今週は積雪の予報は外れましたが
雨に雷に雹と、お天気の急変に振り回されました

三連休の初日にようやく安定しましたね。
父は時々発熱はあるものの、入院時に見られた呼吸の乱れはなくなりました。
少しホッとしましたが、まだまだ安心はできません


雨のMM21(12月19日・木)
師走の慌しい中、三ヶ月前に申し込んだカメラの講習会&撮影会に
カメラ仲間のSさんと参加してきました。
題して「夕景&夜景を撮ろう」です。
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この日は生憎朝から雪ならぬ雨



午後に2時間の講習を受けた後、イルミネーションが輝くMM21に
カメラ&三脚を抱えて繰り出しましたが・・・
傘をさしての撮影で、レンズに水滴が付きまともに撮れませんでした。
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講師は「雨ならばこその映り込みを狙いましょう」と熱心に語りますが・・・
冷たい雨に我が身とカメラが気になり、早々にカメラをザックにしまいました。
千葉や埼玉など遠くから来ている人は熱心に撮っていましたが
私とSさんは「近くだから、ポイントだけ聞いて来週出直そう」となりました。
それでも雨の中、桜木町からレンガ倉庫まで歩いて往復したので
着ていたダウンコートも濡れました

山も体を張っての趣味ですが、カメラもそうだったとは

「初冬の箱根路」(12月10日~11日)
さて、ここからが本題です。
お正月に向けて連日仕事で大忙しの主人が
11月が好天に恵まれ、仕事も順調にこなせたから
「一泊の温泉旅行に行こう

そこで急遽実現したのが「箱根一泊ドライブ旅行」です


(父の2度目の入院騒ぎはこの3日後でしたから、気楽に行ってきましたよ)
「甘酒茶屋」
最初に向かったのは比較的遅くまで紅葉が見られる畑宿
そしてその先の旧道「甘酒茶屋」です。
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400年あまりの歴史をもつこの茶屋は、畑宿と箱根宿のちょうど中ほどにあります。
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かつては周囲に数件あった茶屋も、現在ではこの茶屋一軒に
なってしまったという。
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箱根の関所を控えた場所に建つこの茶屋は、
これから関所を通ろうとする旅人にとっては身支度を整える場所であり
関所を通過することができた旅人にとっては、安堵のため息とともに
小休止をとる場所だったでしょう。
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薄暗い店内の囲炉裏の周りには、ハイカーたちが思い思いに甘酒をすすり
力餅を食べていました。
紅葉は流石に終わって初冬の風情でしたが、
撮影場所としては絵になる風景ですね。
「お玉ヶ池」
箱根町方面にそのまま上っていくと池が現れます。
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池の向こうの山が双子山。
この池の畔で「少女玉」が獄門に処されました。
元禄15年(1702年)2月10日の夜、江戸に奉公に出されていたお玉は
南伊豆町の農家の親元に戻る途中、箱根関所裏山を越えようとした所で
あえなく、関所役人に見つかり、翌朝お白州を受けます。
年齢は17歳、丸顔、色白の少女だったそうです。
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箱根の関所は「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まっていました。
江戸時代300年間、様々な事情で通行手形を所持せず
関所を通る人も居たようです。
その場合、関所近くの顔役に事情を話し、金銭で護符を貰い
関所を通ることも可能でした。
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お玉のように打ち首、さらし者にされた人は300年で20人だったそうです。
ですから、お玉は稀な世間知らずか事情があったのでしょう。
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双子山の姿を水面に映した冬枯れの池は、お玉の悲劇が重なり
陰鬱な雰囲気でした。
周囲には木道が巡らされていましたから、春には花々が咲き
印象が違うことでしょう。
昔、息子が小学校の低学年だった頃、家族で箱根の関所から杉並木を通り、
畑宿までの石畳の旧道ハイキングコースを歩いたことがあります。
春になったら友人を誘って、歴史を味わいながら歩いてみたくなりました。
強羅でランチ
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11時40分、そろそろお腹もすきました。
昼食はガイドブックやTVでも紹介された、強羅の「たむら・銀カツ亭」で

行列必死の有名店らしい・・・
入り口に整理券発券機が設置されていて、20分くらい待ちました。
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「トンカツ屋に来たんだから、食べるのは肉でしょう」ということで
我々は名物料理の「豆腐カツ煮」はオーダーしませんでしたが
大勢の人が食べているところを見ると美味しいのでしょう・・・
次回来ることがあったら食してみたいと思いました。
仙石原のススキ
強羅からこの日泊まるホテル近くの「仙石原」に来ました。
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父が最初の入院で無事に退院したとき(11月19日)
私は紅葉と温泉を楽しむべく、すぐにでも箱根に飛んできたかった

あの時ならまだ紅葉で有名な「箱根美術館」も「長安寺」も
紅葉が楽しめただろうし、仙石原の黄金色のススキも輝いていたはず・・・
でも主人は仕事とゴルフで忙しくて時間が取れないし
友人達もスケジュールが合わず、私一人で車を運転して行く勇気もなく、
鎌倉の紅葉で満足した次第です。
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でもやっぱり未練があって、「12月のススキなんてもう枯れ尾花だぞ」と
主人に言われながらも、湿性花園そばのススキヶ原に行って見ました。
6年前に来た時は10月中旬、ススキは夕日を浴びて黄金色に輝いていました。

今回は生憎の曇り空で、一人で撮影していると寂寞感に襲われました。
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左手にお馴染みの金時山が見えていて・・・
何となく懐かしい故郷の山のような気がして救われました。
仙石原は江戸時代初期まで「千石原村」という地名でした。
昔は一面、樹木もない広大な原野が広がっており
ここを開墾すれば千石もの穀物が穫れるだろうということで名づけられたとか。
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しかし火山灰土壌と湿地のため、それは夢と終わり、屋根葺き用のカヤを
近隣の村に出荷するのが主な仕事だったそうです。
カヤ、すなわちススキです。
いまは美しい風景として、特に秋には多くの人たちに楽しまれていますが
昔は生活の大事な糧だったのでしょうね。