ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

南吉ワールド PART2

2015-07-10 22:00:42 | 文 学
『ジューンベリーに忘れ物』という面倒なタイトルをつけたブログも、
週一の更新をくり返し、1年が過ぎた。
 この間、57編におよぶ私の想いを、
その週その週、遠慮なく記させてもらった。
今日も、このブログを開き、目を通してくださる方々の存在が、
大きな励みになっている。心からお礼を申し上げたい。

 さて、昨年10月18日『南吉ワールド』の題で、
このブログに新美南吉の代表作と言える
『てぶくろを買いに』と『ごんぎつね』について触れた。
 優れたストーリー性に魅了されるが、人間への不信とも思える冷ややかさに、
私は釈然としない読後感を持った。
 視点を変えると、それこそが南吉ワールドではないのかと雑感を記した。

 しかし、『ごんぎつね』は南吉17歳、
『てぶくろを買いに』は20歳の作品である。
 その若さを考えると、南吉の世界観に対し私なりの理解ができる。
きっと、南吉の人生の通過点がにじみ出たのではなかろうか。

 それに比べ、今回とり上げる『おじいさんのランプ』は、
30歳の若さで亡くなる前年に書き上げたものである。
 翌年・昭和17年10月に、
同じタイトルがついた南吉の第一童話集が発刊されるが、
生前に見ることができた最後の本であった。
そして、その年12月、永眠した。

 私は校長職の頃、このお話を月曜朝会のお話や
卒業式等各種式典での祝辞等で、よく引用させてもたった。
 この作品を、ある人は『辞め方の美学』と絶賛していたが、同感できる。
そして、巳之助の生き様と「いさぎよさ」は、
私を何度となく励まし、勇気づけてくれた。


 そのストーりーと作者の思いを追いかけてみたい。

 この物語は、おじいさんが孫に
自分の半生を語り聞かせる形式で描かれている。
 時代は、明治・『日露戦争のじぶん』である


 センテンス1 運命を変える希望のランプ 
              ~ 文明開化の利器との出会い



 おじいさん・巳之助が13の少年だった時に……

 『巳之助は、………、まったくのみなし子であった。≪中略≫ 
 けれども巳之助は、こうして村の人々のお世話で生きてゆくことは、
ほんとうをいえばいやであった。
子守をしたり、米をついたりして一生を送るとするなら、
男とうまれたかいがないと、つねづね思っていた。
 男子は身を立てねばならない。 ≪中略≫
 身を立てるのによいきっかけがないかと、
巳之助はこころひそかに待っていた。』

 そして、運命の一日が訪れ……

 『ある夏の日の昼下がり、巳之助は人力車の先綱をたのまれた。≪中略≫
 夏の入り日のじりじり照りつける道を、えいやえいやと走った。
なれないこととでたいそう苦しかった。
しかし巳之助は、苦しさなど気にしなかった。好奇心でいっぱいだった。
なぜなら巳之助は、≪中略≫ 峠の向こうにどんな町があり、
どんな人々が住んでいるか知らなかったからである。』

 好奇心いっぱいで出会った物は、……

 『その町で、いろいろなものをはじめて見た。≪中略≫
巳之助をいちばんおどろかしたのは、……
花のようにあかるいガラスのランプであった。≪中略≫
 このランプのために、……町ぜんたいが、
竜宮城かなにかのようにあかるく感じられた。
もう巳之助は、じぶんの村へ帰りたくないとさえ思った。
人間はだれでも、あかるいところから暗いところに帰るのを
このまないのである。
 呉服屋では、番頭さんが、つばきの花を大きく染め出した反物を、
ランプの光の下にひろげて客に見せていた。 ≪中略≫
またある家では、女の子がランプの光の下に
白く光る貝がらをちらしておはじきをしていた。≪中略≫ 
ランプの青やかな光のもとでは、人々のこうした生活も、
物語か幻灯の世界でのように美しくなつかしく見えた。
 巳之助は今までなんども、「文明開花で世の中がひらけた。」
ということをきいていたが、
今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。』

