ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ドカ雪が 降った後

2024-01-27 11:59:20 | 北の湘南・伊達
 新年を迎えても、当地は暖冬だった。
とにかく雪がない。
 降っても、うっすら雪化粧程度で、
その雪も数日でとけてしまっていた。

 ところが成人の日の朝だ。
珍しく目覚めが早かった。

 カーテンの隙間から漏れる明るさに、
違和感が。
 日の出には、まだ2時間以上もあるのに、
ほんのりと外が明るいのだ。
 「もしや」と起き上がり、カーテン越しに外を覗いてみた。

 新雪が防犯灯の光を受け、周囲を明るくしていた。
止めてある愛車を見た。
 やや離れているが、車の屋根に雪が、
30センチも積もっているように見えた。
 全く気づかない深夜の積雪であった。

 「まだ冬休み、その上今日は休日だ!」
登校する子ども達はいない。
 通勤の人もいないだろう。
「急ぐことはない!
 朝食を済ませてから雪かきにしよう!」
再びベッドへ戻った。
 
 朝食後、身支度を整え、いよいよ雪かき。
玄関の扉を押す。
 思いっきり力を入れ、ようやく外に開いた。

 玄関先まで雪が積もっていた。
「珍しい!」
 12年前の大雪以来のことだった。 

 これは大変な雪かきになる。
長時間を覚悟した。
 ペースダウンして、体力を考えながら、
大雪に挑まなければならないと決めた。

 いつものように、家内とはエリアを分け、
黙々と作業を始めた。

 お向かいさんも左隣りさんも、
同じような時間から、雪かきを始める。
 みんな、いつもよりゆっくりとした調子で、
雪を集め、移動させていた。


  ⑴ 雪かきの最中
 
 ① 雪かきを始めて、やや時間が経ってから、
右隣りのご主人が出てきた。
 私に挨拶をし「随分降りましたね」と、
車へ向かった。

 雪かきではなかった。
この積雪の中、お出かけするようだ。
 エンジン音がして、しばらくすると
車はバックで駐車場から出ようとした。

 それは無茶なことだった。
車道までの数メートルを進まないうちに、
車は雪に阻まれ、車輪が空回りを始めた。 
 車体が雪の上に乗り上げたのだ。

 そのまま見過ごす訳にいかなかった。
雪かきを中断し、
スコップを持って、近くから数人が集まってきた。

 車道までの積もった雪を除け、車両下の雪もかいた。
15分程度で、
車は圧雪された車道まで出ることができた。

 ご主人は、これから登別のスキー場へ行くと言い、
「冬休み中は、スキー教室があるので」
と、言い残して出発した。
 無事に、着くことを願った。

 しばらくして、奥さんが雪かきを始めた。
まだまだ作業途中の私に、
ご主人の車脱出のお礼を述べた後、こう言った。
 「スキー場の辺りは、
全然雪が降らなかったって、
主人から連絡がきました」。

 私は、信じられない思いで、
「そうですか!
 そう遠くない所なのに、天気って違うんですね」。

  ② その直後だ。
3軒程離れたご近所の奥さんが、
我が家の脇にあるゴミステーションまで来た。

 雪かきする私たちとは大違い。
軽装だった。
 長靴でもなく、エプロンに厚手のカーデガン姿で、
片手に大きなゴミ袋を提げていた。

 私たちの雪かきの様子に驚きながら、
収納ボックスにゴミ袋を置いた。
 そして、私に近寄り言った。

 「こんなに積もっているって気がつかなくて・・。
今、外に出てビックリしました。 
 少し前に、洞爺湖にいる娘から電話が来て、
今朝は50センチ以上も積もってるって言うんです。
 だから私、こっちは大丈夫!
そう遠くない所なのに、天気って違うんだね。
 雪かき頑張ってって言ってしまいました」。

 「今、同じセリフを言ったばかり」
と思いつつ、私は言った。
 「とんだ思い違いでしたね。
電話して伊達も凄いことになっているって、
言い直さなくちゃダメですね」。

