紫陽花の咲くころ ~旧三井家下鴨別邸
下鴨神社に隣接する旧三井家下鴨別邸のあじさい苑が無料で公開されていた。
旧三井家下鴨別邸は大正14(1925)年に完成した豪商・三井家の旧別邸で明治期の主屋を移築し、玄関棟を増築するなどして作られたもので、大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されていることから、重要文化財に指定されている貴重な空間である。
あじさい苑越しの三階望楼が優雅な佇まいをみせていた。
紫陽花の咲くころ ~旧三井家下鴨別邸
下鴨神社に隣接する旧三井家下鴨別邸のあじさい苑が無料で公開されていた。
旧三井家下鴨別邸は大正14(1925)年に完成した豪商・三井家の旧別邸で明治期の主屋を移築し、玄関棟を増築するなどして作られたもので、大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されていることから、重要文化財に指定されている貴重な空間である。
あじさい苑越しの三階望楼が優雅な佇まいをみせていた。
地に唐獅子・天に墨龍 ~建仁寺・霊源院 ②
中国の現代アーティスト陳漫(チェンマン)さんが描いた「唐獅子図屏風(びょうぶ)」。
屛風は六曲一双。煌びやかな金箔の中で獅子が今にも飛び掛からんばかりの迫力をみせる。
陳漫さんは畳12枚分からなる天井の「墨龍図」も奉納している。
雲から現れた2頭の龍が低い天井から睨みを利かす。
風情あふれる建仁寺界隈。
甘茶の咲くころ ~建仁寺塔頭・霊源院 ①
京都でも最古の禅寺として名高い臨済宗大本山建仁寺。
その塔頭寺院の一つである霊源院は「甘茶の寺」と呼ばれている。
ガクアジサイにそっくりな「甘茶」は葉を煎じてお茶として飲めるヤマアジサイの変種。
紫陽花は茎・葉っぱにアルカロイドという毒があるが、甘茶にはない。
花祭りで仏様にかける、あの「甘茶」である。
甘茶が咲く枯山水庭園「鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」が本堂前に広がっていた。
岩陰で達磨さんが修行されていた。
清楚なクチナシの花。
一休禅師が修行された寺でもある。
紫陽花と桔梗の咲くころ ~東山・智積院
紫陽花名所の穴場と云われる京都市東山区の智積院の「あじさい苑」は金堂の裏側にあり、無料で公開されている。
境内では紫陽花の他、ヤマボウシやクチナシも見頃を迎えていた。
また、寺紋にもなっている桔梗の花も咲いていた。桔梗は加藤清正の紋から来ているのだそう。
智積院から建仁寺に向かう道すがら。いつものように車では、こんな京風情を見逃していた。
パープル・シャドー ~花の郷 滝谷花しょうぶ園
1万坪の敷地に600種100万本ハナショウブが咲き乱れる花の名所がウリの奈良県宇陀市の「滝谷花しょうぶ園」を10数年ぶりに訪れた。
6月初めのことだったのだが、花期が早すぎたのか遅すぎたのか、かつての豪華絢爛たる花園のイメージからは程遠いものだった。
それとも、何か事情あって、整備費を削減しているのか、シャード―を感じずにはいられなかった。
他の花も同様だったが、ヤマボウシだけ咲き誇っているようにみえた。
平良の島唄ライブ / 宮古島テイクオフ ~宮古島・旅紀行 ⑳ エピローグ
宮古島の中心地である平良タウンでは、地域の民謡やPOPSを聴かせる民謡酒場が点在している。
飲んで、歌って、踊って、宮古島の夜を満喫したラストナイトだった。
「美ら美らさん」にて。
席につくと、いきなり、三板(三羽)という沖縄音楽の楽器を渡される。
三板は文字通り3枚の板で構成される小型の打楽器で沖縄風カスタネットといったところ。
黒檀や樫などの堅い素材を用いた板片の上部を紐で繋いだものだ。
お客さんも飛び入りで歌ったりと常連さんも多そう。
翌日、宮古島空港から機上の人となる。
機は、あっという間に沖永良部島、奄美群島上空を通過。
四国を通過して、大阪湾へ。
束の間の旅も終わった。
自分へのお土産に「島らっきょう」を一杯、買い込んでいた。
(処理に手間取ったが、おいしかった。)
「宮古島・旅紀行」全20回 完
パイナガマ・ビーチの夕陽 / 平良 ~宮古島・旅紀行 ⑲
平良(ひらら)港は多良間島への定期航路が発着する他、近海の豪華クルージング船や海上保安庁の船が停泊する宮古島最大の港。
