1 伊達の錦秋
9月末、旭川でハーフマラソンを完走し、
その後は、天候と体調を見ながら、ジョギングを続けた。
次は、11月末の『江東シーサイドマラソン大会』のハーフに、
エントリーしていた。
「エッ、わざわざ北海道から東京まで走りに行くの!」
そう呆れられるので、言い訳する。
実は、大会の3日前に、
校長として勤務した学校の開校100周年記念式典がある。
それに参列するために上京する必要があった。
だから、ついでに、3年連続になるが、
永代通りと若洲堤防のコースを走ることにした。
確かに、マラソン大会参加と言う目標があることが、
日々のジョギングの励みになっている。
それに加え、10、11月の
『紅葉から落葉へ』と向かう伊達が力になるのだ。
折々の変化を肌で感じ、大きく息しながら、
足を進める爽快感がたまらない。
そんな朝のジョギングで触れる秋の伊達を、
ちょっとスケッチしてみる。
・ 荒々しい稜線の有珠山が朝日を浴び、
頂の山肌を紅色に染める。
裾野の樹木はと言えば、これまた秋の赤色。
上から下まで、山は丸ごと深い赤一色なのだ。
風のない朝、ツンとした空気と共に、
その山容が背筋を伸ばしてくれる。
・ 胆振線が通っていた線路の跡地が、
サイクリングロードになっている。
紅葉した桜並木のその道を2キロほど走ると、
『チリリン橋』に着く。
下を流れる長流川に、沢山の鮭が遡上した。
産卵を終え、横たわる数々のホッチャレ。
それを、目当てに群がる野鳥。
厳しい命の現実を目にしながら、
淡々と駆け抜け、私も冬に向かう。
・ 遠く明治の頃、あのクラーク博士が伊達を訪れた。
ビートの栽培と砂糖生産を推奨したと言う。
紆余曲折はあったようだが、
毎年、秋とともに製糖工場の太い煙突から、
モクモクと白い煙が上る。
そして、掘り起こしたビート根を山積みしたトラックが、
西から、東から、北からその工場へ向かう。
師走を前に活気づく、国道37号線。
町中は、ほんのりとした甘い香りに包まれ、
大きな息づかいの私は、伊達特有の秋を感じる。
・ 日に日に冷たくなっていく風とともに、心待ちにする。
はるかシベリアから飛来するオオハクチョウだ。
私はもう珍客とは思っていない。
朝、「クワッ、クワッ」と声を張り上げ、
10羽前後でえさ場の畑地へ向かう。
しばらくすると、また同じような一団が空を舞う。
「今年も、みんなで帰ってきたんだ。」
私の声など届くはずがない。
でも、小さく声に出してみる。
「お帰りなさい!!」。
急に、体も心も弾んだ。
さて、先日、最初の寒波が訪れた。
本格的な冬を思わせるように雪が降った。
そのためか、風邪をひいた。
完治しないまま、上京の日が来た。
2 東京の季秋
あいにく冷たい雨の日だった。
世界のホームラン王と言われる王貞治氏が卒業した小学校が、
開校100周年を迎えた。
その式典に、元校長として出席した。
多忙の中、王さんも参列してくれた。
ビックネームの来校である。
きっと騒がしいことになるだろうと思った。
しかし、飾らない人柄がそうさせるのか、
物静かな雰囲気が周りを包んでいた。
穏やかに写真撮影に応じる姿が印象的だった。
人間性の違いと言うのだろうか、
ひとつのことを極めた人だからなのだろうか。
その素晴らしさを近くで感じた。
それから3日後、
前日までの冷たさが一転、好天に恵まれた。
『第37回江東シーサイドマラソン大会』が、
スタートとフィニッシュを江東区夢の島競技場を会場に行われた。
会場までの途中、区役所前に集結する同じ帽子を被った、
沢山の競技役員を見た。
「この方々の支えがあって、走ることができる。」
突然、キューンと胸が詰まった。
昨年同様、4000人のランナーと、
多くの人でにぎわう会場だった。
まだ緑色の芝生。
そこに立ち、青空を見上げてみた。
