goo blog サービス終了のお知らせ 

ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

能登半島・災害ボランティアと視察 ⑤ ~輪島の惨状

2024-10-01 | 防災

能登半島・災害ボランティアと視察 ⑤ ~輪島の惨状

 

 数々の思い出がある輪島の惨状を見るのは辛かったが見ておかねばならないと思った。

    市街は茶色の土埃に覆われていた。

    乾いた泥が空中を舞っているようだ。

 元旦の地震から9カ月経過して、仮設住宅での生活再建が定着し始めた矢先の豪雨災害にやりきれない想いを抱いた方も多かったのではないか。

 町の至るところで災害ボランティアの皆さんが泥掻きや片付けといった支援をされていたのが、せめてもの救いだった。

 市街地でこの状態だから、寸断された道路の先で孤立されている被災者の方々を思うと胸が痛む。

 被災者一人ひとりの心が折れてしまいそうな時期だからこそ、ボランティアは必要とされる。

 現地に ‟行ったからこそ” 、その重要性を肌感で認識した。

 迷わず、行けばいい。行けば、わかる。

 

 

 

 

 

 

 いつも、楽しみにしていた朝市通り。

 「買うてくだぁー」の呼び声は、もう聞こえない。

 

 

 

 古刹、重蔵神社も被災したが、ユニセフのテントが立てられたり、支援物資の配給場所になったりするという。

 

 

 

 

 泥の掻きだしが当面の課題。

 

 

 

 

 

 今日、行方不明だった女子中学生が福井沖で見つかったという。   合掌。

 



              blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村

 


能登半島・災害ボランティアと視察 ④ ~泥掻き出し作業

2024-09-30 | 防災

能登半島・災害ボランティアと視察 ④ ~泥掻き出し作業

 

 元日の大地震から復興途上にあったのに、線状降水帯の「想定外の豪雨」により、またも甚大な被害に見舞われた能登半島。

 雨量は21日から22日午前にかけての24時間で412.0ミリを記録。これは9月の平年雨量の約2倍に達したという。(輪島市観測データ)

 既報の通り、河川の氾濫や土砂崩れが起き、多くの犠牲者を出した。

 今回の能登行の目的は地震の災害復興を予定していたのだが、急遽、地元の食品会社の倉庫・作業場から依頼された「泥掻き出し作業」となった。

 今後はこのような依頼が増えるものと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 断水のため、ボラキャンすず内に溜めていた非常用の雨水が役に立った。
 軽トラにタンクを積んで作業場、キャンプ間を何度も往復する。
 
   
 
 
 
 
 
 イベント用のパッケージ500ケースが水浸しで廃棄処分となった。
 
 
 
 アルバムの思い出の写真を乾かす従業員さん。
 
 
 
 地元の人のお話を聞くのもボランティアの大切なシゴト。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 



              blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村


能登半島・災害ボランティアと視察 ③ ~「ボランティアキャンプ すず」

2024-09-28 | 防災

         能登半島・災害ボランティアと視察 ③ ~「ボランティアキャンプすず」

     

 被災した自治体では「災害ボランティアセンター」を開設して、被災者のニーズの集約やボランティアとのマッチングを行っている。

 その運営主体は社会福祉協議会である。

 珠洲市社会福祉協議会による災害ボランティアセンター。

  

 ボランティア募集が実施され、コーディネートされた上で金沢などの主要都市からボランティアバスにて、現場に向かうのが一般的である。

 個人が闇雲に被災地に向かうのでは逆に地元に迷惑をかけることになるからだ。

 ところが、能登半島最先端の珠洲市ではバスの場合、終日ボランティア活動に参加するのが難しく、その解消のため、滞在拠点となるベースキャンプ「ボランティアキャンプ すず」が「鉢ヶ崎オートキャンプ場」内に開設されている。

 キャンプ場を運営するのは「ボランティアキャンプすず運営協議会」、テントの設置は「アウトドア義援隊」で(株)モンベル等が協力している。

 「ボランティアキャンプ すず」に行く前にメールにて様々な問い合わせをしたのだが、受け答えをしてくださったのは実は東京にいる法政大学の先生だった。

(到着するまで、てっきり、キャンプ場の管理者相手にメールしているのだと思っていた。)

