ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

教職に就いてすぐ  (1)

2018-02-02 21:56:06 | 教育
 2,3年前、
久しぶりに大学時代の仲間たちと一夜を共にした。
 私と家内以外は、みんな北海道内で教職を終えていた。

 その1人が、教職に就いてすぐのころを回顧し、
語ったことがいつまでも心に残っている。

 「大学を出て、最初の小学校は、
全校児童が15人位の僻地だったんだ。
 校長先生と教頭先生、それに先生が3人だった。
管理職2人と僕は、学校近くの官舎で、
後の2人は、町に住んでいて、
1時間程かけて車で通勤していた。

 15人の子どもでも学校にいる時は、まだいいんだ。
少ない子どもだけど、その時間はやはり活気がある。
 ところが、その子たちが居なくなると、
学校もその周りも、もう静まりかえちゃって・・。
 田園風景なんて言うけど、
見慣れたそれは、何もなく寂しいものさ。

 仕事を終えて官舎に戻ると、もうすることがないんだ。
大学を出たばかりだから、
運転免許もまだもってない。当然、車もない。

 定期バスは、そんなに遅くまで通ってないから、
近くの町まで出ることも、できないんだ。

 校長先生や教頭先生が、時々夕食に呼んでくれるけど、
それだっていつまでも、
お邪魔している訳にもいかないしね。

 あそこで暮らしていた時、僕はずっとおかしかった気がする。
いつも、もんもんとしていて・・。
 運良く、3年で異動できたから良かったけど、
本当に、辛かった。寂しかった。」

 同時期の私はどうだっただろう。
東京の下町の小学校に赴任し、
慣れない都会暮らしに若干戸惑いながらも、
彼のように、もんもんとした日々を送ることはなかった。

 300人を越える児童との教職生活は勿論だが、
想像を越えた人や物、文化等との素敵な出逢いがあった。
 多くの刺激が私を包んでくれた。

 当然、未熟な教育実践に、思い悩むことはしばしばあった。
でも、いつも同世代の先生方と語り合った。
夕食を共にした。
 時には、一緒に都心まで買い物や展覧会、映画、演劇に行った。
貴重な時間だった。

 さて、そんな私のかけ出し時代のエピソードを2つ記す。

 その1つは、着任早々のことである。
当時は、4月1日の辞令伝達などはなく、
5日が初出勤の日と連絡を受けていた。

 私の住まいは、3月末に内定の面接に出向いたおり、
学校で探してくれることになっていた。
 なので、4日午後に学校を訪ねた。
東京での住まいから、5日朝に初出勤しようと思ったからだ。

 教頭先生と日直の先生がいた。
挨拶もそこそこに、私は尋ねた。
 「私の住むところは、どこになりましたか。」

 教頭先生から、すぐに返事が返ってきた。
「さて、誰が探しているのかな?」
 「先日、来た時に、校長先生が探しておきますって、
言ってくださったのですが・・。」
 「じゃ、誰か探しているのでしょう・・。
でも、見つかったとは、聞いてないなあ・・。」

 「今夜の宿がない!」
私は、声を失った。
 どうしていいのか、全く分からなくなった。
この後は、大人と子どもの会話みたいである。

 「明日、先生方が来たら、探している先生が分かるでしょう。・・・」
「そうですか。でも、今夜、泊まる所が・・。」
 「誰かに、頼んで泊めてもらえないの・・。」
「急に泊めてもらえるところなど、ありません。・・」
 「それは、困ったね。もしものことは考えなかったの・・。」
「はい、住まいはてっきり決まっていると思っていましたから・・。」
 「そう言っても、私は何も聞いてないしね・・。」
「でも、どうしたら・・。」
 「困りましたね。・・」

 私は、突然の事態に、ただただぼう然とした。
東京に着いた初日のできごとである。
 こんな事態への対応力を、当時の私は持っていなかった。

 ガランとした職員室で、教頭先生の机の前に、
私は、しばらく突っ立ていた。
 そこへ、その夜、宿直勤務の警備員が出勤してきた。

 若干年配の警備員さんは、
私の事情を聞いて、さり気なく言ってくれた。
 「じゃ、今夜は保健室のベットで寝ればいい。
教頭さん、いいよね。」
 「警備さんが、それでいいなら・・」

 警備員さんは、私に顔を向けて微笑んだ。
「大丈夫。安心しな。夕飯は、2食分作るから・・。」
 きっと、私はすごく困った顔をしていたのだと思う。

 話は、トントンと進み、夕方、陽が落ちた頃、
宿直室の和室で、警備員さんと向かい合い、
夕食を頂くことになった。
 
 「俺は、勤務なので飲めないけど、東京での1日目だろう。
就職祝いだよ。」
 警備員さんは、缶ビールを開けて、
私のグラスについでくれた。

 東京での初めての優しさに、こみ上げるものがあった。
それを必死でこらえながら、グラスを口へ運んだ。
 「ありがとうございます。美味しいです。」
「とんだ初日になったけど、きっといい先生になれるよ。」

 思ってもいなかった励ましだった。
「はい、・・頑張ります。」
 それ以上、何か言うと泣きそうで、言葉を飲んだ。

 その後、まだ早い気がしたけど、
警備員さんに勧められ、保健室のベットに横になった。

 夜の学校の一室であるが、
どこからが明かりが届き、薄明るかった。
 遠くから車の騒音も、わずかに聞こえていた。

 でも、前夜の夜行列車、そして今日の疲れもあって、
いつの間にか寝入っていた。

 しかし、この日の出来事は、これで終わらなかった。

 真夜中だったと思う。
私は、トイレに行きたくなった。
 しばらく我慢をしたが、やはり行った方がいいと決め、
ベットをおり、保健室のドアをあけ、廊下に出た。

 すると非常ベルの音が、学校中に鳴り響いた。
「火事!」
私はとっさにそう思い、薄暗い廊下を宿直室へ走った。

 途中、慣れない廊下のどこかに、額をぶつけた。
それも構わず、「火事ですか。」
警備員さんを見るなり叫んだ。

「保健室のドアを開けたでしょう。だから、ベルが鳴ったんだよ。」
警備員さんは、静かにそう言いながら、
非常装置のスイッチを動かした。
 ベルは、止まった。

 「どこに、ぶつかったの。おでこから血が出ているよ。」
私は、頂いたちり紙で額をおさえた。
 額がすりむけ、出血していた。
 
 翌朝、額に絆創膏を貼ったまま、
私は、先生方に着任の挨拶をした。
                      
                     つづく




    冬の昭和新山 “今も噴煙が”
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