ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

「2024 ワンダースターのゆく年・下半期」 ~セレクト100Shots・能登に向けて

2024-12-31 | 心の旅

「2024  ワンダースターのゆく年・下半期」 ~セレクト100Shots・能登に向けて

 半期のインスパイアShotsです。画像クリックで記事にジャンプします。

  7月 虫送り

   7月 平野郷夏まつり

   8月 大塚国際美術館

   8月 母一周忌

   9月 能登災害復興ボランティア①

  9月 能登災害復興ボランティア②

 番外編「チーム THE HIRA-NOTO」結成へ

  10月 日本のベニス 内川

  10月 氷見線

  11月 東大寺参詣

  11月 長谷寺

  11月 神護寺

  12月 室生寺

  12月 秋篠寺

  12月 大阪公立大学附属植物園

 2024 下半期セレクト100SHOTS

 

 あっという間の一年。時の流れの加速度は更に増して、目まぐるしいほどです。

 何もなかったような一年だったけど、こうして振り返ると、いろいろあったなあというのが実感ですね。

 皆さんは如何でしたか。

 本年もお世話になり、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

 

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「2024 ワンダースターのゆく年・上半期」 ~セレクト100shots 銀河トンネルを超えて 

2024-12-30 | 心の旅

「2024 ワンダースターのゆく年・上半期」 ~銀河トンネルを超えて  セレクト100shots

  上半期のインスパイアShotsです。画像クリックで記事にジャンプします。

       1月 亀の瀬トンネル

      2月 堂島お水汲みまつり                                                                                       

      2月 神戸ルミナリエ                                                  

   3月 春日大社・御田植神事

   3月 淀・河津桜

   3月 山科隋心院・はねず踊り

   4月 専称寺・枝垂れ桜ライトアップ

   5月 下鴨神社    斎王代 

   5月 大念佛狂言 

    5月 友ヶ島

   5月 岩手県八幡平ドラゴンアイ

   5月 宮城県石巻市の石ノ森章太郎記念館

       5月 宮城県石巻市震災遺構

   6月 明日香村 岡寺

   6月 池田市久安寺

  上半期セレクト100SHOTS

  

  下半期セレクト100SHOTSに続く。 

 

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レノン忌に寄せて ~今年は『Nowhere Man』、『War is Over!』

2024-12-09 | 心の旅

レノン忌に寄せて ~今年は『Nowhere Man』、『War is Over!』 

 

 12月8日は44年前にジョン・レノンが凶弾に倒れた日。

    奇しくも日米開戦の日である。

    ワンダースターでは毎年、この日にレノンに纏わる記事を書くことにしている。

 

   毎年、12月8日になると上記の常套句を用いて、レノンに纏わる記事を書くのが常であった。

  ところがである。仕事帰りの電車の中で『Yesterday』を忘れていたことに気づく。

  慌てて、この記事を書こうとする私の脳裏を過るのは『Nowhere Man』。

  まさに今の私にぴったりだ。

  必要以上に誰かとつるむより、孤独と向き合う方がよいと強がっていた自分とも、もう、おさらばだ。

 

     レノンが亡くなって数年後、オノヨーコと息子のショーンが訪れたという嵯峨野の直指庵。

 

 被団協のノーベル平和賞受賞、おめでとうございます! 道は更に厳しいけれども。

 ''戦争を終わらせるのは簡単さ。あんたが本当にお望みならばね・・・''     ジョンレノン


詩人が遺した言霊・谷川俊太郎 ~「生け花展」の花を添えて

2024-11-29 | 心の旅

詩人が遺した言霊・谷川俊太郎 ~「生け花展」の花を添えて

 

 

  生きる        谷川俊太郎

 生きているということ
 いま生きているということ
 それはのどがかわくということ
 木もれ陽がまぶしいということ
 ふっと或るメロディを思い出すということ
 くしゃみすること
 あなたと手をつなぐこと             (一部抜粋)

 

 

  

 

   二十億光年の孤独       谷川俊太郎

 万有引力とは
 ひき合う孤独の力である
 
 宇宙はひずんでいる
 それ故みんなはもとめ合う          (一部 抜粋)

 