 法政大学も運営に協力されているようだ。ありがとうございました。

 今回、私は直接、「ボランティアキャンプ すず」に予約したが、活動についても社協とコーディネートしてもらえた。

 できるかぎりの装備も揃えた。

 ところが、現地に到着した9月21日、線状降水帯発生により天気は急変し、まさかの豪雨災害が発生した。

  

  到着時は雨も小降り状態だったのだが。

  

  食事場所や備品置き場のため、5連の大テントが繋がって設置されており、ボランティアの交流場所となっている。

  またの名を宴会場ともいうが、この日は緊迫感に溢れていた。

  

    テントには様々な備品が用意されている。多くは皆さんの寄付である。

       

       

       

       

        避難指示がボラキャンにも出た。緊迫するミーティング風景。

  

  

 宿泊はテント泊、車中泊、どちらでも自由なのだが、夜になると雨足が激しさを増してきたため、私は車中泊することに。

 そのうち、報道により事態が切迫していることを知る。

 ついには避難警報が発令されたので、テント泊しかできない方は別所に避難した。

 その夜、滝のような雨を経験することになる。

 雨音がショパンの調べなら、よかったのだが、車の屋根をドラムを連打するように雨が叩きつけ、結局、殆ど、眠れなかった。

 もしかしたら、この雨でキャンプ場が孤立するのではないかと危惧した。

 「裏山が崩れるのではないか、側の川が氾濫するのではないか」と危惧している人たちの気持ちを実感することになった。

  

 翌日、昼前に雨は上がったがキャンプ場は泥だらけ。テント内にも排水溝を掘らねばならない。

  

 各地から、ツワモノ・ボランティアが集まっていた。

 21日夜、能登のニュースを聞いて、関西から豪雨のなか、夜中に車を飛ばして早朝にキャンプ入りしたボランティアさんがいた。

 何回もボランティアに来ている人は地元の人との繋がりができているので他人事とは思えないのだろう。

  

 彼女は横浜から雨の中、スクーターで駆け付けた。一週間ほど、会社を休むという。

 翌々日はボランティア日和だったが早朝から、断水したのでキャンプ場に備蓄している雨水を使う。

  

 AM8時、ボランティア出発前の打ち合わせ。

  

  

 今日は市内の食品倉庫から庫内の泥を掻きだして欲しいという依頼だった。

 断水しているので、使用する水をタンクに詰める。

  

 鉢ヶ崎オートキャンプ場の近くには、瓦礫や流木の集積場があった。

 都会では考えられないがスペースがあるというのは利点である。

  

       豪雨による被害は正月の地震以来の惨事になっていた。

  

    

              blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村


能登半島・災害ボランティアと視察 ② ~地震・津波 そして、水害

2024-09-27 | 防災

能登半島・災害ボランティアと視察 ② ~地震・津波 そして、水害

 

 

 能登のシンボルでもある「見附島」は変わり果てた姿となっていた。

 弘法大師が佐渡から能登へと渡る際に「見つけた」というのが由来だが、別名「軍艦島」とも云われた船の舳先のような鋭角部分は地震により崩落しており、かつての面影はない。

 島周辺の集落は断層上にあったのだろうか、無残にも殆どが被災しており、手付かずのままだった。

 思わず、合掌。

 

 

 

 

 

 

 液状化現象のため、地中のマンホールが地上に浮き上がっていた。

 

 

 更に周辺をパトロールする。

 

 

 

 

 扉の開いたキリコ庫。

 

   

 

 

 

   

    収穫直前の稲が倒れてしまった。水害は酷い。

   

 

 恋路の浜の波も、どんよりと濁っていた。

          

              blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村


能登半島・災害ボランティアと視察 ① ~珠洲の海岸にて

2024-09-26 | 防災

能登半島・災害ボランティアと視察 ① ~珠洲の海岸にて

 

 1月に地震、津波に襲われた石川県珠洲市の粟津海岸に誰が置いたか、一対のオブジェが荒い波を見据えるように佇んでいた。

 あまりに苛酷な自然の猛威に抗うことさえ諦観してしまったかのようなオブジェ。

 そして、今回の豪雨。  

    何故、この地に何度も災難が降りかかるのか。

 

