『ソーシャルワーク研究』Vol.33 No.3 2007
事故によって頭部外傷を負った当事者(Aさん)の語りに着眼。
その当事者が利用している福祉施設の職員が、インタビュアーのような立場をとり、対話を通して「思い」を聞き、ストーリー分析をしている。
ニーズについて、支援者からの評価ではなく、実際に支援を受けている(サービスを利用している)立場からの「見解」を導き出している。
Aさんは、受傷後おそらく1年近く入院し、リハビリ等を経て在宅生活を始めている。1年が経過し、サービスを利用し始めてもなお、現状を受け入れられず…というよりも、「治るものだ」と疑わない気持ちが、切々と語られている。
援助する側からすると、「受傷1年」ということで、「障害受容はできている」と考えがちではないだろうか。
そして現状をきちんと理解できていない様子をみて、「高次脳障害ゆえに、理解力も落ちている」と認識してしまうことも、あるのではないだろうか。
「障害者のことは障害者しか分からない」と、自立生活運動を活発に行っている障害者団体もいる。
その人の「思い」は、援助者の「経験知」では決してはかることはできない。
そのことを痛感させられた。
事故によって頭部外傷を負った当事者(Aさん)の語りに着眼。
その当事者が利用している福祉施設の職員が、インタビュアーのような立場をとり、対話を通して「思い」を聞き、ストーリー分析をしている。
ニーズについて、支援者からの評価ではなく、実際に支援を受けている(サービスを利用している)立場からの「見解」を導き出している。
Aさんは、受傷後おそらく1年近く入院し、リハビリ等を経て在宅生活を始めている。1年が経過し、サービスを利用し始めてもなお、現状を受け入れられず…というよりも、「治るものだ」と疑わない気持ちが、切々と語られている。
援助する側からすると、「受傷1年」ということで、「障害受容はできている」と考えがちではないだろうか。
そして現状をきちんと理解できていない様子をみて、「高次脳障害ゆえに、理解力も落ちている」と認識してしまうことも、あるのではないだろうか。
「障害者のことは障害者しか分からない」と、自立生活運動を活発に行っている障害者団体もいる。
その人の「思い」は、援助者の「経験知」では決してはかることはできない。
そのことを痛感させられた。