松飾りのない、喪中のお正月だ。
本来ならおせち料理も控えるべき。
ところが、姉が勤める温泉旅館の系列である
ミシュラン1つ星の和風レストランが、
何年かぶりに、おせちの予約販売をした。
「寂しいお正月だけど、少しくらいは賑やかに」と、
姉が、そのおせちを奮発してくれた。
大晦日の午後、宅配が届き、
元旦を、その三段重ねとお雑煮で迎えることに・・。
そして、初春の朝、目覚めてみると、
外は深夜に降ったのだろう数センチの新雪で薄化粧していた。
高級おせちは後回しに、
急ぎ、初日の出前から雪かきに外へ・・。
「新年の始まり」を意識したからなのか、
やけに新雪が柔らかく、いつも以上に真っ白に見えた。
雪はね用スコップで、その雪を道路脇へそっと押し集めながら、
教育エッセイ『優しくなければ』に載せた一文を思い出していた。
* * * * *
私 だ け の
一昼夜続いた猛吹雪が、すっかり晴れわたったある朝。
空はまさに真っ青、雲一つない快晴。
地上は新雪で全ての物が白一色におおわれていました。
小学生だった私は、ランドセルを背負って、
通学の道を急いでいました。
目が痛くなるような明るい陽射しが雪に反射し、
前日までのあの重たい鉛色の雲と、
強い風と横殴りに降りしきる冷たい粉雪など
まったくなかったかのような気持ちのいい朝でした。
私は、すでに雪かきが済んでいるあぜ道ほどのところを、
ゴムの長靴で歩いて行きました。
何故、どんな理由でそうしたのか、
今もその動機についてはうまく説明ができません。
私は通学の道をはずれ、
小学校の裏山にある高台へと一人歩きだしました。
その高台にひろがる広い平地の新雪に、
私は膝までつかりながら、一歩また一歩と歩を進めました。
時々振り返ると、そこには誰のでもない
私だけの足跡が一本の道になって残っているのでした。
どこを見渡しても誰もいない真っ平らな雪野原。
そこにいるのは私だけ。
そして、足跡だけが……。
私は、嬉しかったのです。
あたりがやけに輝いて見えました。
誰もいないことに不安などなにも感じませんでした。
「よし、もっと行こう。もっと進もう。」
ゴムの長靴の中には雪がいっぱい入り、
毛糸の靴下までぬれてしまいましたが、
私は額に汗を浮かべながら前へ前へと歩きました。
どこまで行っても残るのは私の足跡だけ。
誰にもじゃまされない私だけの雪野原でした。
その日、私は学校を無断欠席しました。
後で両親からも担任からもひどく叱られましたが、
「どうしてそんなことをしたのか」。
尋ねられても、私はただ下を向いているだけでした。
* * * * *
このエッセイの題を『私だけの』としたが、
文中にも、「・・だけ」という言葉がくりかえし出てくる。
『そこにいるのは私だけ』
『残るのは私の足跡だけ』
『私だけの雪野原』
その上、余分だが、文末には『下を向いているだけ』と。
強調する程のことでもないが、『私だけの』と言っても、
オリジナリティー(独自性)とは無縁な少年期だ。
従って、雪野原を独り占めできた『私だけの』である。
今、振り返ると、
新雪が降り積もった雪原は、静寂に包まれていたはずだ。
そこを「もっと、もっと」と、
少年は膝までの雪を蹴って進んだのだ。
いつまでもいつまでも、その雪野原を独り占めしていたかった・・。
だから、「私だけの」と言ったそんな欲が、音のない白だけの野っ原に、
もっと前へもっと先へと、私を連れて行ったのだと思う。
「どうしてそんなことを・・」と尋ねられても、
当時の私に説明できる訳がない。
進んでは立ち止まり、
そこで振り返っては、また自分の足跡の続きを確かめる少年。
上気した表情で、心を弾ませ、
1人占めした雪野原に、体中が熱いもので満ちていたに違いない。
雪かきを済ませ、
ようやく豪華伊勢エビ入りのお重を3つ並べた。
元旦だけはと、今年も熱燗を用意。
いつもより控え目に、「初春に乾杯」。
手の込んだおせちに、箸がすすんだ。
熱燗も2本目に・・。
タイミングよく、庭にできた除雪の山に、
粉雪がそっと積もり始めていた。
毎年待ち望む、穏やかな元旦のワンカットだ。
ささやかな幸福感が流れた。
ふと、あの少年のその後に想いが馳せた。
あれからもずっとずっと、
『私だけの』を追いかけていた。
泣いたり笑ったりしながら、
気概だけはいつも「もっと、もっと」と・・。
しかし、言うまでもない。
少年は、もう初老になった。
つい、うつむき掛けた私に、
そっと現れた雪雲の切れ間の陽光が、
「まだ、まだ追いかけて!」と励ましていた。
2本目の熱燗を飲み干した私は、
「よし、もう1本!」と、酒ビンにむかった。
