ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

チャンピオンベルトをめぐるエト・セトラ

2021-04-17 | プロレス

チャンピオンベルトをめぐるエト・セトラ

 

 地元のイオンモールでプロレスのチャンピオンベルトが展示・販売されていた。(もちろん、レプリカだが)

 子どもがいれば、端午の節句の兜の代わりに、こいつを飾りたいところであるが・・・と思いながら、見入ってしまった。

 一般の人が懐メロを聞いて、当時の自分を思い出すように、我々も、チャンピオンベルトを見ると、それを巻いていたレスラーや当時の世相、当時の自分を思い出してしまう。

 

①NWF世界ヘビー級ベルト

 言わずと知れた、アントニオ猪木ベルト。

 当時のプロレス界を牛耳っていたアメリカのプロモーター連合巨大組織NWAに反発するように猪木はアメリカの4大組織の中でも最弱小のNWFのベルトを奪取した。

 権威へのレジスタンスの象徴のような、このベルトを振り出しに数々の名勝負が産み出された。

 あとにNWA世界ベルトへの挑戦権を得ること、新日のNWA加盟などを条件にNWFベルトから、世界の2文字は抹消された。

 だが、結局、猪木がNWAに再挑戦する機会はなかった。

 NWFベルトからWORLDの文字を残したのはその気概の表明か。

 1981年、NWAを超えた実力世界一の象徴を作るんだとばかり、猪木はこのベルトを返上してしまう。

 

②インターナショナル・ヘビー級ベルト

 こちらも、言わずと知れた、ルー・テーズ、力道山由縁の伝統的なタイトルの2代目ベルト。

 力道山亡き後、日本マットを背負って立ったジャイアント馬場の代名詞となったベルトだった。

 世相的には日本が右肩上がりの高度成長期に突入する時代で、馬場がアメリカの強豪と体力負けしない豪快なファイトを展開するのも印象的だった。

 王道を重んじる馬場だったが、1972年、独立し全日を旗揚げするに当たって、インターベルトをあっさり返上した。

 そのあと、このベルト保持者は、大木、ファンクJr、ブロディ、鶴田等と数奇な運命を渡り歩くことになる。

 

③ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級ベルト

 通称UNベルト。このベルトはテレビ局の利権が複雑に絡み合い、日本に持ち込まれた歴史を持つ。

 1971年、猪木がロスアンゼルスで獲得して、凱旋する。

 プレスリリースで、猪木と新妻の倍賞美津子が、このベルトを手に太陽のような笑顔でインタビューを受けていたのを思い出す。

 猪木は、その後、日プロを追放され、このベルトを返上。

 インターベルトと同様、保持者も坂口、高千穂、鶴田、天龍らへと数奇な運命を渡り歩く。

 最終的にはPWF、インターと統合され、3冠ベルトのひとつとなる。

 

 

 

 

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プロレスラー墓名碑2020  ~鳥人ダニー・ホッジ

2020-12-28 | プロレス

プロレスラー墓名碑2020  ~鳥人ダニー・ホッジ

 

 昨年12月のワンダースターで、「プロレスマニアのために年1回だけ、プロレス記事を書きます。それも、年末に、その年、没した”個人的にインプレッシブなレスラー”について書きます。」と宣言していたのだが、本年は該当者がおらず、この企画はパスかなと思っていた。

 ところが、年末も年末、あのダニー・ホッジがクリスマスイブに亡くなったとのニュースが飛び込んできた。

 ジュニア・ヘビー級でありながら、マニアの間では、”世界最強”との呼び声が高い名レスラーだった。

 個人的には私の子どものころのヒーローだった馬場・猪木のBI砲をウイルバー・スナイダーとの名コンビで打ち破った男という印象が強い。

 

 ”世界最強”といわれるのは、あの鉄人ルー・テーズを破って、TWWA世界ヘビー級王者になったことも一因だろう。

 1968年、日本の国際プロレスでの出来事である。

 アマチュア時代の実績も凄い。

 レスリングで全米チャンプになったあと、オリンピックで銀メダル。

 ボクシングでも全米チャンプにもなっている。

 鮮やかなローリング・バック・クラッチを得意とするテクニシャンというイメージが強いレスラーだったが、実はパンチ力もあり、おまけに切れやすい性格でガチンコにも強いというのが評判だった。