また、港横のパイナガマ・ビーチはさらさらのパウダー・サンドが人気の “まち近” リゾート。
港・海岸に隣接する平良(ひらら)タウンは官公庁や飲食街、観光施設を擁する宮古島の中心地。
どことなく、エキゾチックな雰囲気に満ち満ちている。
神社本庁包括下の神社としては日本最南端の神社である「宮古神社」。
狛シーサー?が鎮座する。
漲水御嶽は、宮古島創世神話の古意角(こいつの)、姑依玉(こいたま)の男女神が祀られ、蛇婚説話に基づく神話が残る御嶽。
「ドイツ皇帝博愛記念碑」
19c末、宮古島沖で座礁難破したドイツ商船を救助して、手厚くもてなした宮古の人々の博愛精神を称え、ドイツ皇帝ウイルヘルム1世から 贈られた碑。
宮古島市公設市場。
今夜の宿は「ホテル ド M」。何ちゅう名前かと思ったが、普通のビジネスホテル風宿だった。
2Fが客室で1Fはお洒落なカフェ。
「ホテル ド S」はあるの?とか、「M」は何のMを表すの?とか、アホなことは聞くまい。
「Mは宮古島のMよ。」なんて、言われたら、つまらないから。
さて、「宮古島・旅紀行」も最後の夜を迎える。
ここ、島唄ライブで締めくくることにした。
長い連載にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
あと、一回です。
パイナガマの夕陽が綺麗だ。
神か妖怪か、「パーントゥ」 ~宮古島・旅紀行 ⑱
島尻地区では旧暦9月上旬、仮面をつけて全身に泥を塗り、シイノキカズラの蔓草を巻きつけた3人の神様・パーントゥが出現する。
「パーントゥ」はンマリガー(産まれ井戸)と呼ばれる井戸の底の泥を身に付けて奇声を発しながら村人や観光客を追い回し、泥を塗りつける。
それにより、厄を払い、無病息災を祈願する祭りである。
泥を塗りつけられた人は厄が払えたと喜んでいるが、この泥は相当、臭いらしい。
上野野原地区でも、同様の祭りがあるが、島尻地区ほど過激ではないという。
パーントゥの資料は「宮古島市総合博物館」で見ることができる。(上記写真は島尻地区の案内板より)
石造りの塀が印象的な「宮古島市総合博物館」の外観。
宮古島の首長であり英雄である仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓がモチーフになっている。
「渦」というタイトルの天井画。宇宙や台風など自然のエネルギーがテーマだそう。
サバニ(舟)と漁師。
昔のサバニは1本の木をくり貫き造られていた。
これは宮古島の昔の住居「カヤヤー」。
その名の通り屋根を<カヤ>で葺き柱に貫を通して礎石の上に建てられた家<ヤー>。
大神島で見たような魔除けのスイジ貝が入口にぶら下がっている。
遭遇したあのアオウミガメ、元気でいるかな。
如何にも頑丈そうな天然記念物の宮古馬。
近くにある「宮古島市熱帯植物園」。
沖縄では「めんそーれ」。宮古島では「んみゃーち」。
大神島 / 遠見台とノッチ(奇岩) ~宮古島・旅紀行 ⑰
港から北へ歩いて小さな集落を抜け、島一番の高台「遠見台(トゥンバラ)」を目指す。
島めぐりツアーのゴルフカートの後を附いていく。のどかなツアーだ。
噂通り、猫がたむろする。
途中から急坂となり、頂上まで木製の階段となる。
頂上のすぐ手前に大きな岩に木の根が絡まったウガンジュ(拝所)がある。
島の中で最も重要な神事を行う場所で、この大きな岩に神様が降りてくるという。
ユリは遠見台まで案内してくれていた。
遠見台からの絶景。池間島と大橋が見える。
大潮の時だけ海面に現れる(普段は海中に沈んでいる)ため幻の大陸と呼ばれている日本最大級のサンゴ礁群 「八重干瀬(やびじ)」も運が良ければ望むことができるそうだ。
眼下に転じると、多目的広場前の海に点在する大小の岩が弧を描いて並んでいる。
「カミカキㇲ」と呼ばれているが、何とも不思議な光景だ。
続いて、西海岸沿いに島の北端にある奇岩(ノッチ)を目指す。
ノッチは、もともとは島の隆起によって地表から転がり落ちた岩だったが、長年に渡る波の浸食で根元を少しづつ削られ、キノコのような姿になったという。
現在もノッチは侵食され続け、刻一刻とその姿を変えているそうだ。
神様の住まう「大神島」へ ~宮古島・旅紀行 ⑯