 心の躍動感と共に手にはランプ……
 
 『やぶや松林のうちつづく暗い峠道でも、
巳之助はもうこわくはなかった。
花のようにあかるいランプをさげていたからである。
 巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。
文明開化におくれたじぶんの暗い村に、
このすばらしい文明の利器を売り込んで、
村人たちの生活をあかるくしてやろうという希望のランプが―。』


 センテンス2 幸せの絶頂と進んだ文明開花 
                       ~悲哀をさまよう 


 順調にしょうばい進み、暗い家にあかるい火を……
 
 『巳之助のあたらしいしょうばいは、はじめのうち、まるではやらなかった。
百姓たちは、なんでもあたらしいものを信用しないからである。≪中略≫
 ランプのよいことがはじめてわかった村人から、…注文があった…。≪中略≫
これから巳之助のしょうばいは、はやってきた。≪注力≫
 巳之助は、お金ももうかったが、それとは別に、このしょうばいがたのしかった。
今まで暗かった家に、だんだん巳之助の売ったランプがともってゆくのである。
暗い家に、巳之助は文明開花のあかるい火を一つ一つともしてゆくような気がした。』

 家をもち、結婚もして、人生の絶頂期に……。

 『巳之助はもう、男ざかりの大人であった。家には子どもがふたりあった。
「じぶんもこれでどうやら、ひとり立ちができたわけだ。
まだ身を立てるというところまではいっていないけれども。」
と、ときどき思ってみて、そのつど心に満足をおぼえるのであった。≪中略≫
 さて、ある日、巳之助がランプの芯を仕入れに大野の町へやってくると、≪中略≫
きみょうな高い柱は50メートルぐらいあいだをおいては、道のわきに立っていた。
巳之助はついに、日なたでうどんをほしている人にきいてみた。すると、うどんやは
「電気とやらいうもんがこんどひけるだげな。ランプはいらんようになるだげな、」
と答えた。
 巳之助はよくのみこめなかった。電気のことなど知らなかったからだ。』

 電気に驚き、そして新しい時代への悲壮感が……。

 『光は家の中であまって、道の上にまでこぼれて出ていた。
ランプを見なれていた巳之助には、まぶしすぎるほどのあかりだった。
巳之助は、くやしさで肩でいきをしながら、これも長いあいだながめていた。
 ランプの、てごわいかたきが出てきたわい、と思った。
以前には文明開化ということをよくいっていた巳之助だったけれど、
電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということはわからなかった。
りこうな人でも、じぶんが職を失うかどうかというようなときには、
ものごとの判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
 その日から巳之助は、電燈がじぶんの村にもひかれるようになることを、
心ひろかにおそれていた。』


 センテンス3 古いものは間にあわない
                  ~ 痛烈な気づき 


 おそれが現実となり、狂い、そしてうらみへ……

 『巳之助は、だれかをうらみたくてたまらなかった。 ≪中略≫ 
そして、区長さんをうらまねばならぬわけをいろいろ考えた。
へいぜいは頭のよい人でも、しょうばいを失うかどうかというようなせとぎわでは、
正しい判断を失うものである。
とんでもないうらみをいだくようになるものである。』

 放火という暴挙の寸前、急転直下が……

 『「マッチを持ってくりゃよかった。
こげな火打ちみてえな古くせえもなあ、いざというとき間にあわねえなあ。」
 そういってしまって巳之助は、ふとじぶんのことばをききとがめた。
 「ふるくせえもなあ、いざというとき間にあわねえ、
……古くせえもなあ間にあわねえ……」
 ちょうど月が出て空があかるくなるように、
巳之助の頭がこのことばをきっかけにして、あかるく晴れてきた。』

 過ちへの劇的な気づきが……

 『ランプはもはや古い道具になったのである。
電燈というあたらしい、いっそう便利な道具の世の中になったのである。
それだけ世の中がひらけたのである。文明開花が進んだのである。
巳之助もまた日本のお国の人間なら、
日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。
古いじぶんのしょうばいが失われるからとて、
世の中の進むのにじゃましようとしたり、
なんのうらみもない人をうらんで火をつけようとしたのは、
男としてなんという見苦しいざまであったことか。』