厳寒の中 活気づく製糖工場
本来ならおせち料理も控えるべき。
ところが、姉が勤める温泉旅館の系列である
ミシュラン1つ星の和風レストランが、
何年かぶりに、おせちの予約販売をした。
「寂しいお正月だけど、少しくらいは賑やかに」と、
姉が、そのおせちを奮発してくれた。
大晦日の午後、宅配が届き、
元旦を、その三段重ねとお雑煮で迎えることに・・。
そして、初春の朝、目覚めてみると、
外は深夜に降ったのだろう数センチの新雪で薄化粧していた。
高級おせちは後回しに、
急ぎ、初日の出前から雪かきに外へ・・。
「新年の始まり」を意識したからなのか、
やけに新雪が柔らかく、いつも以上に真っ白に見えた。
雪はね用スコップで、その雪を道路脇へそっと押し集めながら、
教育エッセイ『優しくなければ』に載せた一文を思い出していた。
* * * * *
私 だ け の
一昼夜続いた猛吹雪が、すっかり晴れわたったある朝。
空はまさに真っ青、雲一つない快晴。
地上は新雪で全ての物が白一色におおわれていました。
小学生だった私は、ランドセルを背負って、
通学の道を急いでいました。
目が痛くなるような明るい陽射しが雪に反射し、
前日までのあの重たい鉛色の雲と、
強い風と横殴りに降りしきる冷たい粉雪など
まったくなかったかのような気持ちのいい朝でした。
私は、すでに雪かきが済んでいるあぜ道ほどのところを、
ゴムの長靴で歩いて行きました。
何故、どんな理由でそうしたのか、
今もその動機についてはうまく説明ができません。
私は通学の道をはずれ、
小学校の裏山にある高台へと一人歩きだしました。
その高台にひろがる広い平地の新雪に、
私は膝までつかりながら、一歩また一歩と歩を進めました。
時々振り返ると、そこには誰のでもない
私だけの足跡が一本の道になって残っているのでした。
どこを見渡しても誰もいない真っ平らな雪野原。
そこにいるのは私だけ。
そして、足跡だけが……。
私は、嬉しかったのです。
あたりがやけに輝いて見えました。
誰もいないことに不安などなにも感じませんでした。
「よし、もっと行こう。もっと進もう。」
ゴムの長靴の中には雪がいっぱい入り、
毛糸の靴下までぬれてしまいましたが、
私は額に汗を浮かべながら前へ前へと歩きました。
どこまで行っても残るのは私の足跡だけ。
誰にもじゃまされない私だけの雪野原でした。
その日、私は学校を無断欠席しました。
後で両親からも担任からもひどく叱られましたが、
「どうしてそんなことをしたのか」。
尋ねられても、私はただ下を向いているだけでした。
* * * * *
このエッセイの題を『私だけの』としたが、
文中にも、「・・だけ」という言葉がくりかえし出てくる。
『そこにいるのは私だけ』
『残るのは私の足跡だけ』
『私だけの雪野原』
その上、余分だが、文末には『下を向いているだけ』と。
強調する程のことでもないが、『私だけの』と言っても、
オリジナリティー(独自性)とは無縁な少年期だ。
従って、雪野原を独り占めできた『私だけの』である。
今、振り返ると、
新雪が降り積もった雪原は、静寂に包まれていたはずだ。
そこを「もっと、もっと」と、
少年は膝までの雪を蹴って進んだのだ。
いつまでもいつまでも、その雪野原を独り占めしていたかった・・。
だから、「私だけの」と言ったそんな欲が、音のない白だけの野っ原に、
もっと前へもっと先へと、私を連れて行ったのだと思う。
「どうしてそんなことを・・」と尋ねられても、
当時の私に説明できる訳がない。
進んでは立ち止まり、
そこで振り返っては、また自分の足跡の続きを確かめる少年。
上気した表情で、心を弾ませ、
1人占めした雪野原に、体中が熱いもので満ちていたに違いない。
雪かきを済ませ、
ようやく豪華伊勢エビ入りのお重を3つ並べた。
元旦だけはと、今年も熱燗を用意。
いつもより控え目に、「初春に乾杯」。
手の込んだおせちに、箸がすすんだ。
熱燗も2本目に・・。
タイミングよく、庭にできた除雪の山に、
粉雪がそっと積もり始めていた。
毎年待ち望む、穏やかな元旦のワンカットだ。
ささやかな幸福感が流れた。
ふと、あの少年のその後に想いが馳せた。
あれからもずっとずっと、
『私だけの』を追いかけていた。
泣いたり笑ったりしながら、
気概だけはいつも「もっと、もっと」と・・。
しかし、言うまでもない。
少年は、もう初老になった。
つい、うつむき掛けた私に、
そっと現れた雪雲の切れ間の陽光が、
「まだ、まだ追いかけて!」と励ましていた。
2本目の熱燗を飲み干した私は、
「よし、もう1本!」と、酒ビンにむかった。
厳寒の中 活気づく製糖工場