 奥さんは、「そうしますね」と転びそうになりながら、
戻っていた。


  ⑵ 数日後の電話

 ①1本目は、
自治会役員を長年されていた先輩からだった。

 「会長さん、頼みがあって電話したんだ。
雪かきのことなんだけどさ、
こんなにいっぺんに降ると、
どこの家も雪の捨て場に困るんだ。
 でも、車道に捨てるのはダメだよ。
そう思わないかい!?」

 私が同意すると、先輩は続けた。
「だから、来月の自治会だよりにさ、
車道に雪を捨てるなって、
会長名の入った文章を載せてくれないかね。
 そうでもしないと、直らないわ」。

 先輩の思いも理解できた。
しかし、どこにも捨て場がなく、
仕方なく歩道と車道の間に雪山を作る家もある。
 よく吟味して、自治会だよりに載せなくてはならない。
  
 「お気持ちはよく分かりました。
どのように自治会だよりに載せたらいいか、
よく考えてみます。
 貴重なご意見、ありがとうございます」
と、答えるだけにとどめた。
 さてさて、どんな内容でどう呼びかけたらいいものか。
頭を悩ませることになってしまった。

 ② ドカ雪の翌日から気温が緩んだ。
徐々に雪が解けた。
 それによって、朝夕は路面がアイスバーンになった。
そんな朝に、2本目の電話があった。

 「私、○班のKと申します。
ツカハラさん助けてください!」。
 Aさんは90歳前後の高齢で、
一人暮らし女性だった。
 自治会の用件で、
何度かご自宅を訪ねたことがあった。
 すぐに顔が浮かんだ。

 「Kさん、どうしました?」
「実は、今朝、ツルツルすべる道でしたが、
ゴミを投げにいったんです。
 途中まで行くと、ご近所のAさんが来てくれて、
そのゴミを持って行ってくれたんです。

 ところがAさん、ゴミを置く所のそばで、
滑って転んだんです。
 腕を痛くしたみたいだったんですが、
私、Aさんの電話番号も知らないし、
骨を折ったんじゃないかと心配で、
ツカハラさんどうしたらいいでしょうか?」
 
 「わかりました。
私がAさんに電話してみます。
 携帯番号も知ってますから、
Kさんのご心配を伝えておきますね」

 Kさんが恐縮しながら電話を切った後、
Aさんに電話し、そこまでの経過を伝えた。
 転んだ腕は少し痛むが、仕事には影響ないと言う。
それよりも、
Aさんはお婆ちゃんに心配をさせてしまったと、
転んだことをしきりに悔やんでいた。

 電話をしながら、私だけがほっこりとしていた。




     湖畔にて 新雪に頬ずり
          ※ 次回のブログ更新予定は2月10日(土)です。
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晴れたり曇ったり その11 <2話>

2024-01-06 12:21:00 | 北の湘南・伊達
 ① 元日と2日は、昨年同様兄と一緒に自宅で過ごした。
その切っ掛けは、2つある。

 1つは、義姉が高齢者施設へ入所し、
兄が1人で正月を過ごすことになったこと。
 もう1つは、姉が勤める温泉旅館が、
高級おせちを販売している。
 その3人用3段重で高価なものを、
姉がプレゼントしてくれたこと。

 だから、3人でそのおせちを囲みながら、
正月の2日間を過ごそうというのだ。

 大晦日、兄の飲食店は、
年越し用のお刺身セットやオートブルの予約販売で、
終日大忙しだった。
 なので、元日は午後に兄を迎えに行った。

 そして、お茶とお菓子、みかんなどを前に、
テレビを見ながらくつろいでいた時、
2度の『緊急地震速報』があった。

 元日早々の悲惨な映像に唖然とした。
きっと甚大な被害があっただろうと思いつつ、
次の大津波警報に怯えた。

 新年を迎えた日の惨状である。
自然災害の非情さが骨の随まで浸みた。
 そして、人間の非力さを改めて痛感させられた。

 「新年祝いの膳どころじゃないなあ」
と言いながらだが、
頂いた高級おせちを食べない訳にはいかなかった。
  
 テレビからくり返される倒壊家屋の映像や、
津波情報を気にしながら、ビールとお茶で、
並んだ一の重、二の重、三の重に箸を向けた。

 特別な料理だけに、昨年の味は忘れてなかった。
それに比べ、今年のは昨年以上に格段の美味しさだった。
 兄も家内も、同じ感想だった。
高級旅館のおごらない謙虚な努力に脱帽した。