 センテンス4 古い時代との決別
               ~ 辞め方のドラマが映像に


 あかりのともった50のランプに「わしのやめかたは」と……

 『やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つひろった。
そして、いちばん大きくともっているランプに
ねらいをさだめて、力いっぱい投げた。
パリーンと音がして、大きい火が一つ消えた。
 「あまえたちの時世はすぎた。世の中は進んだ。」
と、巳之助はいった、そしてまた一つ石ころをひろった。
二番目に大きかったランプが、パリーンと鳴って消えた。
 「世の中が進んだ。電気の時世になった。」
 三番目のランプを割ったとき、巳之助はなぜかなみだがうかんできて、
もうランプにねらいをさだめることができなかった。』

 「いさぎよさ」にあふれた辞めの道……

 『「わしのしょうばいのやめかたは、じぶんでいうのもなんだが、
なかなかりっぱだったと思うよ。……
日本が進んで、じぶんの古いしょうばいがお役にたたなくなったら、
すっぱりそいつをすてるのだ。
いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、
じぶんのしょうばいがはやっていたむかしの方がよかったといったり、
世の中の進んだことをうらんだり、
そんな意気地のねえことはけっしてしないということだ。」


 読後、いつまでもいつまでも池之端にともる
ランプのパリーン、パリーンと割れる音が心に残る。
 巧みな起承転結が、見事なストーリーを生み出し、
心の奥底まで染みわたる物語にしている。
 南吉ワールドに、脱帽である。
しかし、それにしてもこの作品か、昭和16年のものであることに驚く。
丁度太平洋戦争が始まった頃である。
 『おしいれのぼうけん』等の作者・古田足日氏は、
「戦時中、児童文学は政府に保護されたことと、
児童文学者たちがすぐれた作品を書こうとした努力がみのり、
ほかの学問や芸術がおとろえたのに、児童文学だけが進歩した。」
と記していた。
 そして、「おじいさんのランプ」について、
 『もっとも印象にのこるところとして、
多くの人が、巳之助がランプを池の岸の木にともして、
それを割っていく場面をあげています。
 ここは非常に美しき場面なので印象にのこるのは当然のことですが、
もし人間の原動力がもっと力強く書かれるなら、
この美しさを圧倒する、力にあふれた美しさが
巳之助のその後の行動として出てくるはずのものです。
 それが書けなかったところに、新美南吉もこえることができなかった、
時代の壁というものがあります。』と。




オオウバユリが咲き始めた(背丈が2㍍のものも)
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『 や ま な し 』  ・ そこには

2015-05-15 22:07:17 | 文 学
 宮沢賢治・作『やまなし』に出会ったのは、
30歳代後半のころだった。
 光村図書出版の6年生国語教科書に、この物語はあった。

 私は、担任としてこの難解な文学的文章の指導に苦慮した。
とにかく、分からないことだらけであった。
いくつかの解説文も読んだ。
教育雑誌にある授業実践の記録も、一通り目を通した。
 しかし、どれもこれも腑に落ちなかった。

 適当に授業を進めようにも、不安ばかりだった。
 きっと原稿用紙に書いたのだろうと、全文を400字詰め用紙に手書きし、
賢治さんの想いを知る手掛かりにしてみたりもした。

 今になって思うのだが、
それだけこの作品は、難解さとともに、
私を惹きつけるものだったのだろう。

 大正12(1923)年4月8日の岩手毎日新聞に、
『やまなし』は掲載された。
 花巻農学校の教員時代であったが、
『雪渡り』同様、数少ない賢治さんの生前発表童話である。

 全文を一読して、最初に抱いた疑問は、この物語の題であった。
仮に『かにの親子』や『かわせみ』なら、
作品を通して登場しており、納得できた。
 しかし、『やまなし』という食べ物は、「12月」にのみ出てくる。
 なのに何故、あえて『やまなし』の題なのか。
大きな疑問であった。

 また、物語の冒頭にある「クラムボン」の正体とは。
授業では、必ず子供たちがこの疑問に飛びついてきた。
 泡のこと、光のこと、小さな生き物のこと、
アメンボ、いや仲間のかになど、様々な意見が飛び交った。