 NWA世界ジュニア・ヘビー級王者に永きに渡って君臨していた。

 日本では、どちらかというと脇役タイプだったが、いぶし銀のようなスタイルは、まさにマニア好みのレスラーだったといえる。

 もうひとりの鉄人が世を去った。享年88歳。

 

 


プロレスラー墓碑銘 2019 ~美獣と魔王

2019-12-28 | プロレス

プロレスラー墓碑銘 2019 ~美獣と魔王

  昭和プロレスファンなら、”美獣”と”魔王”と聞いただけで、誰のことかは、すぐわかるはずだ。

 それくらい、マニアックな世界なので、ワンダースターでは、滅多に記事にしないのだが、プロレスファンのビジターから、「たまにはプロレス記事も書いてよ」というリクエストがあったので、年末に1回だけ、記そうと考えた。

 題して、「プロレスラー墓碑銘」。

 その年に逝った名選手の中で、特に個人的に思い入れのあった選手のことをあれこれ記す。

 2019年には、アレックス・スミルノフやペドロ・モラレスらが鬼籍となったが、何といっても、”美獣” ハーリー・レイスと"白覆面の魔王" ザ・デストロイヤーは、個人的にもインプレッシブなレスラーだった。

 ①インテリジェント・センセーショナル・ザ・デストロイヤー

 

  まさに4の字固めが代名詞のレスラーだった。

  当時は、誰かれなく、技の無断使用は不可という無文律でもあったのか、其々の十八番技が専売特許のような時代だった。

 もっとも、4の字固めの使い手は数多いが、彼ほど、この技に執着したレスラーはいなかったように思う。

 執拗に足殺し技を繰り出して、最後に4の字固めを決めていくという、お決まりのシチュエーションに観客は酔ったものだ。

 彼は力道山の最後の好敵手であり、魔王というニックネームがぴったりの悪役レスラーのドンとして、威風堂々としていた。

 ジャイアント馬場の16文キックはロープのリバウンドを利用して、跳ね返ってくるレスラーの顔面に吸い込まれるように決まるというのが、プロレス界の暗黙のルールであるが、彼は決まる直前にストップし、馬場の挙げられた片足を持ち、軸足を払い、テイクダウンさせた途端に4の字を決めるという、変則が認められた唯一のレスラーだった。

 誰でも考えそうな流れだが、当時はこれだけで、”悪賢い技巧派”というレッテルが貼られた。

 また、白覆面の額に凶器を入れて、”凶器頭突き”なる反則技を繰り出したりした。

 どう考えても、技を仕掛けている方が痛いと思うのだが、これが、悪役レスラーの真骨頂というところだろう。

 全日本の一員になってからは、半分、コメディアンのようになってしまい、昔の威厳は消え失せた。

 素顔は大の親日家で、日米の交流にも積極的で、「デストおじさん」と親しまれた。

 アメリカに帰ってからは、元体育教師のデイック・ベイヤーとして、青少年育成にも尽力したという。

 公式の場では、マスクを脱がなかったという生涯にわたるマスクマンだった。享年、88歳。

 

②ハンサム・ハーリー・レイス

 