前日の朝方、ホテルのベットで大汗をかいた。
私にとって、それは風邪の完治を意味した。
体調は大丈夫だった。
しかし、なのだ。
いつだって完走を目指した。
これで、11回目のハーフマラソンなのに、
自信など、私のどこを探してもない。
心細さで、逃げ出したい気持ちになってしまう。
「行けるところまで行くしかない。」
秋の高い空をしばらく見上げ、心を固めた。
走り初めて2キロ付近、
周りは年若いランナーばかりに思えた。
軽快な足音ばかりが聞こえた。
朝のジョギングも同じだが、
走り出しのこの距離がすごく苦しい。
「歩きたい」、「歩きたい」。
その言葉しかないまま、永代通りへ進んだ。
そして3キロが過ぎた。
その辺りから、私が変わった。
息苦しさが去り、足取りも軽くなった。
これなら10キロは走れる。
最後尾からのスタートだった。
だから、次々とランナーを抜いた。
いいリズムのまま、10キロを通過してしまった。
後半は、人気のない散歩道や堤防路だ。
思い返すとそこでの安全運転が悔やまれた。
周りのランナーのペースダウンに合わせて走ってしまった。
残り3キロ。
いつもより余力があることに気づいた。
ペースを上げた。
19キロ、20キロ、……。
軽快な足取りに、一番驚いたのは私自身だった。
競技場のトラックは、全力疾走ができた。
しかし、昨年より3分も遅いゴールに力が抜けた。
ゴールしてしてすぐ、つぶやいた。
「もっと、走れた!」
年令も、あのスタート前の不安も忘れ、
悔しさがこみ上げた。
「俺は、まだできる。
来年は、必ず自己ベストをだしてやる。」
「とんでもない年寄りなこと!」
そう呆れられてもいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e5/3551ec7b88f56911f6491fc9b62f7c8e.jpg)
寒空の下 冬の大きな栗の木
9月末、旭川でハーフマラソンを完走し、
その後は、天候と体調を見ながら、ジョギングを続けた。
次は、11月末の『江東シーサイドマラソン大会』のハーフに、
エントリーしていた。
「エッ、わざわざ北海道から東京まで走りに行くの!」
そう呆れられるので、言い訳する。
実は、大会の3日前に、
校長として勤務した学校の開校100周年記念式典がある。
それに参列するために上京する必要があった。
だから、ついでに、3年連続になるが、
永代通りと若洲堤防のコースを走ることにした。
確かに、マラソン大会参加と言う目標があることが、
日々のジョギングの励みになっている。
それに加え、10、11月の
『紅葉から落葉へ』と向かう伊達が力になるのだ。
折々の変化を肌で感じ、大きく息しながら、
足を進める爽快感がたまらない。
そんな朝のジョギングで触れる秋の伊達を、
ちょっとスケッチしてみる。
・ 荒々しい稜線の有珠山が朝日を浴び、
頂の山肌を紅色に染める。
裾野の樹木はと言えば、これまた秋の赤色。
上から下まで、山は丸ごと深い赤一色なのだ。
風のない朝、ツンとした空気と共に、
その山容が背筋を伸ばしてくれる。
・ 胆振線が通っていた線路の跡地が、
サイクリングロードになっている。
紅葉した桜並木のその道を2キロほど走ると、
『チリリン橋』に着く。
下を流れる長流川に、沢山の鮭が遡上した。
産卵を終え、横たわる数々のホッチャレ。
それを、目当てに群がる野鳥。
厳しい命の現実を目にしながら、
淡々と駆け抜け、私も冬に向かう。
・ 遠く明治の頃、あのクラーク博士が伊達を訪れた。
ビートの栽培と砂糖生産を推奨したと言う。
紆余曲折はあったようだが、
毎年、秋とともに製糖工場の太い煙突から、
モクモクと白い煙が上る。
そして、掘り起こしたビート根を山積みしたトラックが、
西から、東から、北からその工場へ向かう。