 

 

 

  

 

    ありがとう     谷川俊太郎

 花ありがとう

 今日も咲いていてくれて

 明日は散ってしまうかもしれない

 でも匂いも色ももう私の一部

 お母さんありがとう

 私を生んでくれて

 口に出すのは照れくさいから

 一度っきりしか言わないけれど          (一部 抜粋)

 

 

 

   

 

    ふくらはぎ        谷川俊太郎

 俺はおとつい死んだから

 もう今日に何の意味もない

 おかげで意味じゃないものがよく分る

 もっとしつこく触っておけばよかったなあ

 あのひとのふくらはぎに              (一部 抜粋)  

 

 

 

 

     

    闇は光の母       谷川俊太郎

 闇がなければ光はなかった

 闇は光の母      

 光がなければ眼はなかった

 眼は光の子ども

 眼に見えるものが隠している

 眼に見えぬもの                 (一部 抜粋) 

 

 

 

      死んだ男の残したものは        谷川俊太郎

 死んだ男の残したものは
   ひとりの妻とひとりの子ども
   他には何も残さなかった
   墓石ひとつ残さなかった

    死んだ兵士の残したものは
 こわれた銃とゆがんだ地球
 他には何も残せなかった
 平和ひとつ残せなかった

 (一部 抜粋)

  

 

   ここ        谷川俊太郎

 どっかに行こうと私が言う

 どこ行こうかとあなたが言う

 ここもいいなと私が言う

 ここでもいいねとあなたが言う

 言ってるうちに日が暮れて

 ここがどこかになっていく
 
 
 
  
 
   さようなら      谷川俊太郎
 
 ぼくもういかなきゃなんない 
 
 すぐいかなきゃなんない
 
 どこへいくのかわからないけど
 
 さくらなみきのしたをとおって            (一部 抜粋)
 
 
  
 
  
 
 

 夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった

 

 これまで、ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

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高石ともやさんを偲んで  ~「私に人生と言えるものがあるなら」、そして、「街」

2024-08-22 | 心の旅

高石ともやさんを偲んで  ~「私に人生と言えるものがあるなら」、そして、「街」

 

 高石ともやさんのご訃報に接し、心よりご冥福をお祈りします。

 「受験生ブルース」の時代は全く知りませんが、1980年代、全国各地のYHを使って旅するようになってから、各地で歌われている歌を通じて、高石ともやさんを知るようになりました。

 特に「街」は北海道から沖縄まで各地の替え歌となり旅人によってご当地ソングのように歌われていたのが印象深いです。

 私も最近、勤務地域にて、「街」の替え歌を作ってみました。

 8月17日、病気のため死去。82歳でいらっしゃいました。

 

 

1960年代後半の日本のフォークソングの創世期以来、2020年代まで現役フォークシンガーとして活動し、また、マラソンランナーとしても活躍した。1960年代後半、全国各地でメッセージ・フォークを歌い、「受験生ブルース」などの話題作も発表。1970年代に入り、ブルーグラスやトラディショナル・フォーク、日本の民謡などを歌い始める。ザ・ナターシャー・セブンとして活動の他、宵々山コンサートを始める。

                                                      (ウイキペディアより)

 

  

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エッセイ「 ‟どんどこ” が聞こえる。」 ~初盆と「三丁目の夕日」

2024-08-15 | 心の旅

エッセイ「 ‟どんどこ” が聞こえる。」 ~初盆と「三丁目の夕日」

 

 

母は毎朝、家族の誰よりも早く起きて、家事にドタバタとしていた。

当時、団地住まいの家で私の部屋は台所の真横だったため、毎朝、このドタバタで目覚めることになる。

このドタバタが  “どんどこ”  に聞こえたのは母が偏平足で床を踏むためだった。

また、私の寝床はベッドではなくて、畳に布団というスタイルだったため、床の振動が直に鼓膜に響いたせいらしい。

とにかく、この  ‟どんどこ”  が当時、目覚まし時計の代わりにもなっていた。

母は専業主婦だったわけではなく、家族が出ていったあともパートや勤めで忙しかったのに、私が帰るころには夕餉の支度にも抜かりなかった。

毎度毎度の食事の支度に感謝しながらも、いつかは恩返ししなければと朧気ながら思っていた。

 

