ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

「第2回 平野郷を着物で歩こう!」 No.3 ~長寶寺・時空参拝

2013-10-31 | 平野を着物で歩こう!
 「第2回 平野郷を着物で歩こう!」 No.3 ~長寶寺・時空参拝


              

 坂上田村麿が1200年ぶりに長寶寺に時空・参拝を果たされた。

              

 寺伝によれば、開山は坂上田村麿の娘で、平野庄領主の坂上広野(坂上廣野麿)の妹の坂上春子(慈心大姉)とされる。
 春子は桓武天皇の妃であった。
 延暦25年(806年)に桓武天皇が崩御すると、春子は空海(弘法大師)に帰依して剃髪し、慈心尼と称した。
 寺は父の坂上田村麿が大同年間(806-810年)に建立したという。

              

              

              

              

 食べ歩き一行が長寶寺に到着、田村麿と合流した。


              

 西脇ご住職から、田村麿と平野の関係、そして、以外なのは、東北地方と平野の関係についての講話があった。
 その後、三十歩神社の竜野さんが、田村麿の一節を吟じられた。

              

              

 時空旅のクライマックスともいえる、長寶寺の参拝であった。

              

 「第2回 平野郷を着物で歩こう!」まだまだ、続きます。


(尚、長寶寺で試食予定の「あかる姫のまころん」は、皆さんにお土産として、配らせていただきました。)


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「第2回 平野郷を着物で歩こう!」 No.2 ~新聞屋さん博物館と“商店街・一口食べ歩き”

2013-10-30 | 平野を着物で歩こう!
「第2回 平野郷を着物で歩こう!」 No.2

~新聞屋さん博物館と“商店街・一口食べ歩き”




 全興寺の隣に風格ある石造りの洋館があり、面白いコントラストを醸し出している。
「新聞屋さん博物館」として、「平野町ぐるみ博物館」の中核を成す。
 この一見、銀行を思わせる洋舘が朝日新聞の「小林新聞舗」で、創業は明治22年と言うから、12O年以上の歴史があり大阪市内で一番古い新聞販売店である。
 建物は昭和3年の竣工で2階建て。2階はモダンなアーチ型の窓がある。
 所蔵の明治からの新聞、号外、付録や新聞販売に関する写真、文献などの資料が展示されている。




                           (右、小林社長)

 今回のイベントを盛り上げようと直前には新聞・折り込みチラシの号外を出していただいた。
 ありがとうございました。

             

             


 今回のもうひとつの目玉は“食欲の秋”にちなんで、“商店街・一口・食べ歩き”である。
 「大和市精肉店」さんでは、出来たてコロッケを、「六ヶヶ屋(ろくろくやや)さんでは、出汁巻き卵をいただく。
 参加者の顔がほころぶ瞬間だ。


             

             

             

             


 「ひさご園茶舗」さんでは、最上級の玉露をいただく。

             


 中国からの留学生、朴さん。あなたのノリは素晴らしい!
 次回のスタッフに任命します!!


             


 一方、その頃、坂上田村麿は「食べ歩き一行」を尻目に(食べられないので)一路、ゆかりの長寶寺を目指していた。


             

           つづく

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「第2回 平野郷を着物で歩こう!」 No.1 ~全興寺から商店街の時空旅

2013-10-29 | 平野を着物で歩こう!
   「第2回 平野郷を着物で歩こう!」 No.1
            ~全興寺から商店街の時空旅

             

 10月27日(日)14時、平野郷では、突如、時空間に歪みが発生。
 1200年の時空を超えて、平野の祖ともいえる「坂上田村麿」が「第2回 平野郷を着物で歩こう!」に参上、仕った。

             

 全興寺本堂前で観世流能楽師、山下麻乃さんを迎えての出発前のセレモニー。
 川口ご住職からは、全興寺の紹介のあと、お寺に伝わる「首地蔵」の紙芝居をしていただいた。   ⇒「首地蔵

             

 イベントのコース説明と見どころ、注意点、一口食べ歩き、CBとして制作した「イベント・オリジナル絵葉書」の紹介。

             

 そして、山下麻乃師に、いよいよ、坂上田村麿、降臨。

             

 お面を装着するのが、なかなか、大変なようだ。

             

             

 さあ、「着物で歩く、一刻(ひととき)の時空旅 ~平野郷」スタートです!


