1期2年間の副会長を経て、
昨年度から自治会長をしている。
定番の役割の他に、会長ならではの様々なことがある。
最近の中から、2つ記す。
▼ 宅地開発が進む前から、この地域に居を構えていた方々がいる。
記録には、70年前に37世帯が暮らしていたとある。
その1戸だと思われる家が空き家になって、
もう5年以上が過ぎた。
その家は、生け垣に囲まれた2階建てで、
外から見ただけでも、6つか7つの部屋はあるようだ。
その空き家に、人が住んでいると言う。
それも、複数の外国人らしい男女だと・・。
そんな情報が聞こえてきた。
思いあたる節があった。
夏になる前から朝夕に自転車に乗った男女が、
我が家の前を通るのを何度が見た。
その中には、イスラム教のスカーフをかぶった女性もいた。
きっとそのメンバーに違いないと思った。
海外からの技能実習生なのだろうか。
いずれにしても、この地域内の家で暮らしているのだ。
会長として、ある程度のことは知っておく必要があった。
まずは、訪問することにした。
毎日、自転車で移動していることは間違いないので、
夕方、玄関横に5台の自転車があることを確かめてから、
インターホンを押した。
しばらく時間がかかったが、玄関が開いた。
20代と思われる若者が現れた。
アジア系の顔をしていた。
外国の人と直感した。
「こんにちは、日本語、分かりますか」
ニコニコ顔で、ゆっくりと言ってみた。
「ハイ、少しだけです」。
親指と中指を動かし「少し」を表して、私に見せた。
まずは自己紹介である。
身振り手振りを交えながら
「私は、この当たりの人たちのリーダーをしています。
ツカハラと言います」
「ハイ!」
理解できたのかどうか、明るく返事がきた。
「ここで暮らして、どこかでお仕事をしてるんですね?」
「そうです。そうです」
私は、続けた。
「どこで仕事をしてるの?」
「センカジョウです。センカジョウ!」
「そうですか。そのセンカジョウはどこにあるの?」
彼には、その説明が難しかったようだった。
部屋の奥に、自国語で声をかけた。
同世代の男女が現れた。
女性はスカーフをかぶっていた。
3人で、私が尋ねた場所を伝えようと
自国語で話し合いながら困っていた。
私は、スマホを取り出しグーグルマップを示め、訊いた。
「センカジョウは、どこ?」
すると、彼らは一斉に自分のスマホを出し、
その場所を知らせようと懸命になった。
何度も何度も堂々巡りをしたが、
そこは私も知っている所だった。
「ああ、ここで仕事してるんですね。
ここまで、自転車で行ってるのね」
3人は口々に「はい、そうです!そうです」。
嬉しそうだった。
1つの事が分かるだけで、彼らとの距離が縮まっていった。
次を尋ねた。
「どこの国から来たんですか?」
若者は 即答した。
「インドネシアです!」
「そうですか。インドネシアですか!」。
たまたま、インドネシア語の挨拶だけは知っていた。
なので、「じゃ、テレマカシ!」
3人の表情が、パッと明るくなった。
そして、嬉しそうに「テレマカシ!」と返してくれた。
「テレマカシ」後は、さらに打ち解けて話が進んだ。
簡単な日本語とスマホでのやりとりだったが、
彼らの世話役をしている方の連絡先も分かった。
そして、11月までここで暮らし、仕事をすことも。
最後に、「困ったことがあった時は、いつでも電話していいよ」。
私の電話番号も教えた。
「ありがとうございます」
素直で明るい青年たちに、心が軽くなった。
▼ 役員の方から電話があった。
長年空き家になっているNさん宅前の歩道に、
幅15センチ程の穴が空いている。
急いで工事するように市役所へ要望してほしい。
そんな内容だった。
まずは現地を見てからと、車でそこへ行ってみた。
丁度、花壇の手入れをしているお隣の奥さんがいた。
自治会長だと声をかけると、
すぐに穴のところまで来てくれた。
「近くに保育所があるんです。
そこの小さな子どもらが、よく散歩でこの道を通るんです。
もしも、この穴に足でも取られたらって、
いつも心配してるんです」。
私より10歳は年上と思える白髪の奥さんは、
静かにそう言った。
いつの間にか、 同じように白髪のご主人も現れた。
「何かで蓋をしておこうと思っても、
私じゃ、ここを塞ぐような石は重くて、
とても無理で困ってたんです」
歩道の穴に、心痛めていた老夫婦の気持ちが伝わってきた。
「わかりました。まずは、自治会にあるカラーコーンを
この穴の上に置くことにしますね。
それから、ここの写真を撮って、
それをもって市役所にお願いに行ってきます」。
2人は、「そうですか。すみません」と、
何度も何度も真白な頭をさげた。
「じゃ、後ほど、また来ます」。
その場を離れながら、2人の誠実さが心に浸みていた。
その穴は、5日後に塞がれていた。
