右腕の手術から1年が経過した。
久しぶりに診察を受けた手術医は、
「神経の病気は治るのに時間がかかるから。」
「少しずつ回復していますよ。」
「気長に頑張って下さい。」
と、相も変わらぬ言葉をくり返した。
「何を根拠に、そうおっしゃるのですか?」
の言葉を飲み込みながら、
「まだまだかかるんですね。」
と、いつも通り診察室を後にした。
若い頃から、『牛歩の如くに』という言葉が、何故か気に入っていた。
多感な時代、思うようにならない想いや願いに対して、
「それでも、前へ進んでいる」
と、自分を励まし、支えた言葉だった。
昨年の冬、突然みまわれた右手の機能障害と感覚麻痺、
そして、術後の痛みと痺れ。
遅々として回復の兆しさえない右手へのいら立ちに、
久しぶりに『牛歩の如くに』の言葉が蘇り、私の心を鎮めてくれた。
そして、きっと全快する日がくると信じさせてもくれた。
そして、この右手を癒やしてくれている、もう一つ、
それが温泉である。
月1、2回は、日帰り温泉に、家内を誘う。
お気に入りは、近隣の町が運営している海辺の温泉施設である。
何といっても、この辺りの日帰り温泉の中では、
断トツに浴室が広い。
その上、前面を大きなガラスで区切られた湯舟からは、、
その先の噴火湾が、大きく一望できた。
海面がキラキラとまばゆくゆらめき、その広大な輝きだけでも、
沈みかける私の心を十分に慰めてくれる。
その上、温泉は神経痛に効果がある。
私はそんな適応書きだけではなく、
この1年間の経験で、心からその効能を信じるようになっていた。
だから、しばしば大仰に、
明るい日射しを浴びた湯舟に、どっぷりと浸かりながら、
「温泉こそ、この右手への癒やしのオアシス。」
なんて、一人呟いたりもしていた。
それに加え、温泉は、いばしば私を温めてくれる物語に、
遭遇させるくれる場でもあった。
3度目の冬を越えようとしていた頃だ。
今までに比べ過ごしやすい冬だった。
それでも、待ち望んでいた
『光の春』の言葉に、相応しい日射しの日だった。
潮騒が聞こえる温泉の駐車場に、
隣り町にある老人施設の、大型バスが止めてあった。
「施設のお年寄りが入浴に来ているのかな。」と思った。
私は、いつものようにバスタオル等入った袋をぶらさげ、
家内とは、湯上がりの時間を約束し、脱衣室に入った。
いつになく賑やかな声が飛び交っていた。
私は、そんな声を横切り、脱衣ロッカーに向かった。
何人もの老人の湯上がり姿があった。
そして、年若い介護士がそのそばにいた。
賑やかな会話は、その介護士に向けられ、
「明日は、確かゲーム大会だったね。」
「いや、それは明後日でしょう。」
「そうか、そうか。そうだった。間違えた。楽しみだなぁ。」
と、次に笑い声が続き、
また、似たような言葉がくり返され、
若い介護士がそれに応じ、再び笑い声が続いた。
一つ一つの言葉が、やけに明るく響いていた。
広くて明るい温泉に入り、気分爽快なことが、
飛び交う会話から感じ取れた。
現職の頃、宿泊学習での子供たちの入浴場面を思い出した。
友達みんなと入るお風呂の、
嬉しさに溢れた甲高い話し声に、それは似ていた。
浴室に入ると、2、3人のお年寄りごとに、
これまた介護の若者がついていた。
思い思いゆったりと湯舟に体を沈めていた。
まさに至福の時といった感じだった。
久しぶりの温泉を楽しむ。
そんな光景がそこにもここにもあった。
ゆっくりと流れる湯煙の中で、
年老いた体が、温もりに満たされていた。
いつにも増して、穏やかな温かさが、
浴室いっぱいに広がり漂っていた。
私は、そんな湯舟の一角で、体と右手を温めながら、
経験のない安らぎのお裾分けを、頂いた想いに包まれた。
何度も何度もゆったりと深呼吸をした。
心の奥深くまで、潤いが運ばれた。
湯上がり後、休憩室でいつも通り、
汗を拭いながら、ソフトクリームをほおばった。、
そこでも、湯上がりの上気した顔で、
廊下を行き交う老いた女性たちを見た。
腕を支えて貰いながらの人、
後ろから見守られながらも、一人で一歩一歩と進む人と、
それぞれだったが、
かけ合う声は、みんな明るく華やいでいた。
嬉しさのあふれた、精一杯の声と手振り、身振りには活気があった。
帰り道、ハンドルを握りながら、
いつになく気持ちの軽やかさを覚えた。
老人施設での暮らしを離れ、
日帰り温泉での一日が、あんなにも楽しい時間にしている。
そんなお年寄りを間近で見ることができた。
偶然だったが、「ご一緒できてよかった。」
温泉の温もりに加え、それにも劣らない温かさに触れた。
沈みかけた私の心に、南風にのった春が訪れた。
『光の春』に相応しい贈り物だった。
アヤメが満開のときを迎えた(水車アヤメ川公園にて)
