▼ 11月に、喪中欠礼ハガキを出した。
すると、何人もの方から、
ご丁寧なお悔やみの返信ハガキを頂いた。
その度、2月の長兄と5月の義母の最期を思い出し、
胸が詰まった。
12歳違いの兄ちゃんの死は、今も実感がない。
体調不良で入院し、突然「もしかすると危ないかも」と連絡があった。
「じゃ、見舞いを」と思い立ったが、コロナで病院から遮断された。
その翌朝、訃報の電話が鳴った。
あれよあれよと言う間に葬儀が進み、
気づくと、火葬場でお骨を拾っていた。
そして、葬儀場をあとにする時、
兄の息子らへ、
「コロナ禍、私の兄の葬儀を立派にあげて頂き、
ありがとうございました」。
深々と頭をさげた。
私自身がその言葉に、突然涙をこぼした。
誕生日を2日後にし、96歳で逝った義母とは、
コロナで1年以上会えないままの別れとなった。
大往生と思いつつも、あまりにもやつれた母の死に装束に、
ただ呆然とするだけだった。
しかし、陽気な団らんが好きだった母を忍び、
あえて悲しい話題を避け、
賑やかな通夜を兄弟みんなが心がけた。
今は、義母が一生を過ごした芦別が、
遠い所になったことだけをくり返し思う。
▼ 私もいい歳になったから、
とみに、悲報が多くなった。
ここ2,3年を振り返っても、
長姉、恩師を始め、友だちや知人とその家族、
同僚、ご近所さんなどが逝った。
寂しさとともに切なさだけがつのるが、
どの方の遺影にも、それに負けないと誓ってきた。
だが、時には「まだまだ」と言いつつも、
この先々について、不安を抱きながら想いを巡らすことがある。
当然、すぐに長兄や義母を追うつもりはない。
それにしても、これ程まで頻繁に人の死が身近にあると、
つきなみだが「まずは健康で元気に」と、つい誓うことに・・・。
▼ ところが、若い頃の私は、半分本気で半分冗談で、
教職を終えたなら、その後はどうでもいいと、妄想していた。
「今はいいよ。
どれだけ役に立ってるかは別にしても、
毎日、目の前の子ども達と一緒に勉強して、
子ども達の成長を見届ける。
子どもからも当てにされている。
だけど、退職したら、その全てを失う。
生きているハリのようなものが無くなるだろう。
だったら、その時、俺の人生はそれで終わってもいい」。
誰からの同意がなくても、
しばしばその場の勢いでそう口走っていた。
▼ それを思い出すと、今はただ赤面するだけ。
だって、退職後の私は、伊達で新たな暮らしを始め、
急き立てられることのない日々の中で、
新しい感情が生まれたから・・。
それは、例えばだが・・・・。
晩秋になると、市内の国道を、
収穫したビート根を山積みにしたダンプカーが、
製糖工場へとドンドン走って行く。
この町の秋の1コマに思え、
道路脇でそのダンプを見ながら、毎年私は声にする。
「春から秋までかけて育てたビートだ。
それが今年もこれから砂糖になるんだ。
すごいことだ! 本当に凄い!」。
誰の同意がなくてもいい。
私は、ビート根を山積みしたダンプに、毎秋、感動する。
無性に、心躍る。
そして、来年も再来年もこの道路脇で、
同じ1コマを見たいと願う。
ビート根に限らない。
この町の春と夏と、秋冬の数々に魅せられてきた。
いつからか、毎年訪れる1つ1つの、
そのドラマの目撃者になりたいと、思うようになった。
「終わっていい」なんて、恥ずかしい。
何の役にも立たなくていい。
それより、少しでも長く生きたい。
ずっとずっとあの目撃者でいたいのだ。
そんな欲が次第に大きくなった。
▼ この先について、もう一つ願望が芽生えている。
これまた半分冗談半分本気みたいで、赤面する。
勇気を出して、記す。
ともに96歳で逝去した実母も義母も、
晩年に同じ事を言っていた。
「昔から知っていた人が、1人又1人と逝ってしまったでしょう。
だから、このごろは話し相手がいなくなって、寂しいよ」。
長寿への覚悟を、この言葉は教えているように思う。
夫をはじめ、兄弟、親戚、友人、知人、ご近所さんまで、
次々と旅立っていった。
その都度、お線香をあげ、別れを惜しんだ。
ふと気づくと、回りからは自分を知る人たちが居なくなり、
寂しさだけが漂うようになった。
それが長寿の現実なのだろう。
それでも、最近の私は長寿がいいと思っている。
いや、一人取り残されるまで生きていたいとまで・・・。
笑いを誘うのを承知で言う。
私に関わってくれた全ての人を見送りたい。
すぐ近く、いや遠く離れていてもいい、
私が知るその人の歩みに惜別の合掌がしたい。
時には、涙だってはばからない。
そうして、今私がこうであることへの、
謝意を伝えたい。
「そうしないまま私が先に逝くわけには」と・・・。
それよりも、もしかして・・・?
妄想かも知れないが、
私の死を悼み、霊前で涙されるのが辛いから、
だから、「みんなを見送ってから」と、
強がってるのかも・・・。
いやいや、我ながら、呆れ果てること・・・!!
