昨年の夏、『楽書きの会』に加えてもらった。
以来、2,3か月間隔で、私の随筆が、
地元紙「室蘭民報」の文化欄に掲載されている。
それだけで嬉しいのに、
掲載された日は朝からLINEメールがあったり、
思いがけない反響が届いたりする。
6月に掲載された『コロナ禍の春ラン』(6月27日ブログに転記)については、
数日して、飲食店をしている兄から珍しく電話があった。
「俺だ。民報、読んだぞ。
俺が読んでも、いやぁ、良かったわ。
店で働いているみんなも、褒めてた。
すごくいいって。」
真っ直ぐな賛辞に、返す言葉に照れた。
すると、すかさず電話は義姉に変わった。
年相応に老け、体調を崩し気味だったが、
この日は張りのある声だった。
「春が来ると、本当に嬉しいものね。
民報の渉チャンの文で、一番よかったわ。
今までのより、よく分かったもの。」
私の返答など聞かず、義姉は勢いよく続けた。
「私ね、娘時代に、よく本を読んでいたの。
あの頃、いつか何か書きたいと思っていたの。
すっかり忘れていたけど、思い出したの。
ありがとう」。
「本が好きだったですか。
それは、凄い・・・。」
そんな私の声など聞こえなかったのか、
言いたいことを言い終えたらしく義姉は、受話器を下ろした。
電話が切れるまで、わずかな時間があった。
「お母さん、話せて、良かったね!」。
一緒に店で働く娘の明るい声が、小さく聞こえて切れた。
思いもしない、時間だった。
小さな一文が、こんな広がり方をした。
静かに満たされていた。
そして、もう1つ。
1か月程前のことだ。
「ねぇ、塚原さんって、
室蘭民報に何か書いているの?」。
ご近所のパークゴルフ仲間の奥さんから、
月例会の会場で訊かれた。
「時々、載せてもらっているけど・・。
どうかした?」。
「やっぱりそうだったのね。
あのね、私の友だちが塚原さんって知ってるって言うから、
知ってるけど、どうしたのって訊いたの。
そうしたら、民報の『大手門』を毎回読んでいて、
すっかり塚原さんのフアンになったんだって。」
その日、パークゴルフのコースは雲の上みたいで、
ずっとフワフワと歩きながら、ボールを追っていた。
6月27日の「私『楽書きの会』同人≪後≫」に続き、2編を転記する。
◇ ◇ ◇
花壇のお裾分け
団地やマンションでの暮らしが長かった。
その上、草花への関心が薄い。
だから、自宅の庭に花壇なんて思いもしなかった。
ところが、この地に居を構える時、
「手間のかからない花壇にしますから・・」。
業者のそんな勧めに従うことにした。
造ってもらったのは、北の風土にあった宿根草の庭だ。
季節ごとに咲く花に、徐々に興味を持った。
やがて雑草が気になり、抜き始めた。
葉に害虫がつくと、殺虫剤を買いに走った。
雪融けと共に芽を出す花たちなのだが、
年によってその勢いに違いがあった。
小さな驚きだった。
今春は『アルケミラ』が特に力強い。
沢山の花を咲かせた。
その花は、菜の花に似ているが、
それよりもやや黄緑色で、小ぶりだ。
そんな可愛い花が一斉に開花し、花壇が華やいだ。
ある朝、私は園芸用のハサミを片手に花壇へ入った。
それまで、切り花をした経験がなかった。
実は、曲がりなりにも、我が家には小さな仏壇がある。
位牌分けをしてもらった両親に、
毎朝手を合わせるのを、日課の1つにしている。
いつもは買い物ついでに仏花を求め、それを供えた。
でも、この日、アルケミラを仏花にと思い立った。
両親に、この時季の花壇のお裾分けがしたくなったのだ。
可憐に黄色く咲く茎にハサミを入れた。
1本また1本・・。
「はじめて花を摘んだ!」。
7本程を片手に束ね、かざしてみた。
朝の日差しがよく似合った。
「あらぁ、キレイね!」
母は、きっとそう言ってくれるに違いない。
<令和2年9月5日(土) 掲載>
◇ ◇ ◇ ◇
今春・『愛の巣劇場』
陽気に誘われ早朝散歩に出た。
