北嵯峨野・逍遥・秋景色
喧騒を逃れて、の~んびりを味わうために嵯峨野に来たのに、ここでまた、喧騒に巻き込まれたくない。
だから、所謂、嵯峨野のメインストリートには、ここ何年も足を運ばないようにしている。
必然的に北嵯峨野界隈をうろつくことになる。
このあたりの秋の風情には癒される。
化野念仏寺の参道に積もる落ち葉。
今回はこちらの念仏寺ではなくて、愛宕念仏寺へと向かう。
北嵯峨野・逍遥・秋景色
喧騒を逃れて、の~んびりを味わうために嵯峨野に来たのに、ここでまた、喧騒に巻き込まれたくない。
だから、所謂、嵯峨野のメインストリートには、ここ何年も足を運ばないようにしている。
必然的に北嵯峨野界隈をうろつくことになる。
このあたりの秋の風情には癒される。
化野念仏寺の参道に積もる落ち葉。
今回はこちらの念仏寺ではなくて、愛宕念仏寺へと向かう。
風の面影 ~嵯峨野さやさや直指庵 ②
振り返ってみると、大切な人は必ず、お連れしたお寺。
それが、北嵯峨野の直指庵だったような気がする。
昔は喧騒の嵯峨野の北のはずれにポツンと立つ、人の気配すらしない一軒家の茅葺の庵だったと記憶するのだが、久し振りに徒歩で訪ねてみると、いつの間にか途上に新しい住宅が増えたような。
それでいて、門をくぐると、やっぱり、昔通り、空気が和らぎ落ち着いた雰囲気に満ちて、吹き渡る風さえも優しい。
「嵯峨野 笹の葉 さやさやと」とは、「さ」で始まる見事な表現だと思う。
今回は一人で訪れたせいか、かつて、お連れした人たちのことを風が吹くたび、思い出した。
嵯峨野さやさや直指庵 ① ~煌めく紅葉の隠れ寺
静かな竹林の中に密やかに佇む直指庵(じきしあん)は、正保3年(1646年)独昭性円(どくしょうしょうえん)が黄檗宗・禅の教え「直指人心(じきしにんしん / 自身の内面を直視し、本当の自分を把握すること)を旨として北嵯峨野に創建した草庵。
紅葉の休日ともなれば、雑踏と化す嵯峨野だが、観光中心地から、わずか30分ほど北へ外れるだけで静寂に包まれた庵に辿り着く。
かつて、女性のフォークデュオ "たんぽぽ"の名曲「嵯峨野さやさや」の中で、歌い込まれていた「想い出草」と言う旅人のノートがあった。
まるで、悩みを置き去るように旅人たちに綴られ続けたノートもコロナ禍のなか、あのころの想い出とともに何処かに封印されたままである。
嵯峨野・厭離庵(えんりあん)・時雨亭 ~紅葉のころ
藤原定家が小倉百人一首を編纂したと伝わる「時雨亭」がある嵯峨野の厭離庵(えんりあん)。 〈諸説あり〉
紅葉時だけ公開されるという小さな隠れ寺である。
最初、「厭離庵」と聞いて、世を捨てた厭世家の庵かと勝手に思っていたが、「厭離」という言葉には「飽きることが無い」という意味があるそうだ。
この看板、ただのポスターかと思って通り過ぎた。
ところが、エントランスはこの路地裏の奥深くにあった・・・。
到達するのにグーグルマップを使うなかれ。
正面口でさえ、路地裏の奥にあるのに、わざわざ、猫が通るような遠まわりの裏道を教えられる。
小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉(続後撰418)
【通釈】小倉山に時雨が降る頃、周囲の紅葉は朝ごとに濃くなってゆき、昨日見た美しい色も、これに比べれば薄かったのだと気づく。
瀬田川沿いの霊場 ~石山寺から立木観音
石山寺の仁王門と仁王像。古色蒼然たる重厚さを感じる。
石山寺を後にして、瀬田川沿いに鎮座する立木観音へ。
平安時代前期、瀬田川の対岸に光り輝く霊木を発見した弘法大師が、急流のため渡れないでいると、突然白い鹿が現れて弘法大師を背中に乗せて岩の上を跳んで渡ってくれた。
そして、川を渡って霊木の前まで来ると白い鹿は観世音菩薩に姿を変えた。
観世音が導いてくれたことに感激した弘法大師は、立木に等身大の観音像を刻み、建立したのがこの寺であるといわれている。
弘法大師が観音像を刻んだのが厄年の42歳であったといわれることから、古くから立木観音は厄よけ観音として広く親しまれている。
前の道路を走るたび、気になっていた観音さんにやっと、参詣した。
山門前の長い階段は約800段ある。
なあんの、軽い軽い、ひとっ跳びと思っていたが、途中で息切れした。
紫式部と紅葉 ~錦繍の石山寺 ③
紫式部が源氏物語を書くため、石山寺に籠り、筆をとっていたとは知らなかった。
煌びやかな錦繍の石山寺の風景は貴族生活を送る光源氏の煌びやかな恋愛事情の着想に大いに役立ったろう。
山茶花が次の出番を待ちきれないように咲きだした。
季節はめぐる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
光陰の紅葉 ~錦繍の石山寺 ②