秋の風物詩 搬入を待つビートの山
すると、何人もの方から、
ご丁寧なお悔やみの返信ハガキを頂いた。
その度、2月の長兄と5月の義母の最期を思い出し、
胸が詰まった。
12歳違いの兄ちゃんの死は、今も実感がない。
体調不良で入院し、突然「もしかすると危ないかも」と連絡があった。
「じゃ、見舞いを」と思い立ったが、コロナで病院から遮断された。
その翌朝、訃報の電話が鳴った。
あれよあれよと言う間に葬儀が進み、
気づくと、火葬場でお骨を拾っていた。
そして、葬儀場をあとにする時、
兄の息子らへ、
「コロナ禍、私の兄の葬儀を立派にあげて頂き、
ありがとうございました」。
深々と頭をさげた。
私自身がその言葉に、突然涙をこぼした。
誕生日を2日後にし、96歳で逝った義母とは、
コロナで1年以上会えないままの別れとなった。
大往生と思いつつも、あまりにもやつれた母の死に装束に、
ただ呆然とするだけだった。
しかし、陽気な団らんが好きだった母を忍び、
あえて悲しい話題を避け、
賑やかな通夜を兄弟みんなが心がけた。
今は、義母が一生を過ごした芦別が、
遠い所になったことだけをくり返し思う。
▼ 私もいい歳になったから、
とみに、悲報が多くなった。
ここ2,3年を振り返っても、
長姉、恩師を始め、友だちや知人とその家族、
同僚、ご近所さんなどが逝った。
寂しさとともに切なさだけがつのるが、
どの方の遺影にも、それに負けないと誓ってきた。
だが、時には「まだまだ」と言いつつも、
この先々について、不安を抱きながら想いを巡らすことがある。
当然、すぐに長兄や義母を追うつもりはない。
それにしても、これ程まで頻繁に人の死が身近にあると、
つきなみだが「まずは健康で元気に」と、つい誓うことに・・・。
▼ ところが、若い頃の私は、半分本気で半分冗談で、
教職を終えたなら、その後はどうでもいいと、妄想していた。
「今はいいよ。
どれだけ役に立ってるかは別にしても、
毎日、目の前の子ども達と一緒に勉強して、
子ども達の成長を見届ける。
子どもからも当てにされている。
だけど、退職したら、その全てを失う。
生きているハリのようなものが無くなるだろう。
だったら、その時、俺の人生はそれで終わってもいい」。
誰からの同意がなくても、
しばしばその場の勢いでそう口走っていた。
▼ それを思い出すと、今はただ赤面するだけ。
だって、退職後の私は、伊達で新たな暮らしを始め、
急き立てられることのない日々の中で、
新しい感情が生まれたから・・。
それは、例えばだが・・・・。
晩秋になると、市内の国道を、
収穫したビート根を山積みにしたダンプカーが、
製糖工場へとドンドン走って行く。
この町の秋の1コマに思え、
道路脇でそのダンプを見ながら、毎年私は声にする。
「春から秋までかけて育てたビートだ。
それが今年もこれから砂糖になるんだ。
すごいことだ! 本当に凄い!」。
誰の同意がなくてもいい。
私は、ビート根を山積みしたダンプに、毎秋、感動する。
無性に、心躍る。
そして、来年も再来年もこの道路脇で、
同じ1コマを見たいと願う。
ビート根に限らない。
この町の春と夏と、秋冬の数々に魅せられてきた。
いつからか、毎年訪れる1つ1つの、
そのドラマの目撃者になりたいと、思うようになった。
「終わっていい」なんて、恥ずかしい。
何の役にも立たなくていい。
それより、少しでも長く生きたい。
ずっとずっとあの目撃者でいたいのだ。
そんな欲が次第に大きくなった。
▼ この先について、もう一つ願望が芽生えている。
これまた半分冗談半分本気みたいで、赤面する。
勇気を出して、記す。
ともに96歳で逝去した実母も義母も、
晩年に同じ事を言っていた。
「昔から知っていた人が、1人又1人と逝ってしまったでしょう。
だから、このごろは話し相手がいなくなって、寂しいよ」。
長寿への覚悟を、この言葉は教えているように思う。
夫をはじめ、兄弟、親戚、友人、知人、ご近所さんまで、
次々と旅立っていった。
その都度、お線香をあげ、別れを惜しんだ。
ふと気づくと、回りからは自分を知る人たちが居なくなり、
寂しさだけが漂うようになった。
それが長寿の現実なのだろう。
それでも、最近の私は長寿がいいと思っている。
いや、一人取り残されるまで生きていたいとまで・・・。
笑いを誘うのを承知で言う。
私に関わってくれた全ての人を見送りたい。
すぐ近く、いや遠く離れていてもいい、
私が知るその人の歩みに惜別の合掌がしたい。
時には、涙だってはばからない。
そうして、今私がこうであることへの、
謝意を伝えたい。
「そうしないまま私が先に逝くわけには」と・・・。
それよりも、もしかして・・・?
妄想かも知れないが、
私の死を悼み、霊前で涙されるのが辛いから、
だから、「みんなを見送ってから」と、
強がってるのかも・・・。
いやいや、我ながら、呆れ果てること・・・!!
秋の風物詩 搬入を待つビートの山