全校朝会を通して、子ども達と先生方に、
私から『届けたかったこと』を話してきた。
その5話である。
今回は、事故に関する話題を2つ記す。
10 急いで、路地から
先日、帰宅する電車内で、
10年ほど前に担任をしたM君に、バッタリ会いました。
M君は5,6年生の時、私の学級にいました。
M君は、席替えのたびに、
「一度でいいから、一番前の真ん中の席になりたいな。」
と明るい声で言っていました。
その席になったことがないので、
私もそうしてあげたいと思うのですが、
それは絶対に無理なことでした。
5年生の4月、M君の身長は、
私と同じくらいありました。
そして、6年生の卒業する頃には、
私が見上げる程になっていました。
ですから、いつも一番後ろの席に座ってもらいました。
M君は、少年野球をしていました。
野球を通してM君を知っている大人の間では、
『将来は超一流の野球選手になる』と噂されていました。
体が大きくて、野球が上手なだけではではなく、
勉強もしっかりしていました。
また友だちも多く、学級の誰からも人気がありました。
その上、M君には、運動選手らしい、爽やかさがありました。
ある日の帰りの会で、こんなことがありました。
何故か、その日は珍しくダラダラと帰りの会が続きました。
私もしびれを切らし、
「終わりにしようよ。」と言おうとしていた時でした。
M君が、急に立ち上がりました。
「我慢できなかった。やっちまった。」
一番後ろのM君の席は、
椅子の下がびしょびしょに濡れていました。
当然、ズボンも色が変わっていました。
「みんなゴメン。便所で着替えてくる。
後で、床はふくから。先生、いいですか。」
ロッカーから体操着を取り出すと、
M君は急いで教室を出て行きました。
突然のことでしたが、
私は、M君がいなくなった教室で、
その時のM君を褒めました。
6年生にもなって、おもらしをしてしまったけど、
私は素晴らしいと思ったのです
M君は、帰りの会はきっともうすぐ終わるだろうと、
我慢に我慢を重ねていたこと。
途中で、トイレに立つのは、
迷惑をかけることになると思ったこと。
でも、我慢の限界が来てしまったこと。
そして、おもらしを隠すことなく、
堂々とみんなに知らせたこと。
恥ずかしさをこらえて謝り、
責任を果たそうとしていること。
私は、すごく立派な振る舞いだと言いました。
着替えを済ませたM君は、
水の入ったバケツと雑巾を持って教室に戻り、
濡れた床を一人できれいにしました。
そして、もう一度「すみませんでした。」と、
深々と頭をさげました。
その後、みんなは何事もなかったかのように、
いつものように、M君と一緒に仲良く下校していきました。
私は、その時のM君を見て、
『将来は超一流の野球選手になる』
と、言われている訳が分かった気がしました。
そして、素晴らしい野球選手になってほしいと
願うようになりました。
そのM君と、実に久しぶりに再会したのです。
周りの人たちより首一つ背が高く、
がっしりとした大きな体をしていました。
ネクタイにスーツ姿で、懐かしそうな笑顔で、
私に会釈をしてくれました。
私はあいさつもそこそこに、「どう野球は。」と尋ねました。
電車の中でしたの、深く話を聞くことはできませんでしたが、
私は、ただただ「そうだったの。」と言うだけで、
M君のその時の話に、それ以上返す言葉がありませんでした。
M君の話は、こうでした。
M君は、中学校でも野球を続け、
高校は、野球の名門と言われる学校に入りました。
高校3年生ではレギュラーになりました。
甲子園を目指した練習に取り組んでいたある日、
M君は不運に見舞われました。
その日の朝、いつもより少しだけ寝坊をしてしまいました。
いつもの電車に間に合わせようと、自転車で駅まで急ぎました。
通い慣れた道でした。
いつも気をつけている場所にさしかかりました。
慌てていて、よく安全も確認せず、
路地から大通りへ、飛び出してしまいました。
その時、事故にあったのです。
出会い頭、大通りを進んできたトラックに轢かれてしまったのです。
M君は右足を複雑骨折してしまいました。
もう、全力で走ることができなくなり、
野球をあきらめることになったのです。
ちょっとした油断だったと思います。
最後に、M君は「悔やんでも、悔やんでもです。」
と、言い残して、電車を降りていきました。
M君は、おもらし事件でもわかるように、
強くてしっかりした子です。
ですから、野球が無理でも、
決してくじけたりはしないと思います。