 リングネームに”ハンサム”を付けるとは、何と傲慢なといいたいところであるが、彼のマスクはどう見ても、”豚面”。

 彼一流のジョークだと思うのだが、日本の記者は、それが理解できず、”美獣”というニックネームを付けた。

 私にはNWA王者になる前、来日レスラーの中で二番手、三番手の若き日のレイスのイメージが強いが、当時から、受け身のうまいレスラーだった。

 受け身のうまいレスラーはプロモーターから重宝される。

 プロモーターにとっては、レスラーは大切な商品。

 売り出したいレスラーの技を綺麗に受けてみせることがレスラーの実力のひとつである。

 もちろん、怪我をしたり、させたりして、興行に穴を開けることはご法度だ。

 それが、長じて、彼は当時、世界最高峰といわれたNWA世界王座に8度も君臨した。

 彼の代名詞技、ダイビング・ヘッドバットは決まれば、説得力のある技なのだが、自爆したときの自らのダメージは想像以上。

 いつも、冷や冷やしながら、見ていた。

 それから、もうひとつの決め技、ブレーン・バスターは垂直落下式ではなく、空中で大きな弧を描いて投げる”バーティカル・スープレックス”といわれるタイプ。

 マットに叩きつけたときの見栄えの割には受け身の取りやすい彼らしい技だ。

 NWA王者になってからは”豚面”に、渋みが加わって、KINGらしい風格を漂わせるようになっていた。

 タフで不死身と思われたミスター・プロレスだが、76歳で逝ってしまった。

 

 

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プロレスの神様 カール・ゴッチ

2018-02-22 | プロレス

プロレスの神様 カール・ゴッチ

「Never lie , never cheat , never quit. 技術と精神は常に一緒だ。決して嘘をつくな、決してごまかすな、決して放棄するな」

東京都文京区のお寺にひっそりと佇む墓に哲学者のような言葉が刻まれている。

プロレスの神様、実力世界一といわれた、カール・ゴッチの墓である。

彼の日本での門下生たちが昨年、死後10年を経て、建立した。

彼は興行、ショービジネスとしてのプロレスを否定、勝つことだけに執着して、ストイックなまでに自分の信念を貫く。

ショープロレス全盛の時代に、「強さ」だけを追い求めた格闘技の求道者であった。

そんな彼がアメリカマット界で干されることは自明の理であった。

まるで、古武士のような彼を高く評価したのは、日本人だけだったのかもしれない。

そういえば、彼は宮本武蔵を尊敬していたという。

 初来日時、全盛期の吉村道明にジャーマン・スープレックスを決めるカール・クラウザーことカール・ゴッチ。

ゴッチと引き分けた力道山は、ゴッチを「強けりゃいいってもんじゃねえ」と評したとされる。

 私にはガチンコ・オンリーのイメージの彼なのに、結構、吉村の技を受けているなあと見えたが・・・。

 1924年ベルギー生まれ。ベルギー代表として、オリンピックにも出場。

 本名カール・イスタス。

 ドイツでプロ転向後、イングランドの“蛇の穴”ビリー・ライレー・ジムで修行。

 その後、アメリカに転戦。

 伝説の初代世界王者フランク・ゴッチにちなんで、カール・クラウザーから、カール・ゴッチに改名。

 ドン・レオ・ジョナサンを破って、AWA世界チャンプになったこともある。

 20世紀最強といわれたルー・テーズをもっとも苦しめた対戦相手でもあった。

 しかし、前述のように相手の技を綺麗に受けない。ブックに従わない。

 相手レスラー=商品に怪我させる。華がない。

 すなわち、プロモーターにとって、一番、大切な観客動員力がないなどという理由でアメリカマット界から干される。

 そんな彼が極める関節技は、1ミリのズレの妥協さえ許さない技術だ。

 彼は「朝目覚めてから夜眠るまで常に素手でいかに効率良く人を殺せるかを考え続けている」という。

 プロレスにショーを求める人には、とても理解ができない。 

 そんな彼を1967年、日本プロレスはトレーナーという形で拾った。

 いわゆる、ゴッチ教室である。 新日本、UWFなどにも協力している。

 猪木に卍固めやジャーマンを伝授したのは有名な話である。

 彼の門下生として、アントニオ猪木をはじめ、藤原喜明、佐山サトル、前田日明らが育った。

 半リタイヤしているのに、格闘技に歯は不利だと、何ともない歯を全部、抜いてしまった。

 そんな信じられないエピソードは限りない。

 プロレスではなく、彼がいうところのプロフェッショナル・レスリングのカテゴリーでは、カール・ゴッチはもっとも強いレスラーだったのではないだろうか。

 2007年7月28日、フロリダ州タンパの病院で死去。享年82。

 死ぬ直前まで、強くなるためのトレーニングを欠かさなかったという。

 最近、カール・ゴッチというイメージそのものが、実はギミックだったのではないかと思うようになってきた。 

 もう一度、あのジャーマンを見たいものである。



 