近所のご主人が庭の手入れをしていた。
「最近、カラスがうるさいね」。
それが挨拶替わりだった。
確かに、朝から大声を張り上げ鳴いている。
小鳥のさえずりとは違い耳障りだ。
でも、いつもの春と思い直した。
翌日、2階にある私の部屋から見える電柱に、
カラスの巣があるのに気づいた。
これまた年中行事だが、
数日後、高所作業車が出動し、その巣を撤去した。
それで今年は終わらなかった。
翌朝、いつも以上にカラスの鳴き声がする。
小枝をくわえたカラスがしきりに飛び交い、
電柱の梁に止まり、
そこで向きを変えたりしていた。
2日後、撤去前と変わらない巣ができた。
その後も、しばしばカラスは飛来し、
いつもの声で鳴いていた。
案の定、再び高所作業車が来た。
時間をかけて、巣を取り除いた。
巣の形跡は全く無くなった。
それから間もなくして、
やけに甲高く鳴き交わす声がする。
2階の窓から様子を見た。
代わる代わるカラスが来た。
巣のあった梁や近くの電線に止まり、
次々と声を張り上げた。
だが、その声も姿も次第に消えた。
ところが、巣のあったすぐそばの電線に、
2羽のカラスが並んで止まっていた。
鳴き声などない。風もない。
空だけが青かった。
2羽は次第に近づき、
寄り添うようにしながら、
何度も何度もクチバシを交互に合わせた。
時には、そのクチバシで相手の羽をなでた。
一方はその行為を受け入れ動こうとしない。
2羽は、巣を失った悲しみに耐えているようだった。
巣には、すでに産み落とした卵があったのかも知れない。
その落胆を互いに優しく慰め合っていた。
私の目にはそう映った。
2羽の仕草は30分程続き、
やがて1羽が電線から離れた。
もう1羽がそれを追った。
以来、電柱にカラスを見ることはない。
春の陽気に包まれながら、
思いがけない『愛の巣劇場』を見た。
熱いものがこみ上げていた。
<令和2年11月21日(土) 掲載>
ずっと 芝生広場は 緑色
以来、2,3か月間隔で、私の随筆が、
地元紙「室蘭民報」の文化欄に掲載されている。
それだけで嬉しいのに、
掲載された日は朝からLINEメールがあったり、
思いがけない反響が届いたりする。
6月に掲載された『コロナ禍の春ラン』(6月27日ブログに転記)については、
数日して、飲食店をしている兄から珍しく電話があった。
「俺だ。民報、読んだぞ。
俺が読んでも、いやぁ、良かったわ。
店で働いているみんなも、褒めてた。
すごくいいって。」
真っ直ぐな賛辞に、返す言葉に照れた。
すると、すかさず電話は義姉に変わった。
年相応に老け、体調を崩し気味だったが、
この日は張りのある声だった。
「春が来ると、本当に嬉しいものね。
民報の渉チャンの文で、一番よかったわ。
今までのより、よく分かったもの。」
私の返答など聞かず、義姉は勢いよく続けた。
「私ね、娘時代に、よく本を読んでいたの。
あの頃、いつか何か書きたいと思っていたの。
すっかり忘れていたけど、思い出したの。
ありがとう」。
「本が好きだったですか。
それは、凄い・・・。」
そんな私の声など聞こえなかったのか、
言いたいことを言い終えたらしく義姉は、受話器を下ろした。
電話が切れるまで、わずかな時間があった。
「お母さん、話せて、良かったね!」。
一緒に店で働く娘の明るい声が、小さく聞こえて切れた。
思いもしない、時間だった。
小さな一文が、こんな広がり方をした。
静かに満たされていた。
そして、もう1つ。
1か月程前のことだ。
「ねぇ、塚原さんって、
室蘭民報に何か書いているの?」。
ご近所のパークゴルフ仲間の奥さんから、
月例会の会場で訊かれた。
「時々、載せてもらっているけど・・。
どうかした?」。
「やっぱりそうだったのね。
あのね、私の友だちが塚原さんって知ってるって言うから、
知ってるけど、どうしたのって訊いたの。