 中には、目が「くらむもん」と言い出したり、
クラムボンをひっくり返すとボンクラに似ているから、
ぼんくらな人間のことだとまで、解釈が飛躍してしまったりもした。

 それはそれで楽しいやり取りなのだが、結局は
「笑ったり、跳ねたり。死んだりするものなんだね。」
と、その実態は煮え切らないもので、いつも終わってしまう。

 「かぷかぷ」と言う笑いの形容も、
作者特有の擬声語・擬態語の類で、
これまた十分な理解は難しいものだった。

 私は、「5月」の最後にある「樺の花びら」について、
白樺の花びらと思い込んでいた。
 ところが、授業の中で
「白樺の花は緑なのに、白い花びらはおかしいよ。」
と、樹木に詳しい子どもから指摘された。
 調べてみると、山桜類の木の皮を使った小物を、樺皮細工と言うなどから、
山桜の花びらを意味していたことが分かった。

 こんな謎解きのようなことは、この物語にはいくつもあり、
きりがないが、作者はそんな謎解きの楽しさのために、
これを創作したのではないだろう。

 岩波書店『銀河鉄道の夜~宮沢賢治童話集Ⅱ』巻末の解説で、
恩田逸夫氏は、
 『賢治はこの作品を、じぶんが名づけた
「花鳥童話」という分類の中に入れています。
文字どおり、花や鳥などを扱っていて、
詩のような感じの漂う作品が多いのですが、
単に詩的情緒だけでなく、
はっきりした主張がふくまれている場合が多いのです。
「やまなし」でも、五月と十二月との対比の中に
一つの意味がふくめられているようです。
ふつうには楽しく明るい五月に「死」があり、
逆に、冷たく寒い十二月にも谷川の底には
親子のかにの楽しい団らんがある、
というように、なにか人生の現実の一面を
暗示しているようにも思われるのです。』
と、記している。

 確かに、恩田氏が説くように、この作品には
「はっきりとした主張が、5月と12月の対比の中に含まれている。」
のであろう。
 谷川の底を写した二枚の幻燈の
1枚目「5月」は、春、陽の光、そして躍動である。
2枚目「12月」は、秋、月明かり、そして静寂である。
まさに、陽と陰、動と静の対比がある。
 そんな対比の素晴らしさがこの物語の根幹をなし、
読み手を魅了しているのは確かなことである。

 5月・『光に網はゆらゆらとのびたりちぢんだり、
花びらの影はしずかに砂をすべりました。』
 12月・『横あるきと、底の黒い三つの影法師があわせて六つ踊るようにして、
やまなしのまるい影を追いました。』

 季節の違う川底のこんな美しい描写に、
心の清らかさを覚えるのは、私だけではないことでしょう。

 しかし、私は、賢治さんがこの作品に託した主張が、
このような対比した美の描写にあるとは、どうしても思えなかった。
 賢治さんの主張は
『おとうさんのかに』の言葉に託されていると、私は読み取った。

 5月、谷川では、魚が下ったり上ったりしながら、
なにやらエサをあさっていた。
 その矢先、かわせみが来襲し、その魚を奪っていった。
その光景を見て、ぶるぶるふるえる兄弟がにに、おとうさんは
「だいじょうぶ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。」
と、言う。
 そして、「いい、いい、だいじょうぶ。」と、くり返した。

 12月、ドブンと、よく熟していいにおいのするやまなしが谷川に落ち、
ぽかぽか流れて行く。
 やがて、横になった木の枝にやまなしはひっかかり止まる。
「おいしそうだね。」と言う兄弟がにに、おとうさんは
「まてまて、もう二日ばかりまつと、こいつは下に沈んでくる。
それからひとりでにおいしいお酒になる。」と。

 「おとうさんのかに」の言葉を借りたこのメッセージは、
まさに食に対する賢治さんの姿勢、そのものではなかろうか。

 食べ物を奪い取る者は、他の者からその命を食料として奪われる。
しかし、かにの親子は、そのようなことには「かまわない」。
 ただただ、かには待つのである。
そして、熟した自然の恵みが、微生物によっておいしく発酵する、
その時まで待つのである。、
それから、かにはおもむろに、それを食す。