あれから、幾星霜。

両親と何十年か振りに同居することになった。

両親の老衰は日毎に進行していく状態だった。

長い闘病の末、父を見送ると同時に母の急激な衰えも顕著になってきた。

それでも、すぐにドタバタと動く性格故、家の中で何度か転倒と骨折を繰り返し、ついには要介護4(殆ど寝たきり状態)となった。

いつの間にか、毎朝のドタバタも私がやるようになっていた。

そして、気がつくと、私も ‟どんどこ”  と床を踏んでいた。

私も偏平足だったのだ。

夜中に下の世話や錯乱のため何度も起こされるので殆ど眠れない日が続いていた。

仕事しながらの介護生活は果てしなく続くように思われた。

 

今朝方、ベッドの中でまどろんでいると、久々に  ‟どんどこ”  が聞こえたような気がした。

初盆の朝を迎えていた。

仏壇に手を合わせると母はいつものように穏やかに微笑んでいた。

 

                               (あずき煮えた)

 

   

 

 久々に西岸良平先生のコミック「三丁目の夕日」を読んだ。

 雑誌サライ7月号の付録に「三丁目の夕日」の特別編集本が付いていたのだ。

 コミック本は殆ど読まない私だが、「三丁目の夕日」だけは別で断捨離の際にも、捨てきれずに未だに何冊か保有している。

 

 懐かしい昭和のアイテムが幾つも登場し、郷愁を誘いながらも、どこかに忘れてきたような、ほろっとした人情を思い起こさせる。

 「ALWAYS 三丁目の夕日」として映画化もされた。

 「ALWAYS」という言葉には、「いつまでも変わらないもの、いつまでも変えてはいけないもの」といったメッセージが込められているそうだ。

 「 ‟どんどこ” が聞こえる。」は、「三丁目の夕日」の読後に書いたエッセイなので、そのインフルエンスが多少、あるかもしれない。

 

  

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母・一周忌に寄せて ② ~絵画は生きた証

2024-08-07 | 心の旅

母・一周忌に寄せて ② ~絵画は生きた証

 

 母はいつも働いているイメージがある。

 家事に内職に勤めに奉仕活動に介護に・・・と。

 それでいて、これほどの絵画を遺しているとは思わなかった。

 死んで初めて目にする俳句や絵画の数々にただ驚くばかりだ。

 私はこの人をほんとは知らなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 昨年掲載の絵画

 

 

   

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母・一周忌に寄せて ① ~在りし日を偲ぶ3句

2024-08-05 | 心の旅

母・一周忌に寄せて ① ~在りし日を偲ぶ3句

 朝、出社の道すがら、いつものように、街角あちこちで、ヘルパーさんが利用者さんに寄り添うようにして、デイサービスのお迎えの車に乗車させている光景を目にした。

 「嗚呼、もう一年経ったのか」と感慨深い。

 私たちも昨年の今頃まで、ずっと、お世話になっていた光景だ。

 要介護4の母を見送って、このたび、早や、一周忌を迎えることと相成った。

 追悼の意を込めて、昨年に続き母の作った3句をビジュアル化してみた。

 

 『 妖艶な 能の小面(こおもて) 月に舞う 』

 

 『 老いてなほ 夢果てしなし 青き踏む 』

 

  『 風立ちて 蒲公英絮(たんぽぽわた)の舞い遊ぶ 』

 一年かけて、遺品整理に励み(まだまだだが)、漸く、家で法要を営むことができた。

 今回は何処かの会場ではなく、両親が終の栖とした「家で」、法要を営むことに拘った。

 両親それぞれの作品に囲まれての展覧会のような法要、それが、せめてもの親孝行かと思ったからだ。

 酷暑のなか、俳句会でお仲間だった皆さんにもお参りいただいて、感謝しきりである。

 この3年間に両親を相次いで見送ったが、「よく生きていく」ことの意味を改めて噛みしめる朝である。

 

 エッセイ「 ”どんどこ” が聞こえる」

   