             

             

             

             

             

             
    
                    つづく

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速報「第2回 平野郷を着物で歩こう!」は無事、終了!!

2013-10-28 | 平野を着物で歩こう!
   速報「第2回 平野郷を着物で歩こう!」は無事、終了!!

 10月27日(日)に開催の「第2回 平野郷を着物で歩こう!」は、無事、終了しました。
 着物姿一行は既報通り、平野ゆかりの“坂上田村麿”に扮する、観世流能楽師、山下麻乃師を先頭に14時に全興寺をスタートしました。
 商店街の名店での一口食べ歩きや町ぐるみ博物館見学、長寶寺、大念佛寺をめぐる、盛りだくさんの内容に大いに楽しんでいただけたようです。

 参加していただいたのは地元の皆さま中心に、地域活動協議会の会長様の友情参加や大阪市会議員の奥さま、中国からの留学生の方など、多彩な顔ぶれ。
 ひとつの出逢いが、また、大きな繋がりを産んだようです。

 参加の皆さんに喜んでいただいた上、「大成功!」という評価までいただき、大変、嬉しく思います。
 これも、開催に至るまで、ご支援、ご協力していただいた皆さまと、参加いただいた皆さまのお陰です。
 ありがとうございました。心より、感謝いたします。

 尚、詳細につきましてはブログ「ワンダースター★航星記」にて、追って、お伝え致します。


                 

                 

                
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長寶寺と坂上田村麿、そして、「よみがえりの草紙」

2013-10-26 | 平野ヒストリー
  長寶寺と坂上田村麿、そして、「よみがえりの草紙」


              

 坂上田村麿(麻呂)(さかのうえのたむらまろ)は、今から1200年ほど前の平安時代初期の武将で、初の征夷大将軍として蝦夷(えみし)(現在の東北地方)を討伐した。
 その功により、参議(現在の内閣大臣に相当)・中納言・大納言と出世し、主に政治の中心で活躍した。

              
 
 能「田村」は、坂上田村麿を主人公にして、彼による京都・清水寺創建の縁起物語と蝦夷征伐を描いた作品である。
 
 長寶寺(ちょうほうじ)開基の慈心大姉は、坂上田村麿の娘で坂上春子(春子姫)といい、もと桓武天皇の妃であった。
 806年、桓武天皇崩御によって、春子は弘法大師に帰依して剃髪し、父坂上田村麿が同年に創建した長寶寺の開基となった。

 長寶寺の本堂には、本尊の十一面観音像(毎年5月18日に開帳)が安置されているが、これは、田村麿の守護仏とされている。

 また、次男の坂上広野麿(さかのうえのひろのまろ)は、摂津国住吉郡平野庄を開発した人物。
 広野がなまって、「平野」になったといわれている。

               

 西脇慈容住職と本堂。

               

 長寶寺の境内を歩いていると、本堂の鬼瓦をはじめ、寺の所々に、変わった形の紋章がほどこされているのに気づく。
 これは、長寶寺の寺紋(じもん)であり、坂上家の家紋(かもん)である。
 形どられているのは、向馬(むこううま)と呼ばれているもの。
 「主君に忠実に仕える」という意味が込められた、想像上の動物で、頭が馬、体が牛になっている。

               

               

               

               

               