 殺生は、殺生の連鎖でしかない。
だから、自然の恵みをとことん待ち、
そして、それを食べて、命をつないでいく。

 この物語では、その自然の恵みの象徴が、『やまなし』だった。
だから賢治さんはそれを題にしたのであろう。

 私は、賢治さんの仏教思想をもとにした「食」への強い信念を、
この『やまなし』から受け取った。
 そこにこそ、この作品の主張がある。





ご近所さんの庭 三千本のチューリップ “毎年、息をのむ”
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南吉ワールド

2014-10-18 11:51:46 | 文 学
 時間を持て余し、テレビのチャンネルを何度も切り換えていると、
「世界一受けたい授業SP」で
『教育者に聞いた日本の名作ベスト50』を発表していた。

 最初を見逃したので、
それがどんな調査方法で選ばれたかは不明であったが、
興味をもった。

 このベスト50は、
映画あり、小説あり、絵画、アニメ、童話、絵本等と幅広く、
その順位と作品に、
私は次第次第に期待感を膨らませていった。

 異論反論も多かろうが、
私が、最後に勤務していた墨田区に縁の深い葛飾北斎の
「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が、
ベスト1であったことに、
ひとり胸を張ったりしていた。

 それにしても、何よりも私を喜ばせたのは、
9位『ごんぎつね』、13位『てぶくろをかいに』
と、新美南吉作品が2つ、
しかも上位にランクインしていたことである。

 この2つの物語は、
国語の教科書によく登場してくる。
私も授業で、その感動を子ども達としばしば共有したが、
新美南吉特有のストーリー性が、読む手の心を捉えてしまう。
それが、上位ランクインの源だと思うが、
この2つの作品にも色濃く表現されている南吉の世界に、
私は、しばしば心迷わされてしまう。

 そのことについて、記す。

 まず『てぶくろをかいに』についてである。

 余談になるが、ある批評に、
“なぜ母狐は、片手だけ子狐の手を人間の手にしたのか。
その疑問で、思考が止まってしまう子どもがいるのでは”
とあり、興味をもったが、
それにしても人間の手とは反対の手を出しても、
てぶくろを買うことができたのである。

だから、無事帰り着いた子狐は
「にんげんってちっともこわかないや。」
と言う。
ところが、母狐は
「ほんとうににんげんは、いいものかしら。」
と、なんと二度も繰り返すのである。
そして、この物語は、この母狐の言葉で終わる。

何故ハッピーエンドにしないのかといった思いと共に、
人間からの数々の理不尽さが、
この母狐の深い心の傷となっているのでは。
そう思うと、
私自身、己の浅はかさに不安感を抱き、
私は着地点のないまま、
いつも悶々とするのである。
それは、南吉が私たちに残した警告なのではないだろうか。

 つづいて『ごんぎつね』である。

 ある子が、銃でうたれてもなお
「ごんは死んではいない。絶対に生きている。」
と、言い張ったが、その願いは別にして、
ごんは死ぬ間際まで兵十と心を通わすことができなかった。

振り返ってみると、
ごんは、自分の至らなさのつぐないを健気に繰り返した。
しかし、その代償が死であった。
玄関先に様々な品を届けたごん。
それを知らずに、“またいたずらをしにきたな”
と、兵十は銃をとり、うつ。
そして、土間にある栗を見て、
「ごん、おまえだったのか。いつも、くりをくれたのは。」
ごんがぐったり目をつぶったままうなずいた後、
兵十は、火縄銃をばたりととり落とす。

 物語は、そこで終わるのだが、
私はその後の兵十を思うと、心が張り裂けるほど苦しくなる。

 『ごんぎつね』は、
至らなさが生んだ間違いへのつぐないが、新しい間違いを造る。
そんな物語だと言えるが、
しかし、わりに合わないでは、事は済まされない。

 確かにうなぎを食べさせてあげることもできず
母を亡くした兵十の無念さが、
ごんに銃口をむけさせたのであろう。
しかし、ごんの行為を知った兵十は、
今後どんな生き方をして、ごんへつぐなうのだろう。

