花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(その2)と、GWの断捨離

2020年05月10日 | 鎌倉散策
大型GWも5月6日で終わり(私的には10日までがGWでは?とも思いますが)
緊急事態宣言は5月の末まで延びて、相変わらず外出自粛生活は続いています。

全国の新型コロナウィルス感染者は国民一人一人の「我慢」が効いて、減少傾向にあり
TVのニュースなどを視ると、少し気分が緩んでいるのではないかと感じられますが・・・
今後が大いに気になる所です。



先週、我が家のバラ「クィーンエリザベス」も咲き出しました
早速手折って、夫の遺影の前に飾りましたよ。

新緑も美しくて一年中で一番良い季節、私の一番好きな季節なのです



夫が買って北側に植えた「箱根更紗ドウダン」(更紗満天星)も地味に見頃です。

前回のマイブログでは「私のGWは晴耕雨読です」と書いたのに、息子の一言で
このゴールデンウィークは大々的な「断捨離」作業で、三日間費やしました

もう全身筋肉痛でヘロヘロ、詳しくは文末で記しています。



こちらはお嫁ちゃんから少し早く届いた、母の日の「カーネーション」
バームクーヘンが一緒に入っていて、お三時に食べています。ありがとう

まずは自分自身の記録の為に少しづつUPしている、2月22日に行ったワンゲルの
第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」の続きを綴りたいと思います。

ワンゲル第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」その2(2月22日)
(今回から何カ所目のお寺なのかを、番号付けて行こうと思っています)

この日はプロローグ編で紹介した「瀧口寺」の山号を付けたお寺を中心に
鎌倉の腰越地区のお寺を巡りました。

⑮龍松山「本行寺」(日蓮宗)
道路に面して1階は駐車場、2階は本堂、3階から上は住居のように見えます。
石碑に龍松山本行寺と書かれていますが・・・

普通のお寺と違ってビルになっていて、私たちは表階段を登って行きました。



戸が閉まっていて中は見えません。
リーダーに渡された資料には「祈祷道場の石柱があるが特に見るものなし」
とそっけなく記されていました

⑯小動山「淨泉寺」(真言宗)



新田義貞の稲村ケ崎越えを見守った真言宗の古刹、空海が開いたと伝わるお寺さんです。



左剣不動明王という左に剣を持ち腕を交差させた不動明王が御本尊。

小動神社(こゆるぎじんじゃ)のすぐ向かい側にある赤い門が「淨泉寺」の入り口ですが
私たちは横から出入りしたので、写真は撮りそこないました

⑰龍口山本成寺(日蓮宗)
日蓮宗の聖地・龍口を支えた腰越六寺のひとつで、腰越の住宅地にひっそりと建つ、日蓮宗のお寺さんです。



本堂前にある松は見事なもので、いかにも松らしい美しさ

このシリーズ2のプロローグ編で紹介した、日蓮上人が仏法の力によって処刑を免れた
といわれる聖地・龍口刑場(後の龍口寺)を護持するために建てられた腰越六寺のひとつです。



龍口寺には選任住職は置かれず、腰越六寺が輪番で維持しました。

その後、藤沢市片瀬のふたつの寺院を追加し龍口寺輪番八ヶ寺となり
明治19年(1886年)龍口寺に住職が置かれるまでこの制度が続きました。

⑱瀧口山本龍寺(日蓮宗)
日行上人を開山に、乾元元年(1302年)に創建された、龍口寺輪番八ヶ寺の中では最も古いお寺です。



龍口寺輪番八ヶ寺とは、片瀬常立寺、本蓮寺、腰越本龍寺、勧行寺、法源寺、妙典寺
本成寺、東漸寺の八ヵ所。



唐破風玄関に龍の彫刻が見え、木鼻も龍であるのは珍しいとか・・・



本堂横にはたくさんのサクラソウの鉢が並んでいました。

我々が訪ねた2月下旬に咲いていたのはクリスマスローズたくさんの鉢に多くのクリスマスローズが咲いていました

ランチは皆揃って「シラス丼」セット
寒い季節の鎌倉歩きは持参のお弁当を食べる場所も限られます。
それでリーダーが貸し切りで予約してくれたのがこのお店



新型コロナのニュースが日に日に大きくなってきた頃でしたから、朝の集合時リーダーから皆に
ジプロッグに入ったアルコール消毒薬を浸したティッシュが配られました。

シラスのかき揚げも付いて、凄いボリュームにビックリイワシのつみれ入りのお吸い物も美味しい

お腹が苦しくなり少しご飯を残しました、これで税抜き1380円とはお安いです
一同大満足で次のお寺を目指しました。

私はこの2月22日以来、仲間との外食はしていない、日々淋しい個食が続いています

GWは息子と二人で「断捨離」
最近あちこちで地震が頻発し、首都圏は緊急地震警報が二晩続けて流れて
怖い思いをしました。(あの音を聞くだけで心臓に悪い!)



5月3日、犬の小太郎の散歩がてらやって来た息子
いつものように父親の遺影の前で手を合わせてから、二階の元自分の部屋に行き

「お袋、本箱移動しないと地震が来た時逃げられないぞ」とつぶやきました。
今は私が寝起きしている部屋になっているのです。



それから始まった「断捨離」
5月4日の朝9時半から夜の7時近くまで、夫のベッドと本棚一つを解体し中の本200冊以上を破棄
残りの二つの本棚や机も納戸(元寝室)に移動し、私の部屋から棚類を無くした。


今までもベッド近くに本棚は置いていませんでしたが、上の三つの本棚が私の部屋にあったのです
ベッドが無くなった10畳の寝室を納戸とし、そちらに移しましたよ。

正面が入り口ドァー、右がクロゼットで左側に本棚が並んでいた漸く自分のベッドで眠れます。飛騨の家具は兎に角重い!

息子がサラリーマンになって、時々家に戻って来た時に使っていたソファーベッドは
寝心地がイマイチだったのです

通路がすっきりしたので、就寝時地震が起きたら何とか部屋から逃れられそうです。

写真左端の梯子は、ロフト(4畳半の屋根裏部屋)用ですが、嗚呼ロフトにも
息子のスキー道具と漫画本が山のように置いてあるんだわ



ベッドが二つに箪笥が2竿占領していた主賓室は、季節の変わり目の衣類や布団類を取りに入るだけで
この5年半は雨戸も閉めっぱなし・・・
それが日当たりの良い明るい納戸に生まれ変わりました。

夫のベッドが無くなると、気持ち的に少し解放され踏ん切りがついた感じがします。
夫が突然亡くなって、この8月で6年になりますものね。

私の手が届かなかったクロゼットの上の天袋も息子に整理してもらいました。
出た一般ゴミは90Lのゴミ袋6個分と電ノコで切った木材類

それを5月5日(火)の一般ゴミの日に、ゴミ収集ステーションに運ぶまでを
息子に協力してもらいました。

後は本類や衣類の資源ゴミと、有料の大型ゴミに出す品々がマットレスを含めて3個
今駐車場に入れていますが、徐々に捨てていくしかありません。

我が家は門から玄関までが10段、玄関から二階までの階段が14段・・・
私は2日間で合計24段の階段を50回くらい往復した感じです

部屋は大部片付きましたが、三日目は体中が筋肉痛で、足腰は重くてダウン寸前でした





コメント (18)
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