   

 

 

 鉢ヶ崎ボランティア・キャンプにチェックインしたあと、狼煙を目指してパトロールしていたが、先日の豪雨で道路は寸断されていた。

 ちょうど、自衛隊が復旧工事に入っている最中だった。

 狼煙の先に禄剛崎灯台があり、17歳のころ、初めての一人旅に出たときに、ここから輪島まで歩いたことがある。

 私にとっては、いわば、青春の記念碑のような灯台だが、今回は再訪することができなかった。

 

 

 海岸沿いの須須神社も無残な姿を見せている。

 

 

 

 崩れかけた民家の軒先にボランティアさんが休憩しているのかと思ったら、"案山子”だった。

 ボランティアさん、早よ来てや!とでも言ってるよう。

 

 木ノ浦海岸に抜ける山道も通り抜けは厳しそうだ。

 

 

 まだ、波は高い。波除ブロックが十字架に見えてきた。

 

   
              

              blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村


石巻・南浜地区 ② ~奇跡の「ザ・サバイバー」 震災遺構・門脇小学校

2024-06-22 | 防災

石巻・南浜地区 ② ~奇跡の「ザ・サバイバー」 震災遺構・門脇小学校 

  

   2011(平成23)年3月11日14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7を記録した東北地方太平洋沖地震が発生した。
   石巻市の多くの地域で震度6の激しい揺れが約3分間続き、その後に発生した大津波により太平洋沿岸は壊滅的な被害を受けた。

 石巻市は、東日本大震災をめぐる事象と教訓を後世に伝え継ぐために震災遺構として「門脇小学校」と「大川小学校」の二つを整備し公開しているが、今回は南浜地区の津波復興祈念公園すぐ北側の門脇小学校を見学した。 (TOP写真は被災した消防車と車)

  

  

 発災当時、全校児童300人のうち240人が校内に残っていたが、地震直後より教師の誘導のもと裏山の日和山に避難を開始した。

 下校したあとで戻ってきた人数を含めて275名の児童が避難した。学校では予てから日和山への避難訓練を実施しており、全員、スムーズに避難できた。

 子どもたちが日和山に避難したあと、学校には避難者の誘導のため、教頭先生ら4名の教職員が残った。一時避難所である校舎には赤ちゃん含む約40人の住民が避難してきた。

 津波は大地震の約58分後に、地区の海岸線に到達し、そのわずか2、3分後には、門脇小学校の校舎に押し寄せてきた。

 校庭に停めてあった保護者や避難者の車を含め多数の自動車が流された。やがて漏れ出したガソリンが引火、また地区のあちらこちらでも、火災が発生して、燃える家屋ごと、波に流されて校舎に到達した。

 校舎は炎に包まれた。いわゆる、「津波火災」である。

 一階が浸水しているので、すぐ横の裏山には2階から移るしかなかった。

 そこで、教頭先生は咄嗟の機転で、教壇を橋代わりに利用することを思いつき、全員無事に燃える校舎を脱出し、避難させることができた。

 まさに奇跡の「ザ・サバイバー」である。

  

  

   

 校舎横に立派な展示館が建てられている。

  

 

 仮設住宅も展示され、生活を偲ぶことができる。

 

 門脇小学校の奇跡の全員サバイバーとは対照的に石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロの川沿いに位置する「大川小学校」では児童74人と教職員10人が犠牲となった。

 その場にいて助かったのは4人の児童と教職員1人だけだった。何が、この二つの小学校の明暗を分けたのか!?

 「大川小学校」では大きな揺れの後、児童教職員は校庭に集まって50分余り待機。

 そのあと、校舎すぐ横の裏山に避難せず、あろうことか、橋のたもとにある高台に向かうため、北上川に向かって移動を始めた直後に川を遡上してきた津波に襲われた。

 当時の行政の危機管理マニュアルは、「大川小に津波被害は発生しない」という震災前のハザードマップに従って校庭を一時避難所とし、その次の避難所を「近くの公園や空き地」としか示していなかった。