母は毎朝、家族の誰よりも早く起きて、家事にドタバタとしていた。

当時、団地住まいの家で私の部屋は台所の真横だったため、毎朝、このドタバタで目覚めることになる。

このドタバタが  “どんどこ”  に聞こえたのは母が偏平足で床を踏むためだった。

また、私の寝床はベッドではなくて、畳に布団というスタイルだったため、床の振動が直に鼓膜に響いたせいらしい。

とにかく、この  ‟どんどこ”  が当時、目覚まし時計の代わりにもなっていた。

母は専業主婦だったわけではなく、家族が出ていったあともパートや勤めで忙しかったのに、私が帰るころには夕餉の支度にも抜かりなかった。

毎度毎度の食事の支度に感謝しながらも、いつかは恩返ししなければと朧気ながら思っていた。

 

あれから、幾星霜。

両親と何十年か振りに同居することになった。

両親の老衰は日毎に進行していく状態だった。

長い闘病の末、父を見送ると同時に母の急激な衰えも顕著になってきた。

それでも、すぐにドタバタと動く性格故、家の中で何度か転倒と骨折を繰り返し、ついには要介護4(殆ど寝たきり状態)となった。

いつの間にか、毎朝のドタバタも私がやるようになっていた。

そして、気がつくと、私も ‟どんどこ”  と床を踏んでいた。

私も偏平足だったのだ。

夜中に下の世話や錯乱のため何度も起こされるので殆ど眠れない日が続いていた。

仕事しながらの介護生活は果てしなく続くように思われた。

 

今朝方、ベッドの中でまどろんでいると、久々に  ‟どんどこ”  が聞こえたような気がした。

初盆の朝を迎えていた。

仏壇に手を合わせると母はいつものように穏やかに微笑んでいた。

 

                               (あずき煮えた)

   

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「寒咲き花菜」の咲く頃  ~『春を待つ手紙』

2024-01-19 | 心の旅

 「寒咲き花菜」の咲く頃 ~『春を待つ手紙』
 
  湖岸を吹き渡る風は冷たさを増すばかりだが、遠くで春の足音を感じたような気がした。
  寒咲きの菜の花(カンザキハナナ)が咲く頃、また、この歌が聴きたくなる。 
  「人間だから求めてしまうけど・・・ 」

      ~被災地の皆さん、春は必ず、やってくる。私もそれを信じて頑張ります。(春待ち人)


  

  


          


          

          

          

          

          


         春待人

    薄氷のせせらぎがコトコトと
    穏やかなまどろみを起こします

    キッチンには君がいて
    コトコトと朝仕度の音が聞こえます

    僕はまだ半分、夢の中さ 
    一面の菜の花畑が広がる

    もうすぐ、二人が待ち焦がれた季節がくる


    穏やかな陽だまりでコロコロと
    何気ない幸せが揺れています

    お揃いのカップを並べて
    コロコロ笑う君は、とても楽しそうです

    昨日の涙は忘れたんだね
    一面の菜の花畑が広がる

    もうすぐ、二人が待ち焦がれた季節がくる


                  (by あずき煮えた)


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「舟唄」に寄せて  ~追悼 八代亜紀さん   

2024-01-09 | 心の旅

「舟唄」に寄せて   ~追悼 八代亜紀さん   

 

 大晦日の夜、留萌(るもい)本線、増毛(ましけ)駅前の小さな居酒屋。
 故郷である雄冬に帰るべく、増毛までやってきた男。
 陸の孤島と云われる雄冬へは、ここから船に乗らなければならないが、生憎の時化のため、欠航。
 彼は仕方なく、この小さな居酒屋「桐子」で年越しをする羽目になる。
 店のおかみさん、倍賞千恵子相手に猪口を傾ける高倉健。
 店には彼等の他、誰もいない。
 行き場を失い、心に風穴を開けた二人の男女が互いの孤独を埋め合うように寄り添う。
 テレビでは紅白のトリ、八代亜紀が「舟唄」を唄っていた。

 窓の外は雪、雪、雪。
 「舟唄」がしみいるような北の冬景色である。  (駅STATIONより)

 