木漏れ陽が光線となり、心経堂の屋根庇との僅かな隙間に差し込むあたり、見事な光陰の紅葉を創り出していた。
多くの方がいらしていたが、そんな部分的な撮影ポイントには気づかないようだった。
そもそも、写真を「写す人」と「撮る人」は視点が違うのだろう。
一箇所で長い間、カメラを掲げて見上げているものだから、変な人と思われたかもしれない。確かに変な人だが。
錦繍の石山寺 ① ~硅灰岩と紅葉
近江八景「石山の秋月」で知られる大津市の石山寺は琵琶湖から流れ出る瀬田川畔の硅灰岩の山に建つ寺院。
硅灰石は石灰岩が高温マグマによって熱変成したもので、この光景が霊地とされ石山寺の名前の由来となった。
石山寺は西国三十三所観音巡り第十三番札所、ご本尊は秘仏の「勅封二臂如意輪観世音菩薩(ちょくふうにひにょいりんかんぜおんぼさつ)」であり、平安時代には石山詣が流行したことがあるという。
紫式部が源氏物語の構想を練ったのもこの石山寺だった。
国宝の多宝塔は高さが17メートルあり、建築された年代が判明している多宝塔としては日本最古のものとなる。
紅葉のグラデーション ~奈良公園・秋景 ②
紅葉の美しさは赤や黄の単色だけではない。
実は様々な色で構成されているから美しいのだ。
それは人にも言えるのかもしれない。
紅葉のグラデーションを見ていると、それがわかる。
光を浴びて透ける紅葉がより艶やかだ。
黄金色のプロムナード ~奈良公園・秋景 ①
すっかり秋の装いに身を包んだ奈良公園。
いつもの散歩コースだが、黄金色はいつもに増して、鮮烈に感じる。
<番外編>近隣散歩
大仏鐡道の遺構。
わいわいフェスタのテーマ「Y.Y.F.T」~秋空高く高らかに
「Y.Y.F.T」は吉野悦世さん、中村美優さんという絶妙のデュオによる「長原東わいわいフェスタ」のテーマ曲として歌われているが、今回はオープニングに登場である。
「Y.Y.F.T」は西城秀樹さんの名曲「Y.M.C.A」を長原東用に補作詞した、いわゆる替え歌であるが少し、歌詞の解説。
地域活動の運営は実質的に高年の方が担っている場合が多く、多くの地域が若い担い手の出現を心待ちにしている。
その願望を歌ったのが、1番である。
これに対し、2番は地域が抱える ”高齢者課題” である。
長原東地域は特に高齢化が顕著な地域で、高齢独居世帯も多く、孤独死事例や引きこもり老人対策などの課題も多い。
「声をかけあうこと」、「つながること」、「ささえあうこと」は何より大切だ。
また、「地域はひとつだ。」は地域が抱える過去の経緯にも、さりげなく触れている。
そして、何度もリフレインするのは、「ちから合わせ、住みよいまち、みんなでつくるのさ。」という目標。
そんな想いが詰まっていることを感じながら、聴いていただくのも一興かと。
第5回わいわいフェスタの会場風景。
わいわいフェスタ・悦世&美優 on ステージ feat. 常磐会吹奏楽団
第5回目となる「長原東わいわいフェスタ」のMC兼シンガーで歌唱力抜群、息もぴったりの吉野悦世さんと中村美優さん。
そこに常磐会吹奏楽団(常磐会大学、短期大学吹奏楽部とOBから編成)とのコラボまで聴けるのだから、これはほんとに贅沢だといっていい。
「ふるさと」、そして、「街 ~長原ヴァージョン」名曲を続けてどうぞ。
平野環濠跡・清掃 ~集い(gathering)のイベント
11月5日、今年も平野イブニングロータリークラブ主催 「平野環濠跡清掃」の日がやってきた。
自治都市・平野郷の遺跡として一部だけだが、現存している環濠跡と周辺公園の清掃は日頃から有志の手によって実施されているが、唯一この日、ボランティアを募っての大々的な清掃活動が行われるのだ。
私 もずっと、参加させていただいているのだが、いつの間にか自分の中では、ここに行けば懐かしい皆様と再会できるという「集い (gathering) のイベント」となっている。
清掃だけが目的でないことは申し訳ないのだが。
くまたん(杭全神社のマスコット)も参加!?
彼は熊本の”くまもん”より、先輩である。
受付には、みーちゃんも。
恒例だが区長も参加される。
杭全神社は七五三の季節。
悦世 & 美優 ステージ ~平野西・敬老会
11月3日、平野西小学校において、平野西地域活動協議会主催「敬老会」が開催された。
地域の多くの方が来場され、平野中学校吹奏楽部や昔の映写会などを楽しまれた。
なかでも、総合司会の吉野悦世さん、中村美優さんのステージに皆さん、聴き入っていらっしゃったようだ。
和太鼓とガムラン ~平城京天平祭・みつきうまし祭り ②
奈良朱雀・奈良商工高校の和太鼓「秋篠」。
勇ましい和太鼓。若いパワーが弾けるようだ。
インドネシアの芸能『ガムラン演奏&舞踊』。
平城京に舞い降りた天女の煌びやかな舞に酔う。