師走を前に活気づく、国道37号線。
町中は、ほんのりとした甘い香りに包まれ、
大きな息づかいの私は、伊達特有の秋を感じる。
・ 日に日に冷たくなっていく風とともに、心待ちにする。
はるかシベリアから飛来するオオハクチョウだ。
私はもう珍客とは思っていない。
朝、「クワッ、クワッ」と声を張り上げ、
10羽前後でえさ場の畑地へ向かう。
しばらくすると、また同じような一団が空を舞う。
「今年も、みんなで帰ってきたんだ。」
私の声など届くはずがない。
でも、小さく声に出してみる。
「お帰りなさい!!」。
急に、体も心も弾んだ。
さて、先日、最初の寒波が訪れた。
本格的な冬を思わせるように雪が降った。
そのためか、風邪をひいた。
完治しないまま、上京の日が来た。
2 東京の季秋
あいにく冷たい雨の日だった。
世界のホームラン王と言われる王貞治氏が卒業した小学校が、
開校100周年を迎えた。
その式典に、元校長として出席した。
多忙の中、王さんも参列してくれた。
ビックネームの来校である。
きっと騒がしいことになるだろうと思った。
しかし、飾らない人柄がそうさせるのか、
物静かな雰囲気が周りを包んでいた。
穏やかに写真撮影に応じる姿が印象的だった。
人間性の違いと言うのだろうか、
ひとつのことを極めた人だからなのだろうか。
その素晴らしさを近くで感じた。
それから3日後、
前日までの冷たさが一転、好天に恵まれた。
『第37回江東シーサイドマラソン大会』が、
スタートとフィニッシュを江東区夢の島競技場を会場に行われた。
会場までの途中、区役所前に集結する同じ帽子を被った、
沢山の競技役員を見た。
「この方々の支えがあって、走ることができる。」
突然、キューンと胸が詰まった。
昨年同様、4000人のランナーと、
多くの人でにぎわう会場だった。
まだ緑色の芝生。
そこに立ち、青空を見上げてみた。
前日の朝方、ホテルのベットで大汗をかいた。
私にとって、それは風邪の完治を意味した。
体調は大丈夫だった。
しかし、なのだ。
いつだって完走を目指した。
これで、11回目のハーフマラソンなのに、
自信など、私のどこを探してもない。
心細さで、逃げ出したい気持ちになってしまう。
「行けるところまで行くしかない。」
秋の高い空をしばらく見上げ、心を固めた。
走り初めて2キロ付近、
周りは年若いランナーばかりに思えた。
軽快な足音ばかりが聞こえた。
朝のジョギングも同じだが、
走り出しのこの距離がすごく苦しい。
「歩きたい」、「歩きたい」。
その言葉しかないまま、永代通りへ進んだ。
そして3キロが過ぎた。
その辺りから、私が変わった。
息苦しさが去り、足取りも軽くなった。
これなら10キロは走れる。
最後尾からのスタートだった。
だから、次々とランナーを抜いた。
いいリズムのまま、10キロを通過してしまった。
後半は、人気のない散歩道や堤防路だ。
思い返すとそこでの安全運転が悔やまれた。
周りのランナーのペースダウンに合わせて走ってしまった。
残り3キロ。
いつもより余力があることに気づいた。
ペースを上げた。
19キロ、20キロ、……。
軽快な足取りに、一番驚いたのは私自身だった。
競技場のトラックは、全力疾走ができた。
しかし、昨年より3分も遅いゴールに力が抜けた。
ゴールしてしてすぐ、つぶやいた。
「もっと、走れた!」
年令も、あのスタート前の不安も忘れ、
悔しさがこみ上げた。
「俺は、まだできる。
来年は、必ず自己ベストをだしてやる。」
「とんでもない年寄りなこと!」
そう呆れられてもいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e5/3551ec7b88f56911f6491fc9b62f7c8e.jpg)
寒空の下 冬の大きな栗の木