 それまで、POPSやフォークばかり聴いていた少年のころ、この映画を見て、初めて演歌の素晴らしさを知った。

 八代亜紀さんのご冥福を心よりお祈りします。

 (TOP画像をクリックしてください。) 

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ワンダースターのゆく年 ② ~2023後半100Shots

2023-12-31 | 心の旅

ワンダースターのゆく年 ② ~2023後半100Shots

 

 2023後半100Shotsフォトチャンネル

   本年後半に入り、8月に母を亡くすという波乱のスタートとなった。

 当初は何もする気が起こらないというのが本当のところだったが、それでも続けることができたのは皆さんのお蔭と感謝しています。

 宇治植物公園、加美だんじり、祇園祭り、尊陽院、聖天さん、天平祭、奈良バサラ、坂本、世尊寺、亀岡、猪木展と続くが、後半のハイライトは10月の信州・白馬と12月の鎌倉。

 いずれも鎮魂の旅だった。

 本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。

 よいお年をお迎えください。

 

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ワンダースターのゆく年 ① ~2023前半100Shots

2023-12-30 | 心の旅

ワンダースターのゆく年 ① ~2023前半100Shots

 

100Shotsフォトチャンネル

 今年は母と最期の初詣(海住山寺)に始まって、宇陀方面、陀ヶの鬼走り、しまなみ海道、鞆の浦、飛鳥路、鈴鹿、三岐鉄道、天理、広陵、原谷苑、京都サイクリング、南山城など各地を駆け回った感があるが、何といっても前半のハイライトは5月の宮古島だったように思う。

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母に捧げるビートルズ ~レノン忌に寄せて

2023-12-08 | 心の旅

母に捧げるビートルズ ~レノン忌に寄せて

 

    12月8日は43年前にジョン・レノンが凶弾に倒れた日。

    奇しくも日米開戦の日である。

    ワンダースターでは毎年、この日にレノンに纏わる記事を書くことにしている。

 

  ジョンとポールが意気投合したきっかけの一つに、思春期に「母を亡くした」という共通項があったという。

  私事で恐縮だが、私も思春期ではないが今夏に母を亡くしたので、彼等の楽曲の中から母に捧げる曲を拾ってみた。

「Julia」

  タイトルの「ジュリア」とは、ジョンの母親の名前。

  亡き母を想う歌であるのと同時に、歌詞には「Ocean Child」(=洋子) とあるように、当時恋人だったオノ・ヨーコに捧げる歌でもあると言われている。 

「In my life」

  想い出の場所は若き両親に包まれて過ごした、故郷とあの時間。

  ジョンが母を想って創ったという人がいる。

   PlacessとMomentsには様々な想い出が詰まっている。

 でも、想い出に立ち止まってるばかりじゃない。

「Yesterday」

  かの名曲「イエスタデイ」は恋人との別れを歌った歌であると思い込んでいたが、「気づかぬうちに母との突然の死別の悲しみを擦り込んでいた」とポール本人が後年、語っている。

  母を失った喪失感を歌った楽曲だったのだ。

  Why she had to go
   I don't know she wouldn't say

  救急搬送されたときには舌が絡まって、呼吸が乱れていた。

  よくあることなので、すぐに落ち着くものと思っていた。

  はっきりとした原因もわからぬまま、入院の手続きをしていると突然、「看取りです。」と言われて病室に駆け込んだ。

  何が起こったのかと混乱しているうちに母は静かに息を引き取った。

  向こう半年間の介護日程の計画表だけが残されていた。

  親の死は誰もが経験し得る、おそらく人生でもっとも悲しい出来事。

  現実として受け止め、消化して前に立ち向かわねばならない。

  とはいえ、いくら、年月が経っても、時折押し寄せてくる追慕の念、悔恨の念は、少しも褪せることがないのだろう。

  それだからこそ、人は優しくなれる。今はそう信じたい。

 

   

 

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送別の句 ~母の満中陰法要に寄せて ③

2023-09-25 | 心の旅

送別の句 ~母の満中陰法要に寄せて ③

 