 本堂には閻魔王の伝承が残る。


 閻魔王は 永享11年(1439)6月6日 慶心坊尼を頓死させたのじゃ。
 それはな、 生きとる間にな、仏さまの修行を怠けると地獄に堕ちるということを知らせ、地獄の恐ろしさを 見聞させ、逆修を勧めさせるためなんじゃ。
 それでな、「閻魔大王の証判を持つ物は地獄に落ちない」という証判をもっていた慶心坊尼は地獄に堕ちた3日後に蘇生したんじゃよ。
 じゃがな、誰も信じなかったもんじゃから、閻魔王は、次なる手を打った。
 嘉吉元年(1441)10月15日 読経中の慶心坊尼が青蜘蛛(くも)をつかむと 青蜘蛛は舎利に変わったんじゃ。
 嘉吉2年(1442)慶心坊尼が 逆修供養を営んだ際に客僧が来訪し 閻魔王の木像を刻んで姿を消した。
 その客僧が 閻魔王じゃったそうな。


 塚原さんによる紙芝居。

               

               

               

 「青蜘蛛の舎利」「閻魔大王木像」「閻魔大王実判」は現在も 長寶寺に伝わる。
 慶心坊尼が、 この出来事を書いたものが、寺に所蔵される『よみがえりの草紙』である。

 

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特報!平野の町中が能舞台!「坂上田村麿」が「平野郷を着物で歩こう!」に参上

2013-10-22 | 平野を着物で歩こう!
  特報!平野の町中が能舞台!!
  「坂上田村麿」が「平野郷を着物で歩こう!」に参上!!!


              

 10月27日(日)開催まで、あと僅か。
 「第2回 平野郷を着物で歩こう!」にサプライズが飛び込んできました。

 観世流能楽師、山下麻乃さんが能舞台で演じる「田村麿」、そのままの姿で、「第2回 平野郷を着物で歩こう!」に参加します。
 山下麻乃さんは同じく、観世流能楽師として著名な山中雅志さんの奥さま。
 11月30日には上記ポスターの「平野ろうそく能」を平野区民ホールで演じられます。

              

              

              

 日本最初の征夷大将軍として有名な「坂上田村麿(麻呂)」であるが、鬼退治の英雄としても有名な人物である。
 また、宿敵・蝦夷の英雄:阿弓流為(アテルイ)との対決は年初にNHKドラマで放映された。
 坂上田村麿の次男だった坂上広野麿(ひろのまろ)が9世紀の初め頃、朝廷から下賜されて開墾した土地が現在の平野である。
 「平野」という地名はその名の広野がなまったものとされている。

 ★ ★ ★
 「第2回 平野郷を着物で歩こう!」のキャッチ・フレーズは「着物で歩く、一刻(ひととき)の時空旅 ~平野郷」であるが、これを創ったときは、まさか、こんな形で実現するとは夢にも思わなかった。

              

 平野に携わって、1年になるが、思い描いたことが、次から次へと、想定以上の形になって現実化する。私にとっても、平野は不思議な町だと思う。
 それとも、今回のコースに田村麿ゆかりの「長寶寺」を入れたから、何かの縁が繋がったのだろうか。

 あまりのビッグニュースに、朝日新聞の平野区内の折り込みチラシで今回のサプライズニュースの号外が出ることになった。
 下記の配布したチラシ上では参加申し込み締め切りを10月21日にしていたが、25日午前中までに延期します。
 皆さん、是非、参加してください。絵的にも非常におもしろいと思います。

 ↓



 「第2回 平野郷を着物で歩こう!」

 8月に開催した第1回は、涼しげな浴衣姿の皆さんが、情緒あふれる平野郷を「しゃなり、しゃなり」と歩いて、盛夏の町に一服の涼を吹かせました。
 藤井区長からも「このイベントが平野の新しい名物になるよう期待しています。」と暖かいエールを送っていただきました。
 さて、第2回は「着物で歩く、一刻(ひととき)の時空旅 ~平野郷」をキャッチ・フレーズに10月第四日曜日に開催します。
眠っている着物をお召しになって、秋たけなわの町を歩いてみませんか?
               
  〇日時:     10月27日(日)14:00
  〇場所:     全興寺  (平野本町4-12-21)
  ※ 西門前・おも路地に着物を着て、集合。
            ※ 雨天中止。
  〇参加費:    500円
  ※ 保険代、記念品(イベント・オリジナル絵葉書3枚セット)等含む。

  〇コース内容: 全興寺~商店街~長寶寺~大念佛寺~平野映像資料館
  *平野名物の一口・食べ歩きもします!!
          