 川方面、目指し移動始めた集団のなかで、一人の少年だけが迫りくる危険を察知、みんなとは逆方向である学校の裏山めざして走り出した。

 助かった4人の児童のうちの一人、只野さんである。

 マニュアルだけに頼らない状況判断の確かさの違いが命運を分けたのかもしれない。

 震災の語り部となった彼は「学校の地震訓練では校庭に避難して点呼取って終わりで、津波の避難訓練はしていなかった。しっかり訓練していれば、震災当日も早めに移動したり、川の様子を確認したりして山に避難できていたかもしれない。日頃の津波や地震に対する意識が足りなかった。自分たちが伝えていくことで、大震災のとき、少しでも犠牲者を減らすことにつながるのではないか」と語る。

 行政を相手取った裁判には勝訴したものの、失われた生命は帰ってこない。

 

 

 

 

           人気ブログランキングへ
にほんブログ村

FC2 Blog Ranking

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村

 

 


石巻・南浜地区 ① ~津波復興祈念公園・すべての生命へ

2024-06-20 | 防災

石巻・南浜地区 ① ~津波復興祈念公園・すべての生命へ

  

 一面に続く緑の丘には、心地よい海風が、ただ、吹き渡るだけだった。

 芝生が敷き詰められた約40haという広大な公園は恐ろしいくらい何もなかった。

 いや、所々が区画され、そこに ○ 丁目と書かれた札が掛けられ、お地蔵さんが祀られている。

    それが、かつて、ここに街があったという痕跡である。

 東日本大震災により、大きな被害を受けた、石巻市南浜地区跡地に震災復興のシンボルとして「津波復興祈念公園」が整備され、中心部に国営の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」が建つ。

    

   

   

  津波復興祈念公園は、この地のみならず東日本大震災で犠牲になられたすべての生命(いのち)に対する追悼と鎮魂の場であるとともに東日本大震災の記憶と教訓を後世に伝える拠点である。

   

   

   

   

   

  かつて、この街に住んでいたという語り部さんが、しみじみと・・・

  「私の住んでいた町にも自治会があり、たまに防災訓練をやっていたが、私は一度も参加したことがなかった。今はそれが悔やまれます。」

  と、おっしゃっていたのが印象的だった。

   

    

   

   

 

 

 

 

           人気ブログランキングへ
にほんブログ村

FC2 Blog Ranking

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村

 

 

 


防犯防災総合展 ~インテックス大阪

2020-11-05 | 防災

防犯防災総合展 ~インテックス大阪

  

 インテックス大阪にて「防犯防災総合展」が開催された。

 (実行委員会・㈶大阪国際経済振興センター・テレビ大阪主催)

 地震や水害などの自然災害から命を守るため、緊急の対策は何か。

 特に地域の防災活動においては、コロナ禍を踏まえた避難所運営と衛生管理、停電、断水、要援護者対策など、課題が山積している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人気ブログランキングへ


 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村


ツーリスト From ロシア ① ~あべのタスカル

2019-07-15 | 防災

ツーリスト From  ロシア ① ~あべのタスカル

 ロシア・ウラジオストクの語学学校の生徒さんたち(8歳から24歳)と付き添いのお婆さん、お一人と日本語の先生お一人、計12名の皆さんが6月から7月にかけて、3週間に渡り、日本に研修旅行に来られていた。

 投宿されていたのは、主に喜連・如願寺のジーマ副住職が営む「スバル庵」

 ここを拠点に京都や奈良、堺、USJなどに行かれたようだ。

 帰国目前の、この日、市内を廻るということで私も同行させていただいた。

 移動は地下鉄(大阪メトロ)。

 まずは、大阪市立阿倍野防災センター。

 4月に全面リニュアルオープンして、よりリアルな防災学習施設「あべのタスカル」となった。

 防災のお勉強ですね。

 もっとも、ウラジオストクに地震はないそうだが・・・。

 言葉が通じなくても、何故だか、それは通じた。

 

 人気ブログランキングへ             ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人と防災未来センター ~阪神・淡路大震災の記憶

2019-01-17 | 防災

人と防災未来センター ~阪神・淡路大震災の記憶

 神戸市の「人と防災未来センター」を訪れた。

 1995年1月17日、午前5時46分に始まる出来事は忌まわしい記憶だが、忘れてはならない、語り継がねばならない記憶でもある。

動画

迫りくる「南海トラフ大地震」。いつ動くかわからない断層の数々。

私たちは何を備えなければいけないのか。そのとき、どうすればいいのか。

常日頃から、防災を意識することは大切である。


blogramで人気ブログを分析
人気ブログランキングへ 
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村 
FC2 Blog Ranking

