杜若の咲くころ ~法華寺
もと藤原不比等の住居であったものを、娘である光明皇后が総国分尼寺として、平城宮の東側に建立した。
法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めたが、平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられた。
本堂は桃山時代に再建された和様の仏殿で、光明皇后をモデルに刻んだといわれている木造十一面 観音立像〔国宝〕、木彫維摩居士坐像〔国宝〕などが安置されている。
法華寺は杜若をはじめとする花の名所としても、有名。
光明皇后は、夫の聖武天皇とともに仏教を篤く信仰し、貧者・病人など弱者救済に精を出した「社会福祉の創始者」としても名を残している。
貧者を救済するための悲田院(ひでんいん)や医療施設である施薬院(せやくいん)を設置したともされており、この「浴室(からふろ)」もそのような「福祉事業」の一環として設置された。
(画像:なら旅ネット)
境内の池の鯉たちが集まっていた。何かを食べているわけではなく、何してんだろ?