カタールのドーハで開催されたサッカー「アジア杯」は、
延長戦に入ってからの日本・李選手の見事なボレーシュートが決まり優勝しました
私はオーストラリアの凄まじい猛攻に観ていられなくなって、途中で自室に引き上げ本を読んでいましたが、
主人の歓声で再びTV観戦・・・
表彰式の後、金色の紙ふぶき舞うスタジアムの上空をドカンドカンと打ちあがる花火まで見ましたよ。
結局昨夜寝たのは3時半
ドーハと言えば93年10月28日、W杯アジア最終予選でイラクに引き分け、
初の「ワールドカップ世界大会」の出場が断たれた「ドーハの悲劇」を思い出します。
カタールと言う国が一体どこにあるかご存知ですか
中東の「サウジアラビア」の東側にチョコンと突き出た(アの字の上)おへそのような半島が「カタール」
人口は約165万人、国土の広さは「秋田県」と同じくらいなのだそうです。
所で話は変わりますが「エジプト」の首都カイロが大変なことになっているようですね。
地中海に面した「チュニジア」に政変が起こり、その影響で「エジプト」も反政府デモや騒乱が拡大中・・・
30年にも及ぶムバラク大統領の強権支配にエジプト国民の怒りが爆発したのでしょう。
こちらの画像は「カイロ」市内の高台にあるアズハル公園から望んだ「カイロ」の街。
砂漠渡りの砂で、街はボンヤリと霞んでいます。
丁度1年前の1月29日・30日・31日とツァー旅行で「カイロ」にいました。
私の「エジプト紀行」は未だに南部のアスワンから古都「ルクソール」の手前でストップしたままです。
順序が逆になりますが、ルクソールから空路「カイロ」に戻った時の
カイロ市内の様子を先にUP致します。
ナイル川河畔の交通の要衝として中世に建設され、
現在にいたるまでイスラム世界における学術、文化、経済の中心都市でありつづけたエジプトの首都カイロ。
近郊を含む都市圏人口は1100万人で世界第17位、アフリカでは第1位だそうです(ウィキペディアより)
丁度私たちがカイロに着いたこの日はイスラームの休日である「金曜日」
街中から湧き上がるような「コーラン」を唱える声に圧倒されました。
紀元639年、イスラーム軍のエジプト侵攻によりエジプトのファラオが治める古代時代が終わり
イスラーム国家としての新しい時代が始まりました。
現在では国民の9割がムスリム(イスラム教徒)で、
カイロの街は美しいイスラーム建築が建ち並ぶアラブ文化圏の中心の一つです。
近年地方からの出稼ぎ労働者が増え続け、カイロ中心街の人口密度は高くなる一方で、
古い建物とビルが目立ち、治安も良くなく街並みも綺麗とは言いがたいものがあります。
この公園の展望台から「カイロ」の街を撮影していると、日本で言えば中高生くらいの少女が2人
「私たちと写真を撮りませんか?」みたいな感じで話しかけてきました。
好奇心旺盛な我々4人のおば様たちは自分のカメラで、彼女達との写真を撮り合いましたが・・・
最後に彼女達から出た言葉は「1ダラー」
以前にも記しましたが、エジプトには義務教育はありません。
アスワンやルクソールでは、父親の仕事を手伝ういたいけな子供達をたくさん見ました。
叉「パクシーシ」というチップを要求するような行為も、イスラムの精神からすると
金持ちが貧しい人たちに施しをするのは当たり前の事なだそうです。
でもでも・・・
私たちは可憐な少女達にいきなりお金を要求されたことがショックで
(彼女達の名誉のために画像を加工します)
孫をたしなめるようにボールペンを渡し「これでお勉強してね」みたいに諭しましたわ。
この前年に行った「インドネシア」の女学生達が、英語の勉強のために熱心に話しかけてきたのと大違いで・・・
エジプトの人々は、観光客相手に大人も子供も
実に大らかでしたたかに生活している感じが致しますわ
「ハン・ハリーリ市場」
カイロ観光の人気のスポット「ハン・ハリーリ」
ハンとは隊商宿のことで、かってこの一帯にたくさんあったそうです。
ここはツァーバスが停車する「エル・フセイン広場」
カフェやレストランが並びます。
この右手の横丁がメイン通りの「エル・バデスタン通り」
東京で言えば「秋葉原」&「アメ横」でしょうか?
メイン通りとは思えない狭い横丁を、最初はツァーの皆で一緒に歩きます。
珍しいものがいっぱい並びます | 700年前に建った「バデスタン門」 |
私たちはエジプト現代ポップス音楽のCDを購入 | 奥へ奥へと進むと道は細くなり迷路のように |
アンティークショップには掘り出し物が? | 摩訶不思議な品々が並びます |
更に奥へと進むと、もう観光客の姿も殆んど見えません。
いかにもイスラムの世界に相応しい風景が広がっていました。
ただし、この市場は以前爆弾テロ事件があり、フランス人の観光客が亡くなりました。
あちこちに警官の姿も見られて・・・
私たちもこの辺で引き返しました。
イスラム地区の「ハン・ハリーリ」を後にして、カイロの街の中をバスで走ります。
高層マンションがたくさん並んでいました。
これで日本円にしたら4000~5000万円はするそうです。
ガイドのモモちゃんの話しでは、カイロでの一ヵ月の生活費は最低20万円はかかるとか・・・
それって一所帯での話し?
モモちゃんには三人の奥さんがいるということですが、果たして本当かしら?
南部のアスワンでは可能だった一夫多妻も、マンション暮らしの上に物価高のカイロでは難しそうでした。
婦人服を扱っているお店のド派手な品々にビックリ
「夫以外の異性に肌を見せてはいけない」というオキテを守る敬虔なムスリムの女性でも
ブルカの中は御洒落に装っているようですね。
エジプトのそんなこんなの落差には常に驚かされました
28日現在、日本の各旅行社のエジプトツァーは中止ではなく「カイロ」を外して催行と新聞に記されていました。
「カイロ」のすぐそばにあるエジプト観光の目玉、ギザのピラミッドは見られるのでしょうか・・・
今出かけている方々の安否も気になりますね。
エジプトの騒乱がこれからどのように発展していくか、注意深く見守っていこうと思っています。
この一週間、母の病院転院のことで、ケースワーカーさんとの話し合いが続き
更に紹介された転院先の候補病院を何軒か訪ねて面談・・・
仕事もあったので、疲れ果ててヘトヘトになった一週間でした。
来週は受け入れ先のベッドの空きと、母親の体調次第で転院です。
相変らずバタバタしそう・・・
更新がままならず、お訪ねいただいた皆様にご迷惑をおかけしてスミマセン
落着くまで、もう少しの辛抱だと思っています。