 昨日、母の満中陰法要を無事、終えることができました。

 実家に戻ってからは、両親の介護と看取りが自分の使命のように思っておりましたので重要な仏事を含め、やり遂げたことで安堵しています。

 こじんまりとした法要でしたが、出席いただいた皆さんには前述の俳句写真を差し上げました。

 また、母筆による日本画も母の形見として、持ち帰っていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俳句会の皆さんから弔句をいただきました。(抜粋)

      初秋の風を美しと逝かれしや   信彦

      秋立つ日去り難き句座を逝きたもふ   順子

      温顔の句友を偲ぶ夏の月   節子

      句友逝く秋の風鈴鳴りにけり   伸一

      句が生命(いのち)そんな君逝く秋の風   雅信

 天国に向けて発信します。ありがとうございました。

      秋彼岸 旅立つ母に 謝意告げる

 

  

 

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辞世の句 ~母の満中陰法要に寄せて ② 

2023-09-23 | 心の旅

辞世の句 ~母の満中陰法要に寄せて ② 

 満中陰  (まんちゅういん)は「中陰が満ちる」つまり中陰の終わる日、「49日の忌が明ける日」という意味である。

 中陰は中有(ちゅうう)とも呼ばれ、古代インド仏教では、人が亡くなってから次の生を受けるまでの49日間のことを指す。

 日本の仏教では、七七日にあたる49日を区切りに極楽浄土に行けるかどうかの判決が下されるといわれている

    判決を下す閻魔様にも、これらの句を鑑賞していただきたいものである。

 

「菰ぬちの薄日にすがり寒牡丹」

   春に咲く牡丹を温度管理などにより、人工的に冬に咲かせたのが「冬牡丹」。

 それに対し、「寒牡丹」はもともと春と冬に咲く品種で、必要のないところには養分は送らないため、殆ど、葉がない。

 菰を被り、寒さに耐えながら、一生懸命に咲いている「寒牡丹」が薄日に暖をとっている。

 

 「雪渓を踏みしは昔山を恋ふ」

 母は結婚前の銀行員時代に登山部に所属し各地の山を踏破していたようである。

 そのなかでも、白馬大雪渓はもっとも印象的だったという。

 (写真は立山室堂にて)

 

 「踏みゆけば音ついてくる落葉道」

 紅葉もさかりとなれば、大山寺参道は落ち葉で真っ赤に敷き詰められる。

 歩めば、「サクッサクッ」と音がついてくるようだ。

 

 「庭めでて雅び心の風炉手前」

 私は大阪市平野区で従事しているが、平野区の名所を題材に絵葉書を作ったことがある。

 約40~50種くらい作ったと思うが、そのうちの一つを母にお願いした。

 写真をイラスト化したもので場所は「がんこ平野郷屋敷」。

 

 「鳥の来てつらつら椿落しけり」

   ジョウビタキは渡り鳥であるが、何故か人馴れしているようで、撮影者のすぐ近くまで来て、愛嬌を振りまくことがある。

 春になると海を越えて、遠くモンゴルや中国西部、シベリア、サハリンへ渡るときく。

 魂はどこまで飛んでいくのだろう。

 

 「天近し信州山里 星月夜」

 南信州の"しらびそ高原”は、たびたび出かける私のお気に入りスポットだが、両親を連れて行ったことがある。

 中央アルプスと南アルプスを同時に眺望できる2000m級の展望台で夕陽だけでなく、月出と満天の星空も素晴らしい。

  天は確かに近い。

  

 「激つ瀬の飛沫の綺羅と紅葉谷」 

  今にも、激流の瀬音が聞こえてきそうな句である。紅葉が彩を添えている。

  紅葉時に ”みたらい渓谷” や ”赤目四十八滝” などに連れていったが、こんな句を作っていたとは知らなかった。

  

  「癒えぬ身の友の励まし春を待つ」  

  また、元気になって、俳句会に参加できるようになる日が来ることを願っていた。

  俳句会のご友人の励ましを糧に身体が回復すると信じて作ったのだろう。

  

  「露の世や 往生要集 源信忌」 

   いわゆる辞世の句はなかったが、この句が一番それに近いような気がする。

      「喜美子・遺句集」編纂が、せめてもの弔いになれば ・・・・ 

  百万回の ”ありがとう” を添えて。

 

  

 

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