていたようですね。
その寒さはいかばかりかと・・・
札幌での生活経験のある私が思うには、夏でもストーブを焚く日がある北海道、その夏山は、本州の夏山登山とは根本的に異なるという事でしょうか。
亡くなった10人の方々への深いお悔やみを申し上げます。
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大雪山と十勝連峰の中間に、どっしりと座す「トムラウシ」は旭岳につぐ北海道第二の高峰(2141m)です。
山名はアイヌ語の「水垢が多い」という意味らしい・・
「大雪の奥座敷」とも呼ばれていて、大雪山系の中でももっともアプローチの長い奥深い名山です。
私が初めて「トムラウシ」という山の名前を知ったのは、今から25年以上も前の事・・・
当時主人の転勤で札幌に住んでいましたが、春夏秋と家族で北海道の大自然と温泉を巡る旅を楽しんでいました(冬はもっぱらスキーでした)
秋の「紅葉ドライブ旅行」で然別湖の奥にある、一軒宿の「菅野温泉」に泊まった時に、カラマツ林の間からトムラウシを仰ぎ見て、宿のご主人にその名を聞いたのが最初です。
そしてその山の雄大な姿を目の当たりにしたのは「大雪山」を縦走したときです。
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H5年の丁度今頃、私たち夫婦は札幌に住む伯母のお見舞い方々北海道を訪ねて、そして南暑寒別岳の中腹に広がる「雨竜沼湿原」を歩いてから、旭岳温泉に一泊し、大雪山縦走を試みました。
その時に、旭岳や白雲岳から望んだ「トムラウシ」が忘れられません。
今から16年前の古いアルバムをひも解くと「あこがれのトムラウシにいつか行きたい!H5年7月18日」と記されています。
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今回の遭難事故でショックなのは、「ガイドが3人もいるツァー登山なのに何故

参加者15人にガイド3人のツァーと言えばとても恵まれているはず、一人15万円以上のお値段だけのことはあるなぁ~と・・・
(もっとも今回は食事の付かない避難小屋泊まりだったので、2名はガイドというよりも食料運びのポーターだったと理解していますが)
私も山を始めた最初の頃にツァーを時々利用しました。
その後、山に慣れてきてからは個人で出かけることが多くなりましたが、去年、仲間の一人が介護関係のケァマネージャーとなり、ほとんど休みが取れなくなりました。
残りの女2人での山行きは不安なので、今年はツァーを利用して「北岳行き」を考えてみようかと電話で話したばかりだったのです。
「ツァーなら何かと心強いものね」と・・・
ですから、今回の遭難事故は他人事とは思えないのです。
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私たち夫婦が「旭岳~北鎮岳~黒岳~北海岳~白雲岳」と縦走した時の7月17日はまだこんなに雪がありました。
夏山とはいえ、北海道の山は内地の山とは違います。
この時は、4人の女性グループが怖くて下れずに、私たち夫婦が通るまで人待ちをしていました。
主人を先頭に恐る恐る下ったのを覚えています。
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「山小屋の施設が完備されていない」という点も、内地の山との大きな違いです。
「旭岳~黒岳」という大雪山の中のゴールデンルートも、小屋は「黒岳石室」だけ・・・
夏だけ管理人が居て、毛布の貸し出しはしてくれますが食事はなし・・・
食材を自分で担いでいかなくてはなりません。
そして私たちが泊まった日は天候に恵まれましたが、避難小屋はとにかく寒かった

持参した夏物のシラフと貸し毛布で震えて寝ました。
カシミヤの山用のセーターを着て、その上にヤッケを羽織っていますが、それでも寒くてダウンが欲しかったくらいです。
親しくなった4人グループの女性たちは、一旦黒岳のロープウェーで層雲峡に下って温泉に泊まり、翌日再びロープウェーで上がってきて、私たちと同じコースを歩くとか・・・
それが賢明ですね。
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北海道の屋根と呼ばれている大雪山


本州の山では見られない原始の姿と雄大さに感動しながら歩きました。
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そして北海道固有の多くの高山植物も出迎えてくれました



この黄色いお花は「チシマキンレイカ」マウスオンでご覧下さい

私の大好きなハクサンコザクラよりもお花の大きな「エゾコザクラ」の群落に感激しました。
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たくさんの「コマクサ」もみられました。
マウスオンでご覧下さい