秋・コスモス
昨年度から自治会長をしている。
定番の役割の他に、会長ならではの様々なことがある。
最近の中から、2つ記す。
▼ 宅地開発が進む前から、この地域に居を構えていた方々がいる。
記録には、70年前に37世帯が暮らしていたとある。
その1戸だと思われる家が空き家になって、
もう5年以上が過ぎた。
その家は、生け垣に囲まれた2階建てで、
外から見ただけでも、6つか7つの部屋はあるようだ。
その空き家に、人が住んでいると言う。
それも、複数の外国人らしい男女だと・・。
そんな情報が聞こえてきた。
思いあたる節があった。
夏になる前から朝夕に自転車に乗った男女が、
我が家の前を通るのを何度が見た。
その中には、イスラム教のスカーフをかぶった女性もいた。
きっとそのメンバーに違いないと思った。
海外からの技能実習生なのだろうか。
いずれにしても、この地域内の家で暮らしているのだ。
会長として、ある程度のことは知っておく必要があった。
まずは、訪問することにした。
毎日、自転車で移動していることは間違いないので、
夕方、玄関横に5台の自転車があることを確かめてから、
インターホンを押した。
しばらく時間がかかったが、玄関が開いた。
20代と思われる若者が現れた。
アジア系の顔をしていた。
外国の人と直感した。
「こんにちは、日本語、分かりますか」
ニコニコ顔で、ゆっくりと言ってみた。
「ハイ、少しだけです」。
親指と中指を動かし「少し」を表して、私に見せた。
まずは自己紹介である。
身振り手振りを交えながら
「私は、この当たりの人たちのリーダーをしています。
ツカハラと言います」
「ハイ!」
理解できたのかどうか、明るく返事がきた。
「ここで暮らして、どこかでお仕事をしてるんですね?」
「そうです。そうです」
私は、続けた。
「どこで仕事をしてるの?」
「センカジョウです。センカジョウ!」
「そうですか。そのセンカジョウはどこにあるの?」
彼には、その説明が難しかったようだった。
部屋の奥に、自国語で声をかけた。
同世代の男女が現れた。
女性はスカーフをかぶっていた。
3人で、私が尋ねた場所を伝えようと
自国語で話し合いながら困っていた。
私は、スマホを取り出しグーグルマップを示め、訊いた。
「センカジョウは、どこ?」
すると、彼らは一斉に自分のスマホを出し、
その場所を知らせようと懸命になった。
何度も何度も堂々巡りをしたが、
そこは私も知っている所だった。
「ああ、ここで仕事してるんですね。
ここまで、自転車で行ってるのね」
3人は口々に「はい、そうです!そうです」。
嬉しそうだった。
1つの事が分かるだけで、彼らとの距離が縮まっていった。
次を尋ねた。
「どこの国から来たんですか?」
若者は 即答した。
「インドネシアです!」
「そうですか。インドネシアですか!」。
たまたま、インドネシア語の挨拶だけは知っていた。
なので、「じゃ、テレマカシ!」
3人の表情が、パッと明るくなった。
そして、嬉しそうに「テレマカシ!」と返してくれた。
「テレマカシ」後は、さらに打ち解けて話が進んだ。
簡単な日本語とスマホでのやりとりだったが、
彼らの世話役をしている方の連絡先も分かった。
そして、11月までここで暮らし、仕事をすことも。
最後に、「困ったことがあった時は、いつでも電話していいよ」。
私の電話番号も教えた。
「ありがとうございます」
素直で明るい青年たちに、心が軽くなった。
▼ 役員の方から電話があった。
長年空き家になっているNさん宅前の歩道に、
幅15センチ程の穴が空いている。
急いで工事するように市役所へ要望してほしい。
そんな内容だった。
まずは現地を見てからと、車でそこへ行ってみた。
丁度、花壇の手入れをしているお隣の奥さんがいた。
自治会長だと声をかけると、
すぐに穴のところまで来てくれた。
「近くに保育所があるんです。
そこの小さな子どもらが、よく散歩でこの道を通るんです。
もしも、この穴に足でも取られたらって、
いつも心配してるんです」。
私より10歳は年上と思える白髪の奥さんは、
静かにそう言った。
いつの間にか、 同じように白髪のご主人も現れた。
「何かで蓋をしておこうと思っても、
私じゃ、ここを塞ぐような石は重くて、
とても無理で困ってたんです」
歩道の穴に、心痛めていた老夫婦の気持ちが伝わってきた。
「わかりました。まずは、自治会にあるカラーコーンを
この穴の上に置くことにしますね。
それから、ここの写真を撮って、
それをもって市役所にお願いに行ってきます」。
2人は、「そうですか。すみません」と、
何度も何度も真白な頭をさげた。
「じゃ、後ほど、また来ます」。
その場を離れながら、2人の誠実さが心に浸みていた。
その穴は、5日後に塞がれていた。
秋・コスモス