そうしたら、民報の『大手門』を毎回読んでいて、
すっかり塚原さんのフアンになったんだって。」
その日、パークゴルフのコースは雲の上みたいで、
ずっとフワフワと歩きながら、ボールを追っていた。
6月27日の「私『楽書きの会』同人≪後≫」に続き、2編を転記する。
◇ ◇ ◇
花壇のお裾分け
団地やマンションでの暮らしが長かった。
その上、草花への関心が薄い。
だから、自宅の庭に花壇なんて思いもしなかった。
ところが、この地に居を構える時、
「手間のかからない花壇にしますから・・」。
業者のそんな勧めに従うことにした。
造ってもらったのは、北の風土にあった宿根草の庭だ。
季節ごとに咲く花に、徐々に興味を持った。
やがて雑草が気になり、抜き始めた。
葉に害虫がつくと、殺虫剤を買いに走った。
雪融けと共に芽を出す花たちなのだが、
年によってその勢いに違いがあった。
小さな驚きだった。
今春は『アルケミラ』が特に力強い。
沢山の花を咲かせた。
その花は、菜の花に似ているが、
それよりもやや黄緑色で、小ぶりだ。
そんな可愛い花が一斉に開花し、花壇が華やいだ。
ある朝、私は園芸用のハサミを片手に花壇へ入った。
それまで、切り花をした経験がなかった。
実は、曲がりなりにも、我が家には小さな仏壇がある。
位牌分けをしてもらった両親に、
毎朝手を合わせるのを、日課の1つにしている。
いつもは買い物ついでに仏花を求め、それを供えた。
でも、この日、アルケミラを仏花にと思い立った。
両親に、この時季の花壇のお裾分けがしたくなったのだ。
可憐に黄色く咲く茎にハサミを入れた。
1本また1本・・。
「はじめて花を摘んだ!」。
7本程を片手に束ね、かざしてみた。
朝の日差しがよく似合った。
「あらぁ、キレイね!」
母は、きっとそう言ってくれるに違いない。
<令和2年9月5日(土) 掲載>
◇ ◇ ◇ ◇
今春・『愛の巣劇場』
陽気に誘われ早朝散歩に出た。
近所のご主人が庭の手入れをしていた。
「最近、カラスがうるさいね」。
それが挨拶替わりだった。
確かに、朝から大声を張り上げ鳴いている。
小鳥のさえずりとは違い耳障りだ。
でも、いつもの春と思い直した。
翌日、2階にある私の部屋から見える電柱に、
カラスの巣があるのに気づいた。
これまた年中行事だが、
数日後、高所作業車が出動し、その巣を撤去した。
それで今年は終わらなかった。
翌朝、いつも以上にカラスの鳴き声がする。
小枝をくわえたカラスがしきりに飛び交い、
電柱の梁に止まり、
そこで向きを変えたりしていた。
2日後、撤去前と変わらない巣ができた。
その後も、しばしばカラスは飛来し、
いつもの声で鳴いていた。
案の定、再び高所作業車が来た。
時間をかけて、巣を取り除いた。
巣の形跡は全く無くなった。
それから間もなくして、
やけに甲高く鳴き交わす声がする。
2階の窓から様子を見た。
代わる代わるカラスが来た。
巣のあった梁や近くの電線に止まり、
次々と声を張り上げた。
だが、その声も姿も次第に消えた。
ところが、巣のあったすぐそばの電線に、
2羽のカラスが並んで止まっていた。
鳴き声などない。風もない。
空だけが青かった。
2羽は次第に近づき、
寄り添うようにしながら、
何度も何度もクチバシを交互に合わせた。
時には、そのクチバシで相手の羽をなでた。
一方はその行為を受け入れ動こうとしない。
2羽は、巣を失った悲しみに耐えているようだった。
巣には、すでに産み落とした卵があったのかも知れない。
その落胆を互いに優しく慰め合っていた。
私の目にはそう映った。
2羽の仕草は30分程続き、
やがて1羽が電線から離れた。
もう1羽がそれを追った。
以来、電柱にカラスを見ることはない。
春の陽気に包まれながら、
思いがけない『愛の巣劇場』を見た。
熱いものがこみ上げていた。
<令和2年11月21日(土) 掲載>
ずっと 芝生広場は 緑色