京都プロレス美術館 ~昭和プロレスの残像 Vol. 2

2016-06-04 | プロレス

京都プロレス美術館 ~昭和プロレスの残像 Vol. 2

               

 京都市左京区、高野川沿いの川端通りから程近い閑静な住宅街に京都の珍名所がある。
 プロレスマニアでTVのお宝系番組にも多数、出演された湯沢さんの私邸の一室が、「プロレス美術館」として、公開されているのである。
 今回、4年ぶりの訪問となったが、館長の湯沢さんのマニアックぶりは相変わらずだった。

 部屋には小さなリングが組まれており、それを取り囲むようにコレクションが溢れんばかりに陳列されている。
 湯沢館長、今日はマシーン軍団の悪徳マネージャー若松市政の帽子を被って、登場!

               

 前回と変わっていたのは、野獣ボブ・サップが正面に飾られているところ。
 ん?これって、平成だよね。一瞬、バッドニュース・アレンかと思ったけど。

 あの時代はやっぱり、ミル・マスカラスとアブド-ラ・ザ・ブッチャーの個性が光っていた。

               

               

 マスカラスのマスクが多数、飾られていた。
 馬場さんが覗き込んでいるのがおかしい。

               

 ブッチャー、引退した大木がソウルで入院中と聞き、お見舞いに行ったそうだ。
 世紀の悪党が実はいい人だったという。
 正義の味方、マスカラスの素顔が実は高慢ちきだったと聞く。
 プロレス界のギミックは実生活では逆の場合が多いようだ。
 一般社会もそうなのかもしれないと最近、思うようになった。

               

 彼らも、すでに世を去った。

               

 二人の巨人もいなくなった。

               

               

 「力道山、暴漢に刺さる!」と小さな第一報の記事。
 まさか、死ぬとは思っていなかったのだろう。

               

 若獅子と呼ばれていた時代の猪木。

               

 猪木のパキスタン2回目の遠征時に贈られたという記念品。これもお宝だ。
 プロレスはショーだ、八百長だといわれていた時代、パキスタンまで行って、数万の観衆の前で現地の英雄の腕を折り、再起不能、自殺?にまで追い込んだ男がいた。

               

 料金を見て、今さらながら驚く。
たった今、アリの訃報が飛び込んできた。
 ご冥福をお祈りします。

               
 
 バラエティ番組でこちらを訪問したけれど、当人の展示物がなくて、傷ついて帰ったとか。
 元横綱・北尾光司を一撃でKOした貴方は凄かった。
 高田延彦のフィギュアも登場!ん、これも平成!
 
               

 アメリカンな人でした。

               

 今回、一番のお宝だと思ったのが、これ。
 昭和50年、ソウル奨忠体育館でのインター選手権、大木金太郎VSアントニオ猪木戦。
 プロレスの裏と表が複雑に交錯した因縁の一戦。

               

 時代の合わせ鏡である、ポスター。レスラー全盛期の馳大臣も載っている。

               

               

               

               

               

 少しづつ、平成が進出してきたような昭和のリング。
 今度、訪れるときは、どうなっているのだろうか。

                           
                
バックナンバー京都プロレス美術館 Vol. 1

 訪問は日曜日のみの予約制です。私設美術館ですので、訪問時には必ず、予約してください。

 HPはこちら プロレス美術館・憩いのリング



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平野区民ホールでプロレス!?~NPW観戦記

2014-12-06 | プロレス

 平野区民ホールでプロレス!?~NPW観戦記

              
              
 11月23日、平野区民ホールでプロレスが開催された。
 このイベントは迂闊にもノーチェックで、当日、六反の「地活協まつり」の帰りに区民ホールの横を自転車で通過しようとして、発見!
 入場無料ということで、とにかく、飛び込んでメインイベントだけだが、取材することができた。

              