宮古島の北東約4キロに浮かぶ、美しい三角形の形をした大神島(おおがみじま)は昔から「神様が住まう島」として神聖視され、島外の人が見てはならない秘祭ウヤガンや入ってはならない聖域があるなどのミステリアス・アイランドだ。
宮古島からは他の島のような大橋は、もちろんなく、島尻港からの1日たった4~5往復の連絡船が唯一、島へ渡る手段である。
秘境大好きな私はワクワクしながら、その小さな連絡船「ウカンかりゆす」に乗り込んだ。
約15分の航海である。
神様に呼ばれなければ行けない島。
無事、上陸できたところをみると、私は神様には嫌われていないようだ。
港では島の "看板犬ユリ” が出迎えてくれた。
大神島は周囲約3キロの小さな島で、現在人口は20人ほど、猫は人口を上回る60数匹、そして、犬は一匹の看板犬のみ。
ユリは連絡船の入港を待ち構え、上陸する島民や客を出迎えるのが日課らしい。
サザン・バタフライ ~宮古島・旅紀行 ⑮
(閑話休題)
宮古島で出会った蝶類を振り返ってみた。
南国の蝶ということで、関西で見かけることは一部を除いて、まずない。
一番、多く見かけたのが「ベニモンアゲハ」と「シロオビアゲハ」の黒いアゲハチョウ。
「ベニモンアゲハ」は、名前の通り後翅の周縁に紅色の小紋と中央の白い紋があるのが特徴で特に鮮やかな紅色はひときわ目を引く。
南西諸島に分布し、幼虫は食草ウマノスズクサ科植物に含まれる毒成分アルカロイドを体内に蓄えるため、成虫にも毒がある。
鳥などが食べるとまずくて吐き出し、鳥は以後食べるのを避けるようになる。
毒々しい色合いは鳥に対する目印になっていると考えられている。
翅が損傷してくると、「シロオビアゲハ」と混同しそうになるが、この記事を書くため調べていると、驚愕の事実が明らかになった。
「シロオビアゲハ」は後翅に白い斑点が列を成していて、翅を縦断する白い帯模様を形成する。
熱帯域に広く分布し、日本ではトカラ列島以南の南西諸島に分布する。
驚愕の事実というのは「シロオビアゲハ」の雌は遺伝的に2型があるということ。
2型とは雄と同じく後翅に白い帯がある「通常型」、そしてもう1つが、後翅に白い帯に加えて赤色の斑点がある「ベニモン型」である。
人間にも、逆に毒があるのに、毒がないふうにみせている奴、力がないのに力があるようにみせかけている奴等々いるが、生物界では更に上手がいるということだ。
「リュウキュウアサギマダラ」は奄美大島以南の南西諸島に分布する。
この幼虫もガガイモ科の植物を食べ、アルカロイドを取り込んで有毒になり、 成虫にも毒がある。
「ナミエシロチョウ」は沖縄県やトカラ列島に分布する。
「スジグロカバマダラ」は宮古島以南の南西諸島に生息するマダラチョウの一種。
この幼虫も有毒のリュウキュウガシワを食べ、この植物の毒を体内に蓄積している。
成虫になってからも毒を保有しており、それをアピールするために派手な模様をしている。
「ルリタテハ」は全国的な蝶ではあるが、私は当地で初遭遇。
紺色地にルリ色のラインが特徴的なタテハチョウで翅の裏側は樹肌そっくり。
夫々に生きるのも楽じゃない。
煌めく “池間ブルー” に囲まれた池間島 ~宮古島・旅紀行 ⑭
宮古島の北西約1.5キロに浮かんでいる、周囲約10キロの小さな島、池間島。
伊良部島、来間島同様、宮古島と池間島大橋で結ばれている。
島にはサトウキビ畑が広がり、島の周囲にはビーチがいくつかあり、他の島以上にのどかな空気が流れている。
北東に八重干瀬(やびじ)という日本最大級のサンゴ礁群があり、「宮古ブルー」、或いは「池間ブルー」と呼ばれるエメラルドグリーンの美しい海に囲まれている。
池間島大橋を渡ると東に大神島を遠望する。
池間島灯台。
池間湿原で出会った花。
池間湿原の駐車場の裏側からビーチに降りることができる。
思わず、歓声をあげたくなるような素敵なビーチがあった。
プライベート感が半端ない。
フナクス(ブロックビーチ)という。
フナクスの由来は、池間島にある湿原がまだ海とつながっていたころ、その湿地から舟をかついで内浦へと入れたため、舟で越す→フナクスと呼ばれるようになったのだとか。
また、昔、まだ駐車場がここになかったころ、目印としてビーチの入り口にブロックが置かれていたため、ブロックビーチと呼ばれるようになったそうだ。
初めてやってきたのに、偶然にも、秘密のビーチに出逢ってしまった。