  〇定員:     30名

  (尚、イベント内で撮影した写真を広報等で使用する場合があります。
     ご了解の上、お申し込みください。)
  お申し込み、お問い合わせは10月25日(金)午前中までに、下記へ。

     「平野郷を着物で歩こう!」実行委員会・事務局               
      平野東2-7-4、平野東商店街内「Coffee house アート」
      新井敦子(Tel.06-6792-2469)

                主催: 平野郷を着物で歩こう!実行委員会        
                後援: 平野の町づくりを考える会


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「大海鮨」さん ~平野のうまいもん・シリーズ

2013-10-21 | 平野うまいもん
   「大海鮨」さん ~平野のうまいもん・シリーズ

              

               

 大阪市平野区背戸口、(市営地下鉄・平野駅3番出口からすぐ)の「大海鮨」さん。
 たまには、ちょっと、小リッチにお寿司なんて、というときにぴったりのお店。
 お寿司が嫌いな人って、これまでの人生で聞いたことがない。
 今や日本人のみならず、世界の健康食として、SUSHIは万国共通語ですものね。
 大将と奥さんの心地良い、オモテナシを受けながら、新鮮なネタで頂く鮨はサイコーです。

 
              

              

              

              

              

              

              

              

               

(平野うまいもんシリーズは左カテゴリーの「平野グルメ」をクリックしてください。) 
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往馬大社・火祭り ~駆け抜ける炎の神事

2013-10-20 | 催事・イベント
   往馬大社・火祭り ~駆け抜ける炎の神事

              

 奈良県生駒市壱分に鎮座する往馬(生駒)大社。  
創立年代は不詳だが、大神神社や石上神宮と同様に、神奈備(かんなび)である生駒山をご神体として祀っており、最も古い記録では雄略天皇の御代にその名前が見られるというから1500年を超える古社である。
 その往馬大社で10月の第2日曜に執り行われるのが無形民俗文化財の「火祭り」である。

 まずは猿田彦(天狗)、獅子、神輿、稚児の宮入り。

              

              

              

              

              

              

               
          
 神社の氏子区域の村々が、南地区と北地区の二つに分かれて、競争しながら様々な神事を執り行っていく。
 これは神饌を手渡しで供えて、その早さを競う。

              
          
 御串にゴゴウシ(ススキの穂を束ねたもの)を相手よりも早く立てようと競う。

              

              

 続いて、巫女さん達によるお神楽の奉納。

              

              

 ベンズリ8人が袖をもってドドドッと前にくる“ベンズリのエビすくい”といわれる「ベンズリ舞」。
 千鳥足の舞が滑稽で、振付なのか加齢のためかは、よくわからない。

              

              
 
 祭りの熱気は「火取りの神事」によって最高潮に達する。
 燃えさかる松明を抱え走り抜け、大松明に刺さったススキの穂に火が移ると、大松明はあっという間に燃え尽き、祭りは一瞬にして終わりをむかえる。

              

              

 祭りを終え、神輿は急な石段を昇り、本殿へ向かう。
 


              

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「平野郷を着物で歩こう!」は10月27日(日)開催!

2013-10-19 | 平野を着物で歩こう!
   「平野郷を着物で歩こう!」は10月27日(日)開催!

              

 「第2回 平野郷を着物で歩こう!」が目前にせまってきました。
 10月27日(日)、大阪市平野区の平野本町にある全興寺の西門前に14時集合です。
 眠っている着物をお召しになって、秋たけなわの町を歩いてみませんか?
 

