そして昨日の阿蘇山爆発のニュース・・・
桜島の噴火も活発で、島民の一部避難のニュースを聞いたのも最近だったような気がします。
災害列島日本で生活するには覚悟が要りますね。
もう一度、改めて避難袋を点検しましたよ。
今回の水害では日光の鬼怒川温泉にも被害が及び、これからの紅葉シーズン
観光客の減少が気になります。
阿蘇も然りで、風評被害が心配ですね。
そんな中、日光と並ぶ関東の観光地「箱根山・大涌谷」の立ち入り禁止地区が一部緩和され、
噴火警戒レベルをレベル3から2に引き下げられたニュースが唯一救われました。
お盆の家族旅行は「箱根」
息子は例年通り、夏休みの旅行は「箱根の保養所」を2泊予約しました。
毎年、我ら夫婦とお嫁ちゃんのご両親も一緒に集まる、恒例のイベントです。
去年は夫が入院したので我が家はパス
楽しみにしていた子供たちのために、息子一家だけ決行・・・
その間夫が重篤となり、息子は連日電車で病院に通ってきましたわ。
あれから1年、私は8月15日の一日だけ参加、午後から電車で箱根に向かいました。
横浜のお盆は7月ですが、それでも旧盆中誰かがお線香をあげに来るかもしれない・・・
それに元気な孫たちと一緒の行動は、3日前に木曽駒ヶ岳登山をしてきた身には到底無理
保養所から見える箱根山・・・
この山の向こうが大涌谷だと思います。
登山電車の駅まで息子に車で迎えに来てもらい、私は午後4時頃合流・・・
すぐに温泉に入って、皆と夕食とを楽しみました。
そして食後はお部屋で全員揃ってカード遊びの「ウノ」で勝負・・・
(昔はもっぱらトランプ遊びが主でしたがね)
孫たちは前日、朝から夕方まで熱海の〇〇ホテルのプライベートビーチで海水浴
そしてこの日は箱根の「ユネッサ」でプールだったそうです
そしてお嫁ちゃんのご両親は二人で「箱根湿生花園」と「ガラスの森美術館」に行ったとか・・・
私も夫と何回か行きましたよ。
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いつもは8人だったこの集まり、今年から7人になりました
テーブルに座るのもバランスが悪いですね。
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ば~ばはハー君と真剣勝負、その後オトータンが相手をしてくれました。
以前は父子で真剣勝負をしていた息子こちらで紹介しています。、
母親には優しい玉を打ち返してくれましたわ。
午前10時半に宿を出発し、息子一家は箱根湯本のアスレチック公園で遊ぶとか・・・
お嫁ちゃんのご両親はそのまま横須賀に帰るようです
冬に体調を崩したお母さんも元気になられて良かったですね。
私もアスレチックに誘われましたが、木曽駒ヶ岳登山の疲れも残っていて
「お父さんが待っているから、電車で帰るわ」と、息子の車で湯本まで行き駅で降ろしてもらいました。
やはり相方がいないということはとても淋しいことなのです
この時の箱根山はまだ噴火警戒レベル3で、箱根の観光地は閑古鳥が鳴いていると思っていましたが、
お盆の期間中は車も渋滞、保養所も満室でした。
箱根湯本から箱根登山鉄道に乗り、小田原に出ました。
このまま家に帰るのも味気なくて、デジイチ持ってきたのだから、月に一度の写真サークルに
提出する作品を狙わねばと、駅から歩いて10分の小田原城に行ってみました。
小田原城の天守閣はナント、改修工事中で中には入れませんでした。
工事期間などの詳しい情報はこちらでどうぞ
「小田原城」散策
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって
関東での勢力を拡大していきました。
小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ
総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより
北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
この日の箱根はうす曇りで涼しかったのですが、小田原まで下ると暑い暑い
それでも若い方々の見学者が、それなりにいましたわ。
銅門(あかがねもん)
馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。
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常盤木門
このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、
他の門と比べても大きく堅固に造られていました
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あまりの暑さに撮影意欲も減退し、サークルに持って行けるような画像は撮れませんでした
重機が並ぶ小田原城、この時は辛うじて全景が見られましたが、
ホームページによると今は幕で覆われているらしい・・・
息子が高校に入学した春に(今から28年前)、旅行会社の広告を担当していた夫が
「伊豆の高級ホテルに泊まらせてやる」と言って、家族で二泊三日の伊豆旅行に行きました。
泊まったホテルは今はない下田の「黒船ホテル」だったような・・・
その帰りにこの「小田原城」を見学し、天守閣に登った覚えがあります。
その時のことを思い出しながら、私は電車で帰途に着きました。
案の定、弟と私の友人たちからお花が届いていたようで・・・
不在票が何枚もポストに入っていました。
旧盆が明けるとすぐに夫の一周忌
この一ヶ月、多くの方々がお線香をあげに来てくださったり
お花やお供物を送って戴いたりで、私は接待と礼状書きに追われていました。
皆様、夫の事を覚えていてくれてありがとうございました