本州では白馬と八ヶ岳でしか見られない「ウルップソウ」の仲間の「ホソバウルップソウ」も・・・
16年前の紙焼きの色あせた写真ばかりで恐縮です

他にもエゾハクサンイチゲやエゾリュウキンカ、キバナシオガマにキバナシャクナゲと、数え切れない花々に迎えられ、私は歓声を上げながら、神神と一緒に舞うように歩いていたかもしれません


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大雪山での2日目の宿泊は「白雲岳避難小屋」
その後建て替えられたかも知れませんが、今でも食事は付かないはず・・・
今回遭難したアミューズトラベルのツァーの方々も、最初はここに泊まったと聞いています。
ここの次は「ヒサゴ沼避難小屋」泊まりだったとか。
トムラウシはここからまだまだ30km近くも南に離れた、遥か彼方の山なのです。
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好天に恵まれた山歩きでしたが、寒くて着膨れしている私・・・
これで風雨が強かったらスキーウエアーが丁度いいかも知れません。
ここで靴擦れに悩んでいた主人が
「もう避難小屋泊まりはコリゴリだから、下の高原温泉にいっきに下りて温泉に入りたい!、明日登る予定の小泉岳や緑岳は又の機会に来よう」と言い出しました。
まだお昼だから大丈夫?
「三笠新道を使うとおよそ三時間半で高原温泉です。熊が出ると閉鎖になりますが今はまだ通れます。北大のグループがたった今、そこを下るといって出発しましたよ」と小屋の管理人さんに言われて慌てて我々も小屋を出ました。
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写真上の台地が「ヒグマの運動場」と言われている「高根ヶ原」
カウベルだけでは心もとないので、トランジスターラジオを鳴らしながら歩きました。
大自然の真っ只中で、NHK「お昼のノド自慢」が流れていたのが忘れられません。
学生さんたちとの距離はどんどん離されていきましたが、我々もまだ40代の若さがあり、熊は夕方になると活動しだすので、頑張っていっきに雪の中を下りましたよ。
今回亡くなった方々は59歳から69歳のシニアばかりと聞いています。
何だか身につまされますね


トムラウシに登る前に、すでに過酷な二泊の「避難小屋」泊まりと、長距離を歩いての体力消耗

その上の悪天候なら、ヒサゴ沼避難小屋にもう一日滞在するのが懸命だったと思いますが・・・
ツァーだと、最終日のトムラウシ温泉の宿や帰りの飛行機も決まっていて、それができなかった事が悲劇の始まりのような気がします。
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雪の急斜面を必死で下ると「空沼」が見えてきました。
ここで足を滑らすと沼にそのままドボ~ン!です。
この先は高原の沼めぐりをしながら我々は無事に「高原温泉」に下り、その日はユックリと温泉に浸かって畳の上のフカフカお布団で眠る事ができました。
個人で行ったのでいかようにも計画の変更は出来ましたが、ツァーとなるとそこが難しいのでしょうか?
今回の遭難は、ガイドの判断ミスとマスコミでは流れていますが・・・
私が初めての北アルプスのツァー登山をした時に、二泊目の常念小屋で台風の直撃を受けました。
その時は流石にガイドさんも一日停滞の決断をしましたよ。
そして次の燕岳まで行ける人と、日程に余裕が無くて常念から下る人の二班に分かれました。
幸い常念小屋は無線の電話が使えて(食事はモチロン、生ビールもあり)、我々三人は仕事の段取りと帰路のバスの手配も出来、翌日の台風一過の晴天の中、槍・穂高を眺めながらの空中漫歩が楽しめました。
それにしても今回は想像もできないようなお天気の変化があったのでしょうが・・・
近年「トムラウシ山」には東大雪側に短縮コースが整備されて、ほとんどの登山客やツァー登山はそちらの日帰りコースを行きます。
往復9時間以上かかるらしいのですが、私ももう5歳若かったら行ってたかもしれません。
山の醍醐味は断然「旭岳」から行く方が大きいのですが、これを踏破するのはよほどの健脚者でないと無理

アミューズトラベルは利用した事はありませんが、このコースを実施していた事自体が驚きでしたね。
16年前の私の「大雪山縦走」の古い写真の数々を並べて、その時の思い出と、今回のトムラウシ山遭難事故の私の思いを絡めて、長い文章になりましたが、お付き合いくださいました方々には御礼申し上げます。