久しぶりに診察を受けた手術医は、
「神経の病気は治るのに時間がかかるから。」
「少しずつ回復していますよ。」
「気長に頑張って下さい。」
と、相も変わらぬ言葉をくり返した。
「何を根拠に、そうおっしゃるのですか?」
の言葉を飲み込みながら、
「まだまだかかるんですね。」
と、いつも通り診察室を後にした。
若い頃から、『牛歩の如くに』という言葉が、何故か気に入っていた。
多感な時代、思うようにならない想いや願いに対して、
「それでも、前へ進んでいる」
と、自分を励まし、支えた言葉だった。
昨年の冬、突然みまわれた右手の機能障害と感覚麻痺、
そして、術後の痛みと痺れ。
遅々として回復の兆しさえない右手へのいら立ちに、
久しぶりに『牛歩の如くに』の言葉が蘇り、私の心を鎮めてくれた。
そして、きっと全快する日がくると信じさせてもくれた。
そして、この右手を癒やしてくれている、もう一つ、
それが温泉である。
月1、2回は、日帰り温泉に、家内を誘う。
お気に入りは、近隣の町が運営している海辺の温泉施設である。
何といっても、この辺りの日帰り温泉の中では、
断トツに浴室が広い。
その上、前面を大きなガラスで区切られた湯舟からは、、
その先の噴火湾が、大きく一望できた。
海面がキラキラとまばゆくゆらめき、その広大な輝きだけでも、
沈みかける私の心を十分に慰めてくれる。
その上、温泉は神経痛に効果がある。
私はそんな適応書きだけではなく、
この1年間の経験で、心からその効能を信じるようになっていた。
だから、しばしば大仰に、
明るい日射しを浴びた湯舟に、どっぷりと浸かりながら、
「温泉こそ、この右手への癒やしのオアシス。」
なんて、一人呟いたりもしていた。
それに加え、温泉は、いばしば私を温めてくれる物語に、
遭遇させるくれる場でもあった。
3度目の冬を越えようとしていた頃だ。
今までに比べ過ごしやすい冬だった。
それでも、待ち望んでいた
『光の春』の言葉に、相応しい日射しの日だった。
潮騒が聞こえる温泉の駐車場に、
隣り町にある老人施設の、大型バスが止めてあった。
「施設のお年寄りが入浴に来ているのかな。」と思った。
私は、いつものようにバスタオル等入った袋をぶらさげ、
家内とは、湯上がりの時間を約束し、脱衣室に入った。
いつになく賑やかな声が飛び交っていた。
私は、そんな声を横切り、脱衣ロッカーに向かった。
何人もの老人の湯上がり姿があった。
そして、年若い介護士がそのそばにいた。
賑やかな会話は、その介護士に向けられ、
「明日は、確かゲーム大会だったね。」
「いや、それは明後日でしょう。」
「そうか、そうか。そうだった。間違えた。楽しみだなぁ。」
と、次に笑い声が続き、
また、似たような言葉がくり返され、
若い介護士がそれに応じ、再び笑い声が続いた。
一つ一つの言葉が、やけに明るく響いていた。
広くて明るい温泉に入り、気分爽快なことが、
飛び交う会話から感じ取れた。
現職の頃、宿泊学習での子供たちの入浴場面を思い出した。
友達みんなと入るお風呂の、
嬉しさに溢れた甲高い話し声に、それは似ていた。
浴室に入ると、2、3人のお年寄りごとに、
これまた介護の若者がついていた。
思い思いゆったりと湯舟に体を沈めていた。
まさに至福の時といった感じだった。
久しぶりの温泉を楽しむ。
そんな光景がそこにもここにもあった。
ゆっくりと流れる湯煙の中で、
年老いた体が、温もりに満たされていた。
いつにも増して、穏やかな温かさが、
浴室いっぱいに広がり漂っていた。
私は、そんな湯舟の一角で、体と右手を温めながら、
経験のない安らぎのお裾分けを、頂いた想いに包まれた。
何度も何度もゆったりと深呼吸をした。
心の奥深くまで、潤いが運ばれた。
湯上がり後、休憩室でいつも通り、
汗を拭いながら、ソフトクリームをほおばった。、
そこでも、湯上がりの上気した顔で、
廊下を行き交う老いた女性たちを見た。
腕を支えて貰いながらの人、
後ろから見守られながらも、一人で一歩一歩と進む人と、
それぞれだったが、
かけ合う声は、みんな明るく華やいでいた。
嬉しさのあふれた、精一杯の声と手振り、身振りには活気があった。
帰り道、ハンドルを握りながら、
いつになく気持ちの軽やかさを覚えた。
老人施設での暮らしを離れ、
日帰り温泉での一日が、あんなにも楽しい時間にしている。
そんなお年寄りを間近で見ることができた。
偶然だったが、「ご一緒できてよかった。」
温泉の温もりに加え、それにも劣らない温かさに触れた。
沈みかけた私の心に、南風にのった春が訪れた。
『光の春』に相応しい贈り物だった。
アヤメが満開のときを迎えた(水車アヤメ川公園にて)