道東は根室半島のつけ根付近、太平洋沿岸に無人の小島がある。
ユルリ島と言う。
『ユルリ』とは、アイヌ語で「鵜の居る島」という意味らしい。
その名の通りで、この島は、
絶滅危惧種のエトピリカをはじめ、国内有数の北方系海鳥の営巣地であり、
現在は、国指定の鳥獣保護区ならびに北海道指定の天然記念物となっている。
そのため、一般人の立ち入りは禁止されている。
戦後のことになるが、周囲約8キロの断崖に囲まれた平坦な台地状のこの島には、
地元でもさほど注目されることのなかった歴史がある。
この島の周辺海域では、昆布漁が盛んだった。
まだエンジン付きの船ではなかった終戦まもない頃、
漁業者たちは、ユルリ島の崖上の平地を昆布の干し場にした。
そして、昭和26,7年頃、昆布を引き上げる労力として、
この島に馬が運び込まれた。
島には、多い時期には6軒の番屋ができ、夏だけ漁業者が定住していた。
ところが、昭和40年代にエンジン付き船舶が出回り、
昆布の干し場としての島の役割は薄れていった。
当然、労力としての馬の必要性も無くなっていった。
とうとう昭和46年、最後の漁業者が島を去った。
北海道本土に、馬を放牧する土地を持たなかった漁業者は、
そのまま島に馬を残すことにした。
島には、馬のエサとなるミヤコザサなど豊富な食草が生い茂っており、
中央部には湿原もあった。いくつかの小川も流れていた。
冬は、強い風で深い雪にはならなかったが、
それでも馬たちは前足で雪を掘り、草を食んだ。
島はその後、馬の生産を目的とする自然放牧地へと用途を変えた。
近親交配による馬の絶滅を防ぐために、
雄馬を間引きし、種雄馬の交換なども行った。
多いときには、約30頭がいたようだが、
一切人間がエサを与えることはなく、馬は野生化していった。
そして、平成18年、かつて島に住んでいた漁業者が高齢となり、
馬の繁殖を断念した。
その時、18頭が生息していたが、その内4頭の種雄馬が間引きされ、
14頭の雌馬だけが島に残されることになった。
雄馬のいなくなったユルリ島で、
新しい子馬が産まれることは永遠になくなった。
この事実に興味を持った新進気鋭の写真家・岡田敦さんが、
何度も断られながらも熱意が実り、
根室市から上陸許可を受け、島に上がった。
島には平成23年8月12頭、25年8月10頭、
そして、昨年2月には6頭の生存が確認された。
それから1年、今、何頭生き続けているのか、私に知る術はない。
私が、ユルリ島のこんな歴史を知ったのは昨年4月のことだった。
地元のテレビと新聞でこの報道に接した。
特に新聞記事の
『強風が吹き付ける北の小島に残され、
やがては消滅を運命づけられた雌馬たち。』
の一文に、胸をつまらせ、涙で文字がにじんだ。
切なさが、ずうっと心から離れなかった。
しかし、この雌馬たちを撮り続ける岡田氏は、
「家畜であれば、人間に役割を与えられ、それぞれの価値が決まる。
ここの馬は自由に生きて幸せなのかなあ、と。
『生きる』ということを考えさせられる。」
と、言う。
いつも人間の都合で振り回されたユルリ島の馬たち。
私は、その馬への扱いに異議を唱えるつもりなど毛頭ない。
様々な時代の宿命の中で人々も馬たちも生きている。
そのことを淡々と受け止めたいと思う。
そして、なによりも、あの日、14頭の雌馬を残し、
島を去った年老いた漁業者の後ろ姿を私は想像する。
きっと、その背中はいつまでもいつまでも震えていたのではないだろうか。
少しずつ 伊達にも 春の足音が
ユルリ島と言う。
『ユルリ』とは、アイヌ語で「鵜の居る島」という意味らしい。
その名の通りで、この島は、
絶滅危惧種のエトピリカをはじめ、国内有数の北方系海鳥の営巣地であり、
現在は、国指定の鳥獣保護区ならびに北海道指定の天然記念物となっている。
そのため、一般人の立ち入りは禁止されている。
戦後のことになるが、周囲約8キロの断崖に囲まれた平坦な台地状のこの島には、
地元でもさほど注目されることのなかった歴史がある。
この島の周辺海域では、昆布漁が盛んだった。
まだエンジン付きの船ではなかった終戦まもない頃、
漁業者たちは、ユルリ島の崖上の平地を昆布の干し場にした。
そして、昭和26,7年頃、昆布を引き上げる労力として、
この島に馬が運び込まれた。
島には、多い時期には6軒の番屋ができ、夏だけ漁業者が定住していた。
ところが、昭和40年代にエンジン付き船舶が出回り、
昆布の干し場としての島の役割は薄れていった。
当然、労力としての馬の必要性も無くなっていった。
とうとう昭和46年、最後の漁業者が島を去った。
北海道本土に、馬を放牧する土地を持たなかった漁業者は、
そのまま島に馬を残すことにした。
島には、馬のエサとなるミヤコザサなど豊富な食草が生い茂っており、
中央部には湿原もあった。いくつかの小川も流れていた。
冬は、強い風で深い雪にはならなかったが、
それでも馬たちは前足で雪を掘り、草を食んだ。
島はその後、馬の生産を目的とする自然放牧地へと用途を変えた。
近親交配による馬の絶滅を防ぐために、
雄馬を間引きし、種雄馬の交換なども行った。
多いときには、約30頭がいたようだが、
一切人間がエサを与えることはなく、馬は野生化していった。
そして、平成18年、かつて島に住んでいた漁業者が高齢となり、
馬の繁殖を断念した。
その時、18頭が生息していたが、その内4頭の種雄馬が間引きされ、
14頭の雌馬だけが島に残されることになった。
雄馬のいなくなったユルリ島で、
新しい子馬が産まれることは永遠になくなった。
この事実に興味を持った新進気鋭の写真家・岡田敦さんが、
何度も断られながらも熱意が実り、
根室市から上陸許可を受け、島に上がった。
島には平成23年8月12頭、25年8月10頭、
そして、昨年2月には6頭の生存が確認された。
それから1年、今、何頭生き続けているのか、私に知る術はない。
私が、ユルリ島のこんな歴史を知ったのは昨年4月のことだった。
地元のテレビと新聞でこの報道に接した。
特に新聞記事の
『強風が吹き付ける北の小島に残され、
やがては消滅を運命づけられた雌馬たち。』
の一文に、胸をつまらせ、涙で文字がにじんだ。
切なさが、ずうっと心から離れなかった。
しかし、この雌馬たちを撮り続ける岡田氏は、
「家畜であれば、人間に役割を与えられ、それぞれの価値が決まる。
ここの馬は自由に生きて幸せなのかなあ、と。
『生きる』ということを考えさせられる。」
と、言う。
いつも人間の都合で振り回されたユルリ島の馬たち。
私は、その馬への扱いに異議を唱えるつもりなど毛頭ない。
様々な時代の宿命の中で人々も馬たちも生きている。
そのことを淡々と受け止めたいと思う。
そして、なによりも、あの日、14頭の雌馬を残し、
島を去った年老いた漁業者の後ろ姿を私は想像する。
きっと、その背中はいつまでもいつまでも震えていたのではないだろうか。
少しずつ 伊達にも 春の足音が