でも、すごく残念でなりません。
11 もしも、あの時
私が、先生になったばかりのころ、
新聞で知った事故のことを話します。
ある小学校の廊下で、一人の女の子が、
死んでしまいました。
一人の人間が、学校の廊下で死んだのです。
これは、大変なことです。
どんなことが原因で死んだのかと言いますと、
廊下を走って、すべってころんだ。
たったそれだけのことです。
毎日、どこにでもあるようなことですが、
それで一人の人間が死んだのです。
4時間目の授業が終わって、給食の時間のことです。
女の子が手を洗いに行きました。
たくさんの子どもが手を洗いに集まるので、
手洗い場の床は、水でびしょ濡れになりました。
その上、ハンカチを使わない子が、
手を振りながら教室へ戻るので、
これまた廊下までが、水で濡れてしまいます。
そこへ、男の子が走ってきました。
男の子は止まろうとしましたが、
廊下が濡れているものですから、
すてーんと転んでしまいました。
そして、そのままスーッとすべっていったのです。
よくあることです。
その足が、手洗い場で順番を待って並んでいた、
女の子のかかとにぶつかったのです。
女の子は、足をすくわれて、でーんと仰向けに倒れました。
頭を強く打ってしまいました。
そして、その場で気を失ったのです。
周りにいた子ども達はびっくりして、
先生を呼びました。
保健の先生が来て、様子を見ていると意識が戻りました。
念のため、救急車で病院に行き、入院をしました。
病院で、元気を取り戻し、一安心していると、
その日の夜、女の子は2回も
夕食で食べた物をもどしました。
その後、病院は急いで必死に治療が行いました。
しかし、夜明け前、容体が急変し、
女の子は息を引き取ってしまいました。
もしも、学校中で子ども達全員が、
ハンカチを使っていたら、
あんなに廊下が濡れることはなかったでしょう。
もしも、誰一人廊下を走る子どもがいなかったら、
そして、もしも、滑って転んでも、
人を倒すほど勢いよく走っていなければ、
女の子の命を奪うことにはならなかったでしょう。
何にもかえることのできない命が、
こうして亡くなりました。
二度とこのようなことを、くり返してはなりません。
一面満開のタンポポ:ご近所の空き地
私から『届けたかったこと』を話してきた。
その5話である。
今回は、事故に関する話題を2つ記す。
10 急いで、路地から
先日、帰宅する電車内で、
10年ほど前に担任をしたM君に、バッタリ会いました。
M君は5,6年生の時、私の学級にいました。
M君は、席替えのたびに、
「一度でいいから、一番前の真ん中の席になりたいな。」
と明るい声で言っていました。
その席になったことがないので、
私もそうしてあげたいと思うのですが、
それは絶対に無理なことでした。
5年生の4月、M君の身長は、
私と同じくらいありました。
そして、6年生の卒業する頃には、
私が見上げる程になっていました。
ですから、いつも一番後ろの席に座ってもらいました。
M君は、少年野球をしていました。
野球を通してM君を知っている大人の間では、
『将来は超一流の野球選手になる』と噂されていました。
体が大きくて、野球が上手なだけではではなく、
勉強もしっかりしていました。
また友だちも多く、学級の誰からも人気がありました。
その上、M君には、運動選手らしい、爽やかさがありました。
ある日の帰りの会で、こんなことがありました。
何故か、その日は珍しくダラダラと帰りの会が続きました。
私もしびれを切らし、
「終わりにしようよ。」と言おうとしていた時でした。
M君が、急に立ち上がりました。
「我慢できなかった。やっちまった。」
一番後ろのM君の席は、
椅子の下がびしょびしょに濡れていました。
当然、ズボンも色が変わっていました。
「みんなゴメン。便所で着替えてくる。
後で、床はふくから。先生、いいですか。」
ロッカーから体操着を取り出すと、
M君は急いで教室を出て行きました。
突然のことでしたが、
私は、M君がいなくなった教室で、
その時のM君を褒めました。
6年生にもなって、おもらしをしてしまったけど、
私は素晴らしいと思ったのです
M君は、帰りの会はきっともうすぐ終わるだろうと、
我慢に我慢を重ねていたこと。
途中で、トイレに立つのは、
迷惑をかけることになると思ったこと。
でも、我慢の限界が来てしまったこと。
そして、おもらしを隠すことなく、
堂々とみんなに知らせたこと。
恥ずかしさをこらえて謝り、