 そして、そんな味を姉に伝えようと、
電話をすることに。
 姉は40日前に、娘が勤務する首都圏の病院で、
9時間に及ぶ大手術をした。
 経過は順調で、退院後は娘のマンションで療養していた。
てっきり正月はそこに居るものと思っていた。

 ところが電話に出た姉は、関西にいた。
息子のところで年越しをしたと言う。
 全く予想していなかった。

 「調子いいよ。
大丈夫、娘も息子も看護師だから・・。
 心配いらないの」
そして、姉は、
「私はいい子どもに恵まれて幸せだわ」
と、元気に言った。

 さほど無茶をしている訳でもないと分り、安堵した。
それにしても、その回復力には驚かされた。
 「私、ずっと旅館で働いていたから、
年齢以上に体力があったみたい」
 驚きのあまり、おせち料理の美味しさを
伝え損なうところだった。

 午前中、伊達神社へ初詣に行った。 
隣で若い2人がおみくじを引いていた。
 凶と大吉だった。 
私の元旦の心もようも同じ・・・。 

 ② 現職の頃、朝は和食が多かった。
しかし、今は生野菜とトースト、それに卵料理などである。
 だから、トースターは朝の必需品だ。 
  
 2年前になる。
長年愛用していたトースターが、
スイッチを入れても作動しなくなった。
 修理より新しい物にしようと家電量販店へ行った。

 パンを焼くことと、
時々餅を焼くことだけの家電である。
 20種程が並んでいる中に、
特価セールになっていたものがあった。
 機能など吟味もせずにメーカー品だったので、それを購入した。

 パンを焼くのは私の担当である。 
翌朝から、新しいトースターを使った。
 快適だったのは 、1ヶ月程だった。
1度に2枚を焼くのだが、
左右で焼け方が違うようになった。

 「やはり特価品だったか」と思いながらも使い続けた。
ところが、3ヶ月目で片側のパンが全く焼けなくなった。
 特価でも1年保証がついていた。
早速、修理に出した。

 1ヶ月前だが、そのトースターが再び故障した。
今度は、網が外れてパンが載せられないのだ。
 修理保証は終わっていた。
その上、相変わらず左右の焼きは均等ではなくなっていた。
 思い切って、再び新しい物を購入することにした。

 2年ぶりに同じ量販店のトースター売り場へ行った。
同じような顔ぶれのトースターが並んでいた。
 今度はしっかりと吟味して購入しようと決めた。

 価格も多様だが、各機種セールの言葉も多彩だった。
パンと餅を焼くだけなのに、どれがいいか迷った。

 そこで、この売り場担当の店員さんを呼んだ。
店員さんは、それぞれの特徴を要約し、親身に教えてくれた。
 でも、私にはどれが最適か決められなかった。
まして、2年しかもたないトースターを選び、失敗していた。

 そこで、決断した。
店員さんのキャリアに頼った。
 私は訊いた。
「もし、貴方が買い換えるとしたら、どれにします?」
 そんな問いかけは珍しかったようで、
彼は一瞬驚いた顔をした。

 しばらく並んでいた棚を見渡し、
「高価な方ですが、最近発売になったこれですね。
私ならこれにします」
 「これが1番いいですか」
念を押した。

 「いえ、もっと性能のいいものはあります。
1番いいのなら・・」
 彼は、慌てて他を勧めようとした。
「いや、貴方が1番買いたいと思うのはこれですよね」
 彼は、真顔で「ハイ」と答えた。

 あれから、あの店員さんが指名したトースターで、
毎朝パンを焼いている。
 同じパンなのに、美味しさの違いに驚いている。

 その道に精通した人の確かさは、
兄の魚の目利きでよく知ってはいた。
 どうやらそれは、兄だけではないと思った。

 そして、再び同様のことを実感する場面があった。
大晦日のことだ。
 数日前に、私が選んだしめ縄飾りを玄関外に提げた。
イメージしていたのとは違い、貧相だった。

 がっかりした。
お正月を飾る玄関である。
 どうにかして素敵な感じに挽回したかった。
  
 そこで、当地で一軒だけの生花店へ急いだ。
玄関内に正月らしいアレンジフラワーを置こうと、
思いついたのだ。
 それでイメチェンを図ろうとした。

 案の定、店内にはそれらしいアレンジメントが、
手頃な価格でいくつも並んでいた。
 純和風と洋風があった。 
どちらも、どれも、お正月の玄関に相応しかった。
 決めかねた。
今年はしめ縄飾りで失敗していた。
 それもあって、
迷った。