 一歩、会場に足を踏み入れると、怒号と熱気が溢れていて、あの独特のプロレスムードが漂っていた。
 NPWとは、新日本プロレスのようなメジャー団体と比して、インディーズと呼ばれる団体で、「ニュー・プロスタイル・レスリング」の略である。
 名前からわかるように、当初はアマチュア・プロレスとして、スタートしたが、10年前にプロ宣言したそうである。
 この日は20周年記念試合だったが、入場無料でどのように運営しているのか現時点ではわからない。
              
 メインイベントは、小崎貴也VS山本淳福のNPW選手権試合だった。
 場外乱闘も椅子の鉄パイプ部分で突きまくる、堂々としたもの。

              

 エアプレインスピン気味にリフトして、そのまま、ブロックバスターに繋げる。

              

 フィッシャーマン気味のブレインバスターである。

              

 STF(ステップオーバー・ト―ホールド・ウィズ・フェイスロック)まで、繰りだした。
 ここまで見て、技も高度で本格的、相当な練習量を窺わせる。

              

 リングサイドにはレスラーらしき、かわいい女の子が真剣に観戦していた。
 「めぃりぃ」選手だという。普段は看護師やカフェドールをしているとか。

              

 チャンピオンの小崎選手がパワーボムを決める。なかなかの迫力。

              

 続いて、ジャーマンスープレックス。

              

              

 しかし、決まらない。淳福選手の反撃である。
 難易度が高い、木村健吾ばりの雪崩式ブレインバスターまで、繰りだした。

              

 そして、ダイビング・ボディプレス。この選手のフィニッシュらしい。

              

 それでも、決まらない。
 ならばっと、机を持ち出して・・・(反則OKルールらしい)
 机の上でパワーボム!

              

 机がバリッと真っ二つに割れた!
 あ~!区民ホールの備品なのにぃ~!と余計な心配をしてしまった。

              

 トドメは椅子を敷いて、再び、ダイビング・ボディプレス!

              

 スリーカウント!
 椅子敷いたら、掛けた方も痛いだろうにと、また、余計な心配。

              

 新王者誕生!

              

 そして、お決まりのマイク・パフォーマンス。(末吉丸をバックに)

              

 このイベントは地域振興にも役立ちそう・・と感じた私でありました。
 次回の区民ホール開催は2015年1月11日の予定。
 


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京都プロレス美術館 ~昭和プロレスの残像Vol. 1

2013-01-27 | プロレス

  京都プロレス美術館 ~昭和プロレスの残像

 京都市左京区高野清水町で、ある熱血プロレス愛好家が自宅の一室を開放して、マニアックなお宝を公開している。
 その名も「プロレス美術館」。
 館長の湯沢さんはTVのお宝番組に何度か出演されているので、ご存知の方も多いだろう。
 
 懐かしの昭和プロレスへタイムスリップを告げるゴングが響き渡った。

              

デジブック 『昭和プロレスの残像』


              

 力道山時代のポスター。流血シーンにショック死する人も出て、社会問題になったこともあるそうだ。

              

              

 BI砲がしのぎを削った日本プロレスの時代。

              

              

 やがて、馬場の全日本と猪木の新日本の競合時代へ。

              

              

 その影で消えゆく国際プロレス。

              

 世界が驚愕した、猪木・アリ戦の実現。
 世紀の凡戦と云われた一戦だが、最近になって評価されるとは皮肉なものである。

              

 18文と云われた大巨人アンドレのシューズ。

              

 マイティ井上のパンツなんて、超レアなものまで。

              

 引退してから、有名になったアニマル浜口。
 現役時代は脇役ながら、存在感のあるレスラーだった。

              

 マスクマンはいつの時代も子どもたちの憧れだった。

              

              

              

 FMWで実際に使用された、有刺鉄線を巻き付けたバット。

              

 湯沢館長と最近のストロング小林。

              

 自宅を開放されている私設美術館ゆえに、訪れる際には必ず、予約を。(観覧料なし)
 マニア垂涎のお宝だけに、空き家を利用して、町おこしに使ってみたらなんて、勝手なことを想像してしまった。


つづき  昭和プロレスの残像 Vol.2  

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