責任を果たそうとしていること。
私は、すごく立派な振る舞いだと言いました。
着替えを済ませたM君は、
水の入ったバケツと雑巾を持って教室に戻り、
濡れた床を一人できれいにしました。
そして、もう一度「すみませんでした。」と、
深々と頭をさげました。
その後、みんなは何事もなかったかのように、
いつものように、M君と一緒に仲良く下校していきました。
私は、その時のM君を見て、
『将来は超一流の野球選手になる』
と、言われている訳が分かった気がしました。
そして、素晴らしい野球選手になってほしいと
願うようになりました。
そのM君と、実に久しぶりに再会したのです。
周りの人たちより首一つ背が高く、
がっしりとした大きな体をしていました。
ネクタイにスーツ姿で、懐かしそうな笑顔で、
私に会釈をしてくれました。
私はあいさつもそこそこに、「どう野球は。」と尋ねました。
電車の中でしたの、深く話を聞くことはできませんでしたが、
私は、ただただ「そうだったの。」と言うだけで、
M君のその時の話に、それ以上返す言葉がありませんでした。
M君の話は、こうでした。
M君は、中学校でも野球を続け、
高校は、野球の名門と言われる学校に入りました。
高校3年生ではレギュラーになりました。
甲子園を目指した練習に取り組んでいたある日、
M君は不運に見舞われました。
その日の朝、いつもより少しだけ寝坊をしてしまいました。
いつもの電車に間に合わせようと、自転車で駅まで急ぎました。
通い慣れた道でした。
いつも気をつけている場所にさしかかりました。
慌てていて、よく安全も確認せず、
路地から大通りへ、飛び出してしまいました。
その時、事故にあったのです。
出会い頭、大通りを進んできたトラックに轢かれてしまったのです。
M君は右足を複雑骨折してしまいました。
もう、全力で走ることができなくなり、
野球をあきらめることになったのです。
ちょっとした油断だったと思います。
最後に、M君は「悔やんでも、悔やんでもです。」
と、言い残して、電車を降りていきました。
M君は、おもらし事件でもわかるように、
強くてしっかりした子です。
ですから、野球が無理でも、
決してくじけたりはしないと思います。
でも、すごく残念でなりません。
11 もしも、あの時
私が、先生になったばかりのころ、
新聞で知った事故のことを話します。
ある小学校の廊下で、一人の女の子が、
死んでしまいました。
一人の人間が、学校の廊下で死んだのです。
これは、大変なことです。
どんなことが原因で死んだのかと言いますと、
廊下を走って、すべってころんだ。
たったそれだけのことです。
毎日、どこにでもあるようなことですが、
それで一人の人間が死んだのです。
4時間目の授業が終わって、給食の時間のことです。
女の子が手を洗いに行きました。
たくさんの子どもが手を洗いに集まるので、
手洗い場の床は、水でびしょ濡れになりました。
その上、ハンカチを使わない子が、
手を振りながら教室へ戻るので、
これまた廊下までが、水で濡れてしまいます。
そこへ、男の子が走ってきました。
男の子は止まろうとしましたが、
廊下が濡れているものですから、
すてーんと転んでしまいました。
そして、そのままスーッとすべっていったのです。
よくあることです。
その足が、手洗い場で順番を待って並んでいた、
女の子のかかとにぶつかったのです。
女の子は、足をすくわれて、でーんと仰向けに倒れました。
頭を強く打ってしまいました。
そして、その場で気を失ったのです。
周りにいた子ども達はびっくりして、
先生を呼びました。
保健の先生が来て、様子を見ていると意識が戻りました。
念のため、救急車で病院に行き、入院をしました。
病院で、元気を取り戻し、一安心していると、
その日の夜、女の子は2回も
夕食で食べた物をもどしました。
その後、病院は急いで必死に治療が行いました。
しかし、夜明け前、容体が急変し、
女の子は息を引き取ってしまいました。
もしも、学校中で子ども達全員が、
ハンカチを使っていたら、
あんなに廊下が濡れることはなかったでしょう。
もしも、誰一人廊下を走る子どもがいなかったら、
そして、もしも、滑って転んでも、
人を倒すほど勢いよく走っていなければ、
女の子の命を奪うことにはならなかったでしょう。
何にもかえることのできない命が、
こうして亡くなりました。
二度とこのようなことを、くり返してはなりません。
一面満開のタンポポ:ご近所の空き地