 そこで店員さんに訊いた。
「あなたなら、ご自宅でどれを飾りますか」
 彼女は、一瞬驚きの表情を見せた。

 少し間を置いてから、
「私なら、これでしょうか」
 彼女が指し示したのは、私なら選びそうにない、
薄い色合いの洋ランがメインのものだった。
 他のものとはひと味趣が違った。
その素敵さに納得した。


 

   洞爺湖畔 静かな時間 冬    
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DATE 語 録 (4)

2023-09-23 09:36:16 | 北の湘南・伊達
 伊達に移住して12年目を迎えている。
この間、数々の出会い、エピソードがあった。
 それを思い出すまま、語録として綴る。
前回は、昨年の10月末に記した。
 今回は、4回目である。

 6.「私 むすめです」
 年に1回、社会福祉協議会が主催する
『お楽しみ昼食会』がある。
 コロナで中断していたが、4年ぶりに開催された。

 この昼食会は、75歳以上で1人暮らしの方が対象だ。
食事を取りながら、ピアノに合わせた歌入りゲームをしたり、
カラオケをしたりして2時間余りを過ごす。

 自治会長だからと、協議会の役員になっている私は、
この会の受付を頼まれた。
 開会の30分以上も前から、
私より年上の方々が、次々と受付をとおり会場の席に着いた。
 案の定、開会10分前には全員が揃った。

 受付や会場案内係の役員も、
参加者と同席し、一緒に会食する。
 各円卓は、指定席になっていた。
私の席のテーブルには、10人が座っていた。
 
 着席するとすぐ、
真向かいの男性と女性の会話が耳に飛び込んできた。

 男性は受付で渡した座席名簿を手に持ち、
隣の女性に話かけた。
 「Y田さんって、O山さんの隣のY田さんですか?」
「そうです。O山さんの隣のY田です」。
 「確か・・・、Y田さんのご主人はもう10年以上も前に、
・・亡くなりましたよね」。
 「そうです、そうです」。

 私より10歳以上も年長と思える男性の、
腑に落ちない表情は、さらに続いた。
 「でも、それに・・・奥さん・・も・・、
あれ! 私の勘違い・・!」。

 女性は、ハッと表情を明るくし応じた。
 「そうですよ。
だから、私、むすめです。
 誰もいない家になったので、
私、独り身なので、
3年前からあの家に住んでいるんです」。

 「そうですか。Y田さんのむすめさんですか。
そういうことか。なるほど」。
 謎が解けた男性の声は急に明るくなった。
やや恥ずかしそうに女性は続けた。
 「そう言っても、私も今年で75ですけど・・ね」。
「いやいや、そんなのは構わん、構わん」。
 
 私だけでなく、同席した方々も謎が解け、
安堵した顔になっていた。
 
 
 7.「100円の追加で」
 当地も人口減少が進んでいる。
その余波の1つが、各種店舗の閉店である。
 よく利用していたカジュアル衣料の店も、
2年ほど前に、突然店じまいをした。
 
 なので、このごろ、衣類を購入する時は伊達市内を諦め、
主には室蘭、時には苫小牧まで足を伸ばすことにしている。

 さて、そこで困ることがある。
ズボンの裾上げである。
 店によっては、1時間ほどの待ちで仕上げてくれるが、
多くの場合、数日後の仕上がりとなる。
 再度の来店を求められるのだ。
これが難儀なことである。