              

 着物は和装なら、何でもOK!
 現地での着付けを希望される方も、お気軽にお申しつけください。
 参加費は500円頂きますが、これは当日の運営費用と保険代とさせていただく他、参加された皆さんへの記念品代を含みます。
 その記念品とは、「平野郷を着物で歩こう!」のイベント・オリジナル絵葉書です。

              

              

              

 この絵葉書は不要になった牛乳パック紙などを粉砕したパルプ溶液に、イネ科植物のヨシを漉きこんだ再生紙を使っています。
 大和川流域に自生するヨシは水質を浄化する能力があり、環境保全に役立つといわれています。
 薄いベージュ色で独特の風合と手触り感、暖かな手作り感が特徴です
 本当に触っていただけないのが残念です。

              

              

 また、作成したのは、平野区加美の特定非営利活動法人もなか会「紙再生工房」の皆さん。
 障がい者福祉に携わる、「紙再生工房」さんの支援にも繋がります。


 今回のイベントのもうひとつの特徴は、“食欲の秋”にちなんで、「一口・食べ歩き」を組み込んだことです。

              

 (古代、新羅から渡来したという「あかる姫」伝説に由来した平野名物の焼き菓子“あかるちゃん・まころん”)

               
  
 (かつては蒟蒻の名産地だった平野の江戸時代から伝わる名物“平野蒟蒻”) 

 その他、商店街のご自慢の逸品を一口・食べ歩きします。

 更に、全興寺、長寶寺、大念佛寺を廻り、締めは「平野映像資料館」で昭和初期の映像を鑑賞、館主の松村長二郎さんのお話を聴きながら、“一刻(ひととき)の時空旅”を体感して頂きます。

 お誘い合わせの上、是非、ご参加ください。

 申し込み締め切りは10月21日(月)!!

 <申し込み・お問い合わせ>
 「平野郷を着物で歩こう!」実行委員会・事務局
  平野東商店街内「Coffee house アート」内

  新井敦子(Tel.06-6792-2469)
  



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やなせたかしさんを偲んで

2013-10-18 | 心の旅
    やなせたかしさんを偲んで

              

 「それいけ!アンパンマン」などの漫画や「手のひらを太陽に」の作詞で知られる漫画家のやなせたかしさんが13日に心不全のため天国に旅立たれました。
 94歳 でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
 「何か変だな。」と思っていた。
 先週末から、ふとした拍子に「手のひらを太陽に」の歌詞が何度も何度も脳裏をよぎっていた。
 「手のひらを太陽に透かしてみると、真っ赤に流れる、ぼくの血しお」
 これほど、命をイメージさせる詩はないと思っていた矢先だった。
 そうしたら、案の定だ。 
 私は妙に予感が的中するところがある。

              

 やなせたかしさんというと私には「アンパンマン」がヒットする以前に主宰されていた文芸誌「詩とメルヘン」の印象が強い。
 (そう言えば、童話を投稿したことがあったが見事にボツになった。)
 彼の暖かくて優しいイラストや詩に何度、励まされたことか。
 いつの間にか、写真にも人生にも影響を受けていたように思う。

              

 私には今、どうしても、励ましたい人がいる。
 彼の詩を贈りたいと思います。

              



心と心がふれあって
なんにもいわずにわかること
ただそれだけのよろこびが
人生至上の幸福さ
たったひとりで生まれてきて
たったひとりで死んでいく
人間なんてさびしいね
人間なんておかしいね



絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい誰ですか」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は希望です」



ほほえむことを
わすれちゃいけない
なみだは いまも
ながれているが
すぎてしまえば
いまは むかし
おもいだしちゃいけない
かなしいことを



 (やなせたかし作)
  詩は他のサイトからの転載です。
https://twitter.com/yanase_bot  他多数のサイト


              

    あの人の笑顔さえ
    遠くなってしまったけれど
    想い出は夕焼け色
    心の何処かで
    いつも
    微笑んでるよ
 
             

    (これは、あずき煮えたの駄作でした)


              


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「菟田野みくまり祭」は10月20日開催

2013-10-17 | 催事・イベント
  「菟田野みくまり祭」は10月20日開催

              

 奈良県宇陀市菟田野の「菟田野みくまり祭」は水分信仰の中心、惣社水分神社と宇太水分神社の間でおこなわれる祭礼で、1200年余りの歴史をもつ祭りである。
 水分(みくまり)は、水配り(みくばり)の意味で、収穫を終えた秋の中頃、10月第3日曜(今年は20日)に御渡りと水分神社の祭礼が執り行われる。
 御渡りは惣社水分神社から御輿を中心に毛槍花籠、御輿大鼓などをしたがえて宇太水分神社へ往復12kmの道を時代行列が続く。
 時代装束に身をかためて随行するお供の数は200人にもおよび、御渡りの行列は大名行列を見るように壮観だ。

