ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

花 を 贈 る !

2022-04-30 12:34:45 | あの頃
 ▼ 朝食の食パンを口にしながら、
花屋さんを舞台にしたドキュメンタリーを、
ぼーと見ていた。

 お祝い事、感謝の意、激励、そして供養にと、
花を求める方の動機は様々。
 でも、綺麗な花がそうさせるのか、
花束を抱えた表情は、みんな晴れやか。

 初老の女性が、花の苗を買い求め、
小さな鉢を手のひらにのせながら、
インタビューに応えた。
 「次第に大きくなり、やがて花を咲かせるのを見て、
毎年、励まされているんです」。

 共感しながら、つい引き込まれて見ていたら、
昔々の花にまつわるエピソードを、いくつか思い出した。


 ▼ 学生時代に知った歌だが、
作詞・作曲が誰なのか知らない。

     花をおくろう     

  吹雪の夜を歩いて来た
  めかるみをとび越えて来た
  日照りにたたかれて来た
  嵐の夜を走って来た
  手をとりあってあるいて来た
  ふしくれだった荒れた手に
  ふるさとをつくるなかまの手から
  花をおくろう オレンジの 

 オレンジ色の花がどんなものなのか、
その形状などのイメージは、今もできない。
 勝手に、野の花だと思っている。

 オレンジに開花した野草を摘み取り、
片手いっぱいに握りしめて、差し出す。
 この歌には、そんな花をおくるシーンが思い浮かぶ。

 きっと、数々の山河を一緒に進んできた人へ、
その花をおくるのだろう。

 小学校を卒業する子供らが、
この歌に込められた想いを、
どれだけ受け止められたかは未知数だ。

 それでも、6年生を担任するたびに、
卒業式の朝には、黒板いっぱいに、
この歌を書き、子ども達を見送った。

 本当は、お別れにと歌ってあげたかったが、
最後まで歌い終える自信がなかったので、
板書だけにした。

 子ども達が去った教室で、
小声で歌いながら、歌詞の1字1字を消した。
 矢っ張り、いつも最後まで歌えなかった。
 

 ▼ 教頭になった年の連休明けだった。
前年度までの勤務校で、離任式があった。
 式では、代表の子どもがお別れの作文を読み、
もう一人の子が花束を渡すのが慣例だ。

 ところが、渡されたのは花束ではなく、
あじさいの花の鉢植えだった。
 
 「教頭先生になると、切り花を飾る場所もないでしょう。
鉢植えなら職員室のどこかに置けるでしょうから」と、
購入担当の先生が、配慮してくれたのだ。
 これが幸いした。

 実は、翌日に、着任した小学校で大きなイベントがあった。
戦時中の疎開が縁で、
新潟県U村立の4つの小学校と姉妹校になっていた。
 その村の6年生約50人が、修学旅行の一環として、来校するのだ。

 10時頃から、全校で歓迎会を開き、
その後、数名ずつ各学級に別れで交流授業をする。
 最後に、給食をともにし、全てが終わることになっていた。

 校長と教頭は、引率してきた村の役員や先生方10数人と、
会議室で給食を共にしながら、交流を深める計画だった。

 なので、その朝、ふと思いつき、殺風景な会議室のテーブルの中央に、
昨日の離任式でもらった鉢植えを置いた。

 給食を食べ始める前に、改めて校長が挨拶し、
続いて村の課長さんが返礼に立った。

 「・・・U村の花は、アジサイです。
その花まで用意して頂き、こんな嬉しいことはありません」
と、話の最後を結んだ。
 
 言うまでもない。
アジサイが村の花だなんて、知らなかった。
 でも、校長は胸を張った。
「この花は、教頭先生が準備しました!」。
 「それは、それは・・」。
いっきに、私の株が上がった。

 弁解できないまま、 
私は、ややうつむいて黙って給食を食べた。


 ▼ 校長選考試験を突破してから、
昇任までに2年がかかった。

 その間、知人友人、先輩同僚、親戚などから、
校長になった時のお祝いをたびたび尋ねられた。
 
 ただ恐縮して、
曖昧な返事をくりかえしてばかりはいられなかった。
 だから、
「校長室をお祝いの花でいっぱいにできたら、なんて・・・」
と、冗談まじりに応じていた。

 もう20年以上も前になるが、
その日の校長室の光景は、ずうっと色あせない。

 4月1日、辞令伝達式と、
区長や教育長への着任挨拶を終え、
校長として初めて学校へ行った。

 校長室の扉を開くと、窓辺の棚だけでなかった。
部屋の周囲の床にまで、鉢植えの胡蝶蘭が並び、
色鮮やかな花束がテーブル上にいくつも重なっていた。

 大小の鉢には、贈り主の名前があり、
花束にはメッセージが添えられていた。
 遠くは、北海道からの兄や姉のものも・・・。

 ついに花瓶が足りなくなくなった。
傘立てやバケツまで動員した。
 そこに、『百万本のバラの花』の歌ような、
真っ赤なバラの大きな花束や、
真白なカラーとかすみ草だけの花束を入れた。
 校長室はお祝いの花であふれた。

 その後、2年ほど、
私は職員との不協和音に辛い日を過ごした。
 どれだけ、あの花いっぱいの校長室が私を支えたか、
はかり知れない。
 

 ▼ それほど年齢差はなかったが、
大きな影響を受けた先輩教員が4人いた。
 その方々が、1年ごとに次々と定年退職を迎えることになった。

 長年の教職人生への労いとともに、
私を導き、励ましてくれたことへのお礼がしたかった。

 年度末が近づき、その方法に迷いながら、
出退勤をしていた。
 その通勤途中に、店構えの小さな花屋さんがあった。
夜は遅くまで店を開け、
ライトに浮かぶ花がいつも目にとまった。

 ふと思い立ち、店に踏み入った。
人のよさそうなご夫婦と娘さんが、
手を休めて話を聞いてくれた。

 3月で、定年退職する先生がいる。
その先生に何か贈りたい。
 花束もいいと思うが、つき並みなので迷っている。
でも、人生の大きな節目に、
抱えきらないほど大きな花束なら、どうかなと思って・・。
 それを31日にその先生の学校まで届けてもらうとしたら、
いくらかかるだろうか。

 一気に、私らしく熱く語ってみた。
主人は、私の予算内の金額を言い、
「抱えきれないほどの花束をうまく作れるかどうか。
でも、お客さんの期待を裏切らないようにします」と笑顔を作った。
 奥さんも娘さんも、ニコニコとうなづいてくれた。

 翌年、同じ時期に、再びその花屋さんを訪ねた。
私の顔を覚えていてくれた。
 同じように、抱えきれないほどの大きな花束を、
31日届けてほしいと頼んだ。
 うれしそうに3人は、私の注文を受けてくれた。

 そして、次の年もまた次の年も、
3月にその花屋さんを訪ねた。
 「そろそろ今年もおいでになる頃と、
噂してました。
 どういう訳が、同じ料金なのに、
年々花束が大きくなるんですよ。
いいですよね」。
 うれしそうに、そう言いながら領収のレシートを渡してくれた。
年1回だが、行くたびに3人との距離が近くなった。

 4年目に、「来年からは、もう贈る人がいません」と伝えた。
すると、事前に用意していたらしく、娘さんが、
「帰りの電車の邪魔になるかもしれませんが」と、
手提げの紙袋に素敵な花束を入れ、持たせてくれた。




    新緑の柳に 春風 
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