 新美南吉は、
なぜ、銃を打つ前に兵十に栗を気づかせなかったのだろうか。
なぜ、ごんが死に至るところまで描いたのだろうか。

 勝手に想像するしかないが、
日々繰り返す私たちの過ち、それへのつぐない。
その重さを、南吉は教えてくれたのだと思いたい。

 しかし、わたしは
『てぶくろをかいに』と『ごんぎつね』の
幕の引き方に釈然としない。
そして、せつなさだけが心に残り、
オロオロとしてしまうのである。

 まさに、南吉ワールドにはまっているのかも。




街路樹の銀杏も秋色に

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かならず帰るっていう気持ち

2014-09-26 21:59:49 | 文 学
 児童文学作家・斉藤洋さんを知ったのは、
17年も前・1997年11月のことでした。
 その日、江戸川区の小学校を会場に、
第34回東京都小学校児童文化研究発表大会が行われました。

 斉藤先生は、その記念講演で『このごろ思うこと』と題して、
軽妙な語りで、500人を超える参加者を魅了しました。

 先生は、1986年に講談社児童文学新人賞に輝いた『ルドルフとイッパイアッテナ』の
創作課程やその作品のエピソードを、面白おかしく話され、
会場はしばしば大きな笑いに包まれました。

 しかし、大変残念なことに、当時の私はこの作品を知りませんでした。
従って、先生のお話を十分にくみ取ることができず、
悔しい思いをしました。
 翌日、早速買い求め、久しぶりに時間を忘れ、その本を読みました。

 この物語は、元飼い猫の小さな黒ねこ・ルドルフと
体の大きな野良猫・イッパイアッテナのお話なのですが、
まず何とも、ふたりの出会いがいいのです。

 飼い猫だったルドルフは、当然のごとく名を名乗ります。
「ぼくはルドルフ。あなたの名前は。」と。
そこで、大きなねこは野良猫ゆえ、
あっちではデカと言われ、
こっちではボスと言われ、
むこうではトラと言われるので、
「おれの名前は、いっぱいあってな・・」
と、答えるのです。
するとルドルフは、
「イッパイアッテナさんですか。」
と、応じるのです。
以来ふたりは、「ルドルフ」「イッパイアッテナ」
と、呼び合うのです。

 私は、ふたりのこんな出会いのやりとりを読み、
それだけでこの作品に惹かれました。

 ルドルフのなんとも飼い猫らしい無垢でまっすぐな性格。
そして、イッパイアッテナの思慮深くて落ち着いた雰囲気。
二匹の猫の見事な描写に、私はまず脱帽させられました。

 さて、この物語は、ルドルフが飼われていた家に帰ることを中心に
展開していくのですが、
私はその中である場面に大きく心を動かされました。

 あわてて跳び乗ったトラックの荷台でルドルフは気を失い、
一晩かけて東京に着き、とある下町でイッパイアッテナに出会います。
ルドルフは何から何までイッパイアッテナの世話になります。

しかし、ルドルフは、自分をかわいがってくれた
リエちゃんやロープウェイのおねえさんに会いたいのです。
一晩もトラックに揺られるほど、遠く離れたルドルフのいた町は
どこなのか、なかなか分かりません。

ところが、ある日、テレビから流れる町の映像を偶然見て、
その見慣れた風景からルドルフの町が、
岐阜であることを突き止めます。

すぐにでも戻りたいと思うのですが、
その手段がないのです。
電車を乗り継ぐのは難しいし、
トラックの荷台に隠れて跳び乗っても岐阜に行けるとは限りません。
帰る先が分かっても、帰れないのです。

ルドルフはイッパイアッテナや
東京で知り合ったねこ達にやさしく励まされます。
そして、ルドルフは失意の中でこう思うのです。

 『いざとなったら、歩いてだって帰れる。
歩いてなんて帰れやしないって思うから、ほんとうに帰れなくなるんだ。
かならず帰るっていう気持ちさえあれば、
どんなことをしたって帰ることができるんだ。』、と。

 物語の中でいきづく言葉の力強さに、私は酔ってしまいました。
 そして、この物語を読んだ日本中の沢山の子ども達が、
私と同じ言葉や、私とは違う様々な場面で
ルドルフやイッパイアッテナの言動に、
自分を重ね、勇気づけられたと思います。

 私に、児童文学・物語の素晴らしさを強く印象づけてくれた一冊です。
 斉藤洋さんのルドルフシリーズは現在、全4作が出版されています。
 どれも、輝いています。




晴れた日 伊達漁港からの東山
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