 そこで、多少費用がかかっても、
裾上げは市内の洋服リフォーム店にお願いすることにした。

 さて、その店だが、これも数少なくなった。
やっと探し当て、買い求めたズボンを2本持って、
初めてお店へ行った時だ。

 手慣れた店員さんが応対してくれた。
裾上げを依頼すると、
注文が多いので、数日かかるとの返事だった。

 他の店を探すのも手間なので、
数日を待つことを了解した。

 すると、「お急ぎの場合は、追加料金がかかりますけど、
それでよければできますよ」と言う。
 「追加料金って、いくらですか」。
いちおう参考までにと、訊いてみた。

 その回答にビックリした。
「100円の追加で、仕上がりは明日の夕方です」。 
 即答した。
「明日の夕方でお願いします。追加料金を払いますので」。
 



『かや』(岩手県以南に分布)の樹下 かやの実だらけ!
                ~だて歴史の杜にて
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‘23 もう1つの春 ~ お裾分け

2023-06-03 11:21:59 | 北の湘南・伊達
 ▼ 移住した年の夏、夕方。
花壇の様子を見ていた。
 やっと顔なじみになったご近所の奥さんが、
勤め帰りに通りがかった。

 挨拶を交わした後、世間話の途中で訊かれた。
「お主人のところ、キュウリ、
どうしてます?」。

 私にとって、その問いは理解不能。
違和感があった。
 「キュウリ、どうしてるって・・!」
返答に困っていると、奥さんは問いを重ねた。
「お店で、買ってるの?」
 当然ではないか。
家庭菜園でもしていない限り、
他にキュウリを手に入れる方法などないに決まっていた。

 不思議な表情のまま言った。
「はい、スーパーで買いますけど・・」。
 「そうよね。
でも、今日もらってきたのがあるの。
 少しあげるね」。

 奥さんは、腕にさげていたエコバックから
キュウリを3本取り出し、渡してくれた。
 これが、当地での初めてのお裾分けだった。
 
 ▼ 11年が過ぎた。
本格的な春を迎え、今年もご近所さんをはじめ、
親しくして下さる方々が、包みやレジ袋を持って、
インターホンを押してくれる。
 春と一緒に、お裾分けのシーズンがやってきた。

 最新では、6月1日の朝である。
まずは、地元紙の記事を紹介する。

 『 洞爺湖ヒメマス釣り解禁 
           ~ 朝日浴び 魚信待つ
 洞爺湖のヒメマスが1日、解禁された。
待ちわびた釣りファンらが夜明けとともにボートを繰り出し、
さおを振っている。
 初日は快晴に恵まれ、朝日を浴びながら静まり返った湖上で
当たりを探していた。
 ・・・・午前4時頃からボートが次々と出航し、
湖岸も、さおを降る人があちこちで見られた。
 辺りには鳥のさえずりと、リールを巻く音、
さおを振るヒュッという音のみが響いていた・・・ 』

 ▼ ここでは、ヒメマスをチップと呼ぶ人が多い。
解禁になった日の朝、8時半を回ってすぐだ。
 インターホンが鳴った。
急いで玄関ドアを開けた。

 一緒に自治会の役員をしているMさんだった。
レジ袋をかざし、
「チップだけど、今朝解禁で、
兄が釣って、持ってきてくれたから」と言う。

 袋をのぞくと、丸々と太ったヒメマスが2匹。
「どうやって食べると美味しいの?」。
 お礼よりも珍しい魚の調理方法が不安になった。

 「塩ふり焼きが美味しいと思います。
塩をふればすぐ焼けるように、腹を裁いておきましたから」。

 早朝から釣った解禁日の貴重な魚と、
調理まで気にかけた心遣いのお裾分けだった。
 ずっと心に残るに違いないと思いつつ、
Mさんの後ろ姿に、しばらく頭を下げた。

 夕飯の食卓に載った塩焼きは、
その美味に箸が進んだ。
 地元の人だからこそ知る旬の美食であった。

 ▼ 2月中旬、毎朝、積雪があった。
車道の除雪が進んでいなかった。
 その状況を見ておこうと、地域を歩いた。

 4,5年前から言葉を交わすようになったSさんが、
歩道と車道の間に雪山を作りながら、
雪かきをしていた。

 「毎日、よく降り続きますね。
お疲れ様です」。
 挨拶がわりに声をかけた。
「まったく、ここまで降ると雪かきが大変。
 すぐ疲れるし、休み休みやってるんだ」。
いつも元気そうな方なのに、返事に精彩がなかった。
 気になったが、踏み込むのを遠慮した。
「それはそれは、無理しないで、
ゆっくり頑張って下さい」。
 