 崇神天皇の時代の創祀とされる国宝の本殿。
 本殿(三社造)は一間社隅木入り春日造り、水分連結造りの古型で、外部の朱塗り部分には極彩色が施され、壁板にも花鳥風月が描かれている。

              

年に一度、宇太水分神社の男神の速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)に会うため、惣社水分神社の女神である速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)が神輿(みこし)に乗って宇太水分神社にやって来る。

              

              

              



太鼓台6台や子ども御輿が合流し、宇太水分神社境内になだれ込み、祭りは最高潮に達する。
 


              

              

              

              

 お渡りと神輿が到着した。

              

              

               

 かわいい乗り子さんたち。影の主役だね。お疲れさん!


              

              

               

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富田林・寺内町 3 ~“花嫁行列”

2013-10-16 | 催事・イベント
   富田林・寺内町 3 ~“花嫁行列”

             

 寺内町で明治から昭和30年代頃まで多く行われていた、自宅での婚礼を再現するイベントが開催された。
 田守家から嫁ぎ先の田中家までの道のりを“花嫁行列”がゆく。
 この日、午後4時頃、田守家で準備を整えた花嫁行列一行は近隣の住民(殆ど、観光客だが)が祝う中、婚礼会場の田中家に向けて出発した。
 先導役は雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)と呼ばれる酌人を務めるお嬢ちゃん。
 ちょっと、緊張してるかな!?

             

 花嫁さんも緊張してるのか、ちょっと表情が固い。
 これは、もちろん、模擬結婚式で、市の職員さんたちが演じているそうだ。

             

             

             

             

             

             

             

 花嫁行列は嫁ぎ先である、田中家住宅に到着した。
 和の作法にのっとって、花嫁親族が一行を迎える。
 「日本の礼」を尽した昔の婚礼風景が、そこにあった。

             

             

             

 まさに「着物で歩こうイベント」の進化形といった感じ。
 カメラマンが群がり、交通整理役のスタッフは大変である。
 スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
 行列の先廻りをして、走りながら撮影した私も疲れました。


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富田林・寺内町 2 ~古の街並み散歩

2013-10-15 | 旅行
  富田林・寺内町 2 ~古の街並み散歩

             
              

 富田林・寺内町は1558年(永禄元年)、証秀上人によって創建された興正寺別院を中心として誕生し、商売の盛んな在郷街へと発展した。
 現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財の旧杉山家住宅、仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されている。
 また、大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

              

              

                            

 女流天才歌人といわれた石上露子の生家「旧杉山家」。
 代々、造り酒屋を営んだという。

              

 伝統的建物の整備はもちろん、歴史的な地域資源を活かした、イベントや魅力的なお店など、町の活性化は着々と実を結んでいるようにみえる。
 
              

              

              

              

              

 富田林も地車祭りの町。

              

 鬼瓦や鍾馗様が目を引く。

              

              

              

               

 「虫籠窓(むしこまど)」に「煙出し」。街並みの文化と暮らしぶりを垣間見る。

              

 防犯用の「忍返し」。

              

 この町から旧高野街道や旧千早街道が伸びていた。

              

 町のどこからも、ひょいと目を移すと「PLの塔」が飛び込んでくる。
 ちょっと、異様だ。

              

 「富田林駅南地区まちづくり協議会」は空き家活用やイベントなどを通じて、歴史的な地域資源を活かした町づくりに取り組んでおられる。

 ホームページはこちら ⇒ 「富田林駅南地区まちづくり協議会」
 

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富田林・寺内町 1 ~「後(のち)の雛まつり」

2013-10-14 | 催事・イベント
   富田林・寺内町 1 ~「後(のち)の雛まつり」

              