遠浅の浜の透明なアクアに光紋が輝いていた。
今回の旅で数々のビーチを見てきたが、ここが一番、気に入った。
池間ブルーは、アオスジアゲハの青を想起させる。
池間島大橋を渡って宮古島に戻り、ラストの島を目指す。
「神に呼ばれなければ行くことができない」と言われている神が坐する島「大神島」だ。
そういえば、大和の大神神社のご神体の山、三輪山と似ている。
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西平安名崎・宮古島本島の最西端 ~宮古島・旅紀行 ⑬
宮古島西端付近の地図を見ると、島の先端がひょろりと細長く伸びている。
その先端に位置する西平安名崎では東平安名崎ほどの荒々しさはないが潮流に晒される大自然の姿を感じずにはいられない。
設置されている二基の風車が風の強さを物語る。
北には池間大橋と池間島。東には細く伸びる宮古島を通り越して、対岸にある大神島を望む。
雪塩ミュージアム。宮古島で精製される特別な製法の塩。
名物の雪塩ソフトは様々な塩をトッピングして食すると絶妙の味。
宮古島海中公園。
地下階段を降りていくと「海中トンネル」に到達する。
所謂、海中展望台で海の生物を自然な姿のまま観察できる。
サメや海ヘビが現れることも、たまにあるそうだが、水族館とは違う、ちょっと、退屈な海中光景が広がっていた。
島尻マングローブ公園。マングローブ群落の自生地。
マングローブとは、熱帯・亜熱帯地方の川の河口付近で、汽水域(海水と淡水が混ざり合う水域)の泥土に生育する植物の総称だが、海に流れ込む川がない宮古島のマングローブ林は非常に希少である。
実は海岸近くに地下水脈の湧き出し口があり、島尻マングローブはそこに発達したという。。
紅シオマネキなどの蟹が棲息している。
砂山ビーチとゲストハウス・コア ~宮古島・旅紀行 ⑫
砂山ビーチは宮古島のビーチの中でも、とりわけ人気が高く、また夕陽スポットとしても有名である。
黄昏時、パウダーサンドに座って、心地良い風に吹かれながら、マジックアワーの海を見ていたら、もうそれだけでいい。
波の侵食によって自然にできた岩のアーチが砂山ビーチのシンボルだったが、近年は崩落の危険があるとかで、フェンスが張られ無粋になってしまったのが惜しまれる。
ビーチのエントランスに鎮座するシーサー。
近くの「ゲストハウス・コア」に投宿。
シンプル イズ ベストのゲストルーム。
宿泊者同士が交流できる雰囲気も、なかなかgood!
下地島 / 「通り池」と「17エンド」 ~宮古島・旅紀行 ⑪
伊良部島と下地島は繋がっているようにみえるが、実際は細い水路(海峡?)によって隔たっており、橋上を渡っていると島を渡ったことに気付かないことがある。
下地島には空港があるが、その滑走路の西側に「通り池」という世にも不思議な2つの池がある。
通り池に続く密林のエントランスにワクワクする。
突然、地表にぽっかり開いた火口湖のような「通り池」は神秘的な濃紺の水を湛えていた。
海側と陸側、隣接する2つの池が地下部分でつながっており、さらに海側の池は洞穴を通して海にもつながっている。
海側(TOP写真)の池は直径約75m、水深約40~50m、陸側 (上写真)が直径約55m、水深約25m。
琉球石灰岩の洞窟の天井だった部分が、長い年月を経て雨水で浸食され崩れ落ち、このような景観が自然に生まれたと考えられている。
両池は潮の干満で水深が変化し、「サーモクライン」と呼ばれる水温の違う水が接してできる境界面によって水の色が変化して見えるという。
ダイビングの名所ではあるが、海底洞窟を通り抜け、二つの池に浮上するなんて、モノ凄い冒険ツアーだ。
石灰岩上の遊歩道。隆起サンゴ礁の島であることを実感する。
下地島空港の滑走路の延長線上にある誘導路が桟橋のようになっている。
この誘導路が真北を基準にした時に170度の方角を向いており、その方角から飛行機が滑走路に入ってくることから「17エンド」という名称で呼ばれている。
この誘導路横に広がるビーチと海があまりに素晴らしい!と評判を呼んでいる。
透明感あるエメラルドグリーンの海は、この世のものとは思えないほど美しかった。
下地島のもうひとつの人気ビーチである、「中の島ビーチ」はサンゴ礁がビーチのすぐ近くまで迫り、様々なサンゴや魚を見ることができるスポットである。