 その後、運転する車から、
何度か、ご自宅前のSさんを見た。
 背が丸まり、同世代だが老けて見えた。

 そのSさんが、入院し手術をすると聞いたのは、
4月に入ってからだった。
 そこまで悪かったことに驚いた。

 しばらくして、買い物帰り、自宅前でタクシーを降りた奥さんに、
バッタリ出会った。
 丁度、桜が満開の道端で、入院や術後の経過を尋ねた。
   
 私たちと同じで、お子さんを東京に残し、
夫婦で移住してきていた。
 まだコロナ禍で、面会のできない時期が続いていた。
経過は順調のようだが、
奥さんはポツンと、退院できる日を待っているに違いなかった。

 そんな寂しさや不安を感じさせないよう
奥さんは気丈に明るく話した。
 それでも、長い長い立ち話の合間からは、
心情が伝わってきた。
 もっぱら、うなずきながらの聞き役だった私は、
最後に「奥さんも、頑張って」と心を込めた。

 それから約1ヶ月。
奥さんが、新聞紙にくるんだものを抱えてインターホンを押した。
 家内が、玄関に出た。
話し声が聞こえた。

 「主人、退院しました。
昨日、庭のウドが伸びていたから、2人で採りました。
 食べて欲しくて・・・」。

 外を見ると、車が止まっていた。
運転席には、ご主人がいた。

 奥さんと家内を残し、玄関を出た。
私の姿を見たご主人は車を出て、迎えてくれた。
 思いのほか、顔色はよかった。

 「いやあ、元気そうで何より!」。
いつもの笑顔だった。
 私は、あまりのうれしさにご主人の両肩に手を伸ばした。
しかし、病後、その肩は、肉が落ち小さかった。
 一瞬、言葉を失った。

 夕食には、ウドの酢味噌和えがあった。
家庭菜園のウドを2人で収穫する姿が目に浮かんだ。
 春の味覚が、さらに味わい深いものになった。
歳のせいか、少々目元が緩んだ。 




  はじめて! トチノキの花 ~歴史の杜公園
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晴れたり曇ったり その9 <2話>

2023-05-06 12:43:35 | 北の湘南・伊達
 ① 年に4,5回、私のエッセイが、
土曜日の室蘭民報文化欄に載る。
 同じページに、『北の岬』と題する
小さな投稿エッセイ欄があった。

 先週、その欄に伊達市在住の方が
想いを寄せていた。
 全文を転記する。

  *     *     *     *     *

     伊達への思い
                山口  悟巳

 伊達に引っ越して早10年になる。

 あの日銀行は混んでいてATMも並んでいた。
やっと自分の番がくると前の人がお釣りを取り忘れていた。
 急いで外まで追いかけて渡した。
また並ぶのかとあきらめてゆっくり歩いて戻ると、
列はそのままでどうぞと手招きしている。
 えっどうも頭をさげ手続きを終えた。
こりゃずい分道徳観の高いところに来たと思った。
 忘れられない出来事である。

 街はいたって穏やかで気取った感じがない。
一両列車、近所からの差し入れ、
星座がわかる、以前の生活にはなかったことだ。
 近年は雪が増え、カラスが逃げなくなり、
デコが広くなった。

 仕事の方は運よく当直員になり
今は営繕をしている。
 働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに、
毎日出勤できるのはたいへんありがたいことだ。

 階段をモップでふきながら登っていく。
顔見知りの人には「暖かくなりましたね。」と
たわいないあいさつ。
 どうでもいい話ができる人は
どうでもいい人ではないのだ。

 職場の悩みのほとんどは人間関係だろう。
いろんな人がいると割り切り、
都合の悪い事には鈍感になる。
 ミスしてまわりに笑われたら
自分も一緒に笑えたらいい。

 上の階に行く程景色が広がり
思わず見入ってしまう。
 山が笑っている。
また春を迎えられた。
 ありがとう。

  *     *     *     *     *

 先の市長選挙で、6期24年勤めた市長から
後継指名を受けた候補者が大差で落選した。
 市民の審判である。
特段の感想はない。

 しかし、落選した候補者が選挙期間中に演説した内容を
新聞記事で読んだ。
 いつまでも心に残っているフレーズがある。

 彼は、20数年前に伊達で暮らし始めた。
そのような人を『風の人』と称した。
 そして、この地で生まれ暮らし続けている人を『土の人』と。
『風の人』と『土の人』が一緒になって、
風土はできると力説したのだ。