 

 


津波・高潮ステーション   ~「3.11」の記憶

2018-03-11 | 防災

津波・高潮ステーション  ~「3.11」の記憶

               

 「3.11」の記憶をリバックさせるべく、大阪市西区、阿波座の「津波・防災ステーション」に出向いた。
 この施設は大阪府西大坂治水事務所所管で、かつて大阪を襲った高潮や、近い将来必ず、大阪を襲うと云われている南海トラフ巨大地震と津波についての知識習得を目的としている。

 あの日の出来事、あの日から始まった出来事を心の中でもう一度、整理してみることが、7年経過した今日の大切なテーマなのだろうと思う。

犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。


              

              

              

              

 動画1

動画2


             blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村
              

FC2 Blog Ranking  




阿倍野防災センター ~日々の備え

2016-09-03 | 防災
阿倍野防災センター ~日々の備え

               

 地下鉄阿倍野駅から、すぐ。大阪市立阿倍野防災センターに行ってきた。
 災害は忘れたころにやってくるというが、関西では今や、南海トラフや活断層地震など、いつ、おきてもおかしくない状況にあるという。
 普段からの「日々の備え」が大切とは、資料映像に出てきた「日比野早苗」さんの言。

               

               

 高校生の研修授業?の中に入り込んでしまった。              

 消火器でダンボールについた火を消化する。

               

               

 携帯が繋がらない中、落ち着いて、公衆電話で119へ。

               

 かじさん宅で、火事が・・・。
 メラメラという音がリアル。
 煙が充満してきたら、絶対、吸わぬよう低姿勢で逃げるのが、原則。

              

 BAR DANGERの看板が落下しそうでdanger!



リアルな倒壊現場。が、本当はもっと、壊滅的!?

              

              

              

 応急処置を学ぶ。タオルが包帯に。ネクタイやダンボール、傘、ラップなどを活用できる。

              

 身近にせまってきていると、誰もが認識し、更なる対策を講じる時期にきた。



            blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村
              

FC2 Blog Ranking
 



津波・高潮ステーション  ~「3.11の記憶」

2016-03-12 | 防災

津波・高潮ステーション  ~「3.11の記憶」



大阪市西区阿波座の「津波・高潮ステーション」は災害への備えを学ぶことができるので、地域や学校の研修には最適な施設である。

              

              

 入館すると、まず、「海より低いまち大阪」を実感できる展示が目を引く。
 床面を海面に見立てて、潜在的な危険があることを示唆させる。

              

 次に大阪平野が古代においては内海であり、河内湖という湖であったという歴史を想起させる。

              

 タイムトンネルを通り、昭和に大阪を襲った三つの台風による高潮による災害を体感する。

              

              

              

 動画1
 

 大きな津波は忘れたころに突然、やってくる。
 津波災害を経験した先人が残した石碑。(大正区)
 歴史の教訓を生かせようという提言。

              

               

              

 ダイナキューブ「津波災害体感シアター」で文字通り、津波を体感する。    
 
動画2
 

動画3

あの日から5年が経過した。
 東北から遠く離れた、この地においても、あの日あの時あの瞬間、自分は何をしていたのかという話を始める人が多い。
 誰もが、あの出来事を対岸の火事とは捉えていなったということなのだろう。
 
 あの頃、「絆」とか「がんばろう日本!」とかいったキャンペーンがさかんに喧伝されていたが、私は微妙な違和感を感じていた。
 そして、その違和感を口にすることの後ろめたさも感じていた。
 それはその現場に居合わせていなかったこと、直接的な支援をしなかったことにもよるのかもしれない。
 風化させてはいけないこと、忘れることができなくても、忘れなければいけないこと。

 心の整理をする時期にきているのだろうか。

 私事だが、3年前の3.11に生涯でもっとも悲しい出来事があった。
 「私の中の3.11」は今も、ずっと続いている。



              blogramで人気ブログを分析

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
              にほんブログ村
              

FC2 Blog Ranking