花と緑を追いかけて

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映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

エジプト紀行18・ルクソール「王家の谷」

2011年03月05日 | エジプト紀行
3月4日・冬に逆戻り・・・

「雛祭り寒波」がやって来たそうで、今週は冬に逆戻りしたような日々が続きました。
4日にようやく青空が広がりましたが、三月とは思えない寒さ

この日は我が家の2Fから富士山がクッキリと見えていたので、
朝の家事の後、歩いて5分の裏の高台に登ってみました。

ここからは富士山が若干中学校の校舎に邪魔されますが、右手に丹沢が良く見えるのです。


左端の「大山」の右奥に、雪に輝く丹沢主脈のトレイルが連なっていました。
三脚を立てて、300mmのレンズを取り付けました

ここで写し終えてから、我住宅地の南端にある富士山の絶景ポイントの公園に移動しましたが
10時を過ぎて雲が沸きだしてしまい、残念ながら写した画像は没となりました。

公園でゲートボールをしてたオジさんに
「今朝の富士山は素晴らしかったよ。もう1時間早く来なくては・・・」
と言われてしまいました。

3月5日・何となく春の気配が・・・

そして今日、掃除は後回しにして朝8時半過ぎに我が家を飛び出し
車で「南公園」に行って見ましたが・・・
富士山が何となくボンヤリと霞んでいます


雪がスッキリと白くないのです。
風は相変らず冷たいものの、空の色も春めいています。
この微妙な違いが分りますかしら?

黄砂現象? スギ花粉?
クシャミが連続して出て、目がピリピリと痒い・・・
(この歳で目の周りがかぶれると、ダメージが大きいのですがね~

私、最近まで「花粉症」はありませんでしたが、
3年前の3月、パースから帰ってきた時、生まれて初めてアレルギー性鼻炎に罹りました


ご近所のお宅の「ミモザ」が花盛り

このお花はオーストラリアの国花「ワトル(アカシア)」にソックリです。
それもそのはず、同属のお花のようですね。

パースの春はこのお花とともにやって来ます

9月になると、野原にはワイルドフラワーが咲き乱れ、道路は黄色いアカシアのトンネルができます。

私もワイルドフラワーに憧れて、春の9月に一度パースに行った事がありますが・・・
再び行くとしたら、是非春のお花が咲き乱れる季節に訪れたいですね。

パースでもし花粉症が出るとすれば、この「ワトル(アカシア)が原因」と聞きました。

それぞれの国に、それぞれの「春を感じる風景」がありますが・・・
「砂の国」エジプトの春はどんな状況なのでしょうか?


       

前置きが長くなり申し訳ございません
これからが本題のエジプト紀行です。


私達一行は「ハトシェプスト女王葬祭殿」を見学してから、
この岩山の反対側にある「王家の谷」に向いました。


近辺には盗掘村として有名な村があります。

現在はアラバスターを加工して土産物を売る生活をしている人が多いのですが、
紀元前の昔から、住民の殆どが王墓からの盗品を売って生計を立てていたそうです。

盗掘も一つの職業で、家業として代々受け継がれたそうな
私たちは「王家の谷」に行く前に、この村のお土産屋さんに寄りました。


この村の家々の外壁には多くのが描かれています。

モモちゃんの説明では、旅行で行った先の風景や乗った乗り物などの絵が多いそうですが
奥さんや子供たちの絵もあり、その人数が一目瞭然・・・
この家は、3人の奥さんに5人の子供


アスワンの村は第一夫人と第二婦人は一階と二階に分かれていましたが
ここでは皆一緒に暮らしていて、奥さん同士は平等に扱われるのだそうです。

助け合いの精神が第一のイスラームの世界ですが
やはりこの家族関係は理解できない部分が多いですわ

アラバスターの石の説明を受けます。店内の商品はそれなりにお高いです!

アラバスターは柔らかな石で、光を透過する独特の質感を持っています。
磨くと非常に美しいため、古くから採掘され、様々な装飾品や美術品が作られ、人々に愛されてきました。

「王家の谷」
この地区はすべてカメラ撮影は禁止でした 
カメラは必ずバスの中に置いて行くよう指示されました。守らなければ罰金2万円だそうです
以下の画像はガイドブックよりお借りしました。


紀元前1500年頃にトトメス1世が、このピラミッド型山裾の谷に初めて岩窟墓を建設。
現在62基の王募が確認されていますが、盗掘を免れたのはツタンカーメン墓だけのようです。


私たちは「ツタンカーメン王」「トトメス3世」「ラムセス6世」の三つのお墓を見学したと記憶しています。


下降通路から前室、そして棺のある玄室という構造が一般的で
壁面には再生復活を果たすための宗教文書と絵が施されています。

3500年以上も前の絵とは思えない・・・鮮やか色彩に驚かされます

それに引き換え、ツタンカーメンの墓の内部はかなり貧弱で狭くて装飾もわずかです。

少年王ツタンカーメンはたいした業績もなく、後世のファラオにより彼の記録は徐々に消されていきました。
王家の谷のどこに埋葬されたかという記録も残りませんでした。

埋葬記録のないツタンカーメンの墓の上に別のファラオが墓を作りました。
ラムセス6世です。

死後の復活を信じていたラムセス6世の大きな墓は荒らされ、副葬品は永遠に失われましたが、
その下にひっそりと眠る少年王の墓は3000年以上も人前にさらされることはありませんでした。

黄金のマスクや装飾品の数々はカイロの「エジプト考古学博物館」に納められていますが
そのミイラは現在も自分の墓で眠り続けています。

玄室には石の棺があり、その中には人型棺、その中にツタンカーメンのミイラが眠っており
この様子は薄暗い中、ガラス越しに見ることが出来ました。

尚、ツタンカーメン王の埋蔵品の中には王妃が愛情の印しとしてたむけたであろう
野の花の花束があったそうです。

テーベ(ルクソール)には季節を感じる可憐なお花が、昔から咲いていたのですね。


「王家の谷」の見学を終わり、バスでナイル川の船着き場に向う途中に「早稲田ハウス」がありました。
エジプト政府から貸与されているそうですが、立派な建物ですね~

吉村作治先生が在宅の時には屋根の上に旗が揚がっているそうです。
この日は不在のようでした。

ナイル川

西岸観光のあとはモーターボートでルクソール東岸に渡ります。


お昼を過ぎて、ますます直射日光も強烈になってきましたが、ナイルを渡る風は爽やかでした。

東岸の船着き場横のレストランで昼食タイムです。

前日の夜と殆んど同じ「ケバブ料理」・・・デザートのアイスクリームも甘すぎるぅ-

欧米の団体ツァーはビュッフェ料理を食べていましたが、我々はいつもの炒めご飯にお肉・・・
流石に毎度同じようなお料理に食傷気味です。


食事の後は一度ホテルに戻ります。

ナイル川の向う側に、見てきた王家の谷のある山々がボンヤリと見えていました。

王家の谷の近くに「王妃の谷」もあって、
ラムセス二世の寵愛を受けたネフェルタリの墓もあるらしい・・・

壁面を飾る絵画が素晴らしいと聞いています。
今回、これを見なかったことが唯一悔やまれました。

エジプトの3~4月は砂嵐が多いそうです。
この地の春は「砂」と共にやってくるようですね




コメント (32)
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