 10月12日、富田林・寺内町(じないまち)では、“古い町並みを彩る菊花とお雛さま”と題して、「後の雛まつり」が開催された。
 この行事は江戸時代、関西を中心に重陽の節供(旧暦9月9日)に行われたと伝わっている。
 菊花とお雛様(親王様だけ)を飾ったことから、別名「菊雛」ともいう。

              

              

              

              

              

              

              

                 

     
 今回、初めて「被せ綿(きせわた)」というものを知った。
 前夜に菊の花に真綿を被せておき、その真綿に菊の花に降りた露を染ませて、肌を拭うと美しさや健やかさを得られるという。
 何とも、優雅で上品な習慣である。


              

              

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「漆(うるし)のヤマカ」と「紙再生工房」のコラボは実現するか!?

2013-10-13 | 平野の元気もん
  「漆(うるし)のヤマカ」さんと「紙再生工房」さんのコラボは実現するか!?

 「伝統工芸の“漆”から、あたらしい“うるし”へ!」をコンセプトに、漆の家庭での消費拡張にも力を入れ、日本伝統の漆文化継承に取り組んでいる会社が平野にある。
 平野区西脇の㈲ヤマカさんである。

              

              

 「人生とともに歩めるのが漆工芸のよさ。時間をかけるほどよくなり、生活の中にぜひ取り入れてほしい」と山田嘉一社長はおっしゃられている。
 漆はウルシ科植物の樹液を精製した天然塗料で、一本の木から採れる樹液は200g程度という希少品。
 顔料を配合し、鉄分を含ませて酸化させることなどで、赤・黒の色みを出していく。
 防水性や防腐・殺菌効果が高く、キズが付きにくいのが特徴。
 化学塗料にはない独特の温かみをもっている。
 漆塗装商品はアレルギーやシックハウス対策にもなる。

 創業76年のヤマカさん、社内の作業所には年期の入った漆配合設備が展示されている。

              

              

 うるし屋、発祥の地は江戸時代の大坂だといわれている。
 綿々と受け継がれてきた伝統と技術を有する㈲ヤマカさんだが、大きな課題も抱えている。
 それは、安価で扱いやすい、そして早い、吹き付けの化学塗料に押されて、このままでは漆業界全体が衰退してしまうということだ。
 海外では「うるし」はJAPANと呼ばれるほど、日本古来からの伝統文化であった。
 日本の心ともいうべき、伝統技術を何とかして、未来へ受け継がれないものか。
 
 ヤマカさんは住宅建材として、漆を用いたフローリング“YamakaDraw”とうるし腰壁を提案している。

              

 また、伝統文化の継承を踏まえ、未来ある子どもたちに漆文化を伝え届けようと考えている。
 「漆はかぶれる」という固定観念があるが、扱い方さえ誤らなければ、かぶれることはないという。
 もちろん、硬化乾燥したもので、かぶれることは全くない。

 ヤマカさんはフローリング以外でも、既成のアイテムを超えて、あらゆる分野で“漆”の挑戦を続けている。

              

              

              

 そんな平野のオンリーワン企業である㈲ヤマカさんを私が取材したのが、9月末のことだった。
 これからの漆の取り組みとして、鞄など革製品の代用、或いは「和紙」の活用に山田社長が着目されていることを知った。
 そこで閃いたのが、特定非営利活動法人もなか会「紙再生工房」さんとのコラボである。
 新たなる分野への取り組みや平野ブランドのストーリー性を求める両者のコンセプトもぴったりだ。
 現在、紙再生工房の前橋所長と私は例の“絵葉書制作のCB”でタッグを組んでいるので話は早い。
 双方の意向が同じなのを確認して、早速、お二人のお引き合わせを実現した。

              

              

 その場で話し合われたことは企業秘密なので、公開できないが、もしそれらの製品化が実現すれば、革命的なものになると感じた。
 もちろん、それまでには長い時間をかけての試行錯誤を要するだろうが、私はそれらが実現すると確信している。
 そのとき、少しでもお手伝いできたことを誇りに思いたい。
 

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