 すると『伊達への思い』の筆者・山口さんも私も「風の人」だ。
「風の人」同士だからか、
山口さんのひと言ひと言が私の想いと重り、浸みた。

 『ずい分道徳観の高いところに来た』
『街はいたって穏やかで気取った感じがない』
と、人と環境に好印象を抱いた。
 
 日々の暮らしについては、
『運よく‥働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに‥』
と、幸運に恵まれていることを感謝している。

 『どうでもいい話ができる人はどうでもいい人ではない』、
『ミスしてまわりに笑われたら自分も一緒に笑えたらいい』
と、日常にある宝物を拾う日々が続く。 
 
 山口さんは、『上の階に行く程景色が広がり思わず見入ってしまう』と言う。
私は今、次々と春を知らせる草木の開花と若葉の緑に見入っている。
 そして、『山が笑っている』と私も春を迎えた。


 ② 1月末までの約1年半もの間、
長きにわたって歯科医院通いをしていた。

 通院の頻度は、その時々によって違ったが、
月1回から3回だったから、相当の回数になった。

 市内には、10数軒の歯科医院がある。
どこも駐車場があった。
 だから、それが医院選びの決め手にはならなかった。

 ネットで検索をした。
私が選んだ医院のホームページには、
『安心して治療を受けていただくために
ワンランク上の診断と治療』とあった。
 そのうたい文句に惹かれた。

 初診の時、医師は私の願いに、
熱心に耳を傾けてくれた。
 その後、レントゲンやCT、写真撮影などの予定を立て、
2,3回の通院に分け、念入りに口腔内検査をした。

 そして、難しい治療になりそうなのでと注釈を入れて、
「今月、札幌で学会があります。
その時、いつも指導頂いている大学の専門医に、
治療プランのアドバイスをもらってきます」
と告げた。

 1ヶ月後、医師から時間をかけて、
治療方法と治療費の説明を受けた。
 「この治療のやり方がベストです」と言い切られ、
承諾するしかなかった。

 毎回、言われるままに治療台に上った。
言われるままに口を開け、口をゆすいだ。
 それが終わったら会計をし、
次の予約をして、帰宅した。

 ほとんどの日、医師は患者の掛け持ちをしていた。
私の治療が一区切りすると、もう1人の治療に行った。
 それが終わると再び私の治療を始めた。

 治療台に横になったまま、かなり待たされる日もあった。
50代と思われる医師は、丁寧な口調の方で腰も低かった。
 それでいて、あっちの治療台、
こっちの私の台と忙しく動き回り。
 その都度、サンダルで小走りする足音が行ったり来たり。

 私の台に来ると「お待たせしました」と、
柔らかい声で決めぜりふを言う。
 若干の怒りも、あのパタパタパタの足音と声で、
つい飲み込んでしまった。

 治療の最終段階は、医師のこだわりもあったようで、
微調整のくり返しが、数回続いた。
 「先生、何度同じ事をするんですか。
もうその辺でいいですよ」を、
2度3度と我慢した。

 そして、ついに最後の治療日だった。
ほっと胸を撫で下ろし、治療台から降りようとした私に、
医師が遠慮がちに言った。

 「もしよければ、私とのツーショット写真を撮らせて下さい」。
「エッ、先生との写真ですか」。
 「はい、記念にお願いできませんか。
よろしいですか?」。
 ノーとは言えなかった。
「時々、患者さんと一緒にこうして写真を撮るんです」。
 いつもより明るい声だった

 治療台の背もたれを起こした私と、
その横で腰掛けに座る医師。
 2人の笑顔は、どんな写真だったか知らない。

 でも、カメラに向かい嬉しそうな医師の横顔を一瞬盗み見た。
いい医師に出会ったんだと実感した。
 私もとびっきりの笑顔でカメラを見た。




    路傍に増える ムスカリ
                 ※次回のブログ更新予定は5月20日(土)です
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