社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「終末期相談支援料は凍結へ 退院調整の取り組みはこれから」 日経ヘルスケア 2008.6

2008-11-13 14:11:00 | その他
遅ればせながら、後期高齢者医療制度についてきちんと整理をしたいと思い、この雑誌を手にした。そのなかの特集の1つ。

7月から凍結状態となっているようだが、その後の進展はどのようになっているのだろうか?賛否両論があるが、政治家が関心を持ち始めたことは、評価できるのではないかと思う。

この特集にも、「賛」「否」の声として、在宅医のコメントが掲載されている。
在宅療養支援診療所の創設と同様、これまできちんと取り組んできた実践者を後追いで評価していることについて、「賛」とする医師。様々な処置の希望について、「患者本人の同意」というのは、認知症患者を診ているなかで、活用の壁になっている等、「否」の意見を持つ医師。
同じ「在宅医」という立場であっても意見が分かれてしまうのだから、実際の運用はとても難しくなるであろう。


この記事のなかで、少しだけ気になるコメントがあった。
在宅医のコメントで、「終末期に関する患者やその家族との話し合いは、これまではボランティアとしてやってきた。そこまでできるのが、かかりつけ医のかかりつけ医たるゆえんでもあり、…」という箇所がある。

私はこの「ボランティア」という表現に違和感を感じた。
もしかしたら、とても時間を要することなので、それに費やす時間を「ボランティア残業」ということも含めて用いたかもしれないし、メンタルな部分で、とてもデリケートな問題であるから「慈愛」的な意味や、「医学のみの範疇とはとらえずに…」という意味合いで、「ボランティア」を用いたのかもしれない。

しかし、「終末期をどこでどのように誰と過ごすか」という問題は、余命の告知を受けている方のみならず、医療的なケアが必要な方には、重要かつ「核」になるもので、いわば「援助の中核」となるべきだと思う。そのため、医師にとっては診療計画を検討する上で、看護師やソーシャルワーカーなども、各々の援助方針を検討する上での「基盤」となるべきことである。

終末期をどう支えるかは、何かの追加事項としてとらえられるのではなく、援助の一環として取り組まれるべきものであろう。
コメント
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