ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

飛鳥・逍遥 4 ~「天上の虹」より

2014-09-30 | 奈良の旅
 飛鳥・逍遥 4 ~「天上の虹」より

              

 毎年、9月に飛鳥・石舞台前で劇団「時空」の万葉劇が上演されるのを楽しみにしている。
 今年の出し物は里中満智子作「天上の虹」より、「別れの歌~有馬皇子悲話」である。
 すっかり、秋の風情を漂わせた石舞台古墳。
 二上山を仰ぐ空がやがて、オレンジに染まっていった。

              

              

 「天上の虹」は持統天皇の生涯を描いた作品。
 彼女は飛鳥時代の大きなクーデター「乙巳の変」(645年)の年に生まれた。
 幼少時の名は鵜野讃良(うののさらら)。

              

              

 大化の改新後に即位した考徳天皇の新政府は皇太子に中大兄皇子(讃良の父)を中心に船出した。
 政治の実権を握った中大兄は強力な中央集権化を推し進めた。

              

 654年、都を難波から大和に還すという進言を考徳天皇に拒まれると、中大兄は政権中枢を引き連れて、飛鳥に戻ってしまう。

              

 考徳天皇は憤死。次期天皇の有力候補は考徳の息子、有馬皇子。
 そして、その有馬皇子に恋心を抱く讃良。

              

 次期天皇には予想に反して、中大兄の母である、前々天皇だった、皇極が再び、皇位について、斉明天皇となった。
 ここでも、中大兄が実権を握ったが、弟の大海人皇子との確執も生まれ始めた。

              

              
 

 まだ、皇位継承権を持っていた有馬皇子は身の危険を感じ、保身のため、狂人を装った。

               

 有馬は蘇我赤兄に唆されて、謀議をめぐらす。

              

 ところが、これは罠で、有馬は謀反を企てたとして、捉えられる。

              

 捉えられた有馬は岩代(和歌山みなべ町)に護送される。
 ここで、有名な歌を詠む。

 「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」


              

 有馬は中大兄によって、絞首刑に処せられた。

              

 大海人の妻となった、讃良。

              

 更に中大兄と大海人の確執は深まっていく。

              

 後の天武天皇(大海人)と持統天皇(讃良)の物語は始まったばかりだ。


              


  

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飛鳥・逍遥 3 ~里の秋

2014-09-28 | 花めぐり~9・10月

 飛鳥・逍遥 3 ~里の秋

              

 奥飛鳥には何度も訪れるものだから、自然、撮影ポイントも決まってしまった感がある。
 だが、毎回、同じ場所ながら、新たな感動を憶えるのが、飛鳥の凄いところなのかもしれない。
 前2回で収まりきらなかった「里の秋」をアップします。

              

 『 明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思えぬかも 』 
 
 - 明日香川の名のように 明日も石橋を渡って貴方に会いに行こう 
   飛び石のように 間があいて隔たった心など 持っていないよ-
 
 飛び石の横には万葉集の歌碑が残る。 

              

              

 川を遡ると柏森。
 古代の面影残す魅力的な佇まい。

              

              

              

 飛鳥時代創建と伝わる龍福寺の境内には日本最古の墓標といわれる「 五輪石塔 」があり、竹野王碑と呼ばれている。
 お寺の横には南淵請安の墓がある。

              

              

               

 ふたたび、稲淵に戻って・・・満喫する「里の秋」風景。


              

              

              

              

              

              

              

               


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飛鳥・逍遥 2 ~案山子ロード 2014

2014-09-26 | 奈良の旅
  飛鳥・逍遥 2 ~案山子ロード 2014

             

飛鳥・案山子ロード 2014


 飛鳥の秋を彩るのは、彼岸花の燃える赤と「案山子ロード」。
 今年も力作が勢揃いしましたぞ!

             

             

             

             

             

 でも、ほんまもんの案山子もがんばっておりました。


             


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飛鳥・逍遥 1 ~燃えるような彼岸花

2014-09-24 | 花めぐり~9・10月

飛鳥・逍遥 1 ~燃えるような彼岸花

              

              

 明日香村の稲渕は彼岸花の名所として、随分、メジャーになったものだ。
 この季節になると、稲淵を横切る県道には平日にも拘わらず、ひっきりなしに車が往来する。
 この地に足しげく通うようになったのは20数年前くらいから。
 人の多さには閉口するが、日本の原風景は以前とちっとも、変わらない。



赤いトタン屋根の小屋をアクセントに狙ってみた。

              

              

              

              

 棚田にカーブを描く彼岸花も魅力的だ。

              

              

              

              

              

 綺麗に咲き誇った白や黄色の彼岸花(実は別種)にアゲハチョウが訪れた。


              

              

              

              

              

               


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「くま厨」と「八重山」~“平野バル”を使って 

2014-09-23 | 平野うまいもん
「くま厨」と「八重山」~“平野バル”を使って 

「食と町 平野いただきます!」という平野・食べ歩きイベントが開催中。(9末まで)
 まず、バル回数チケット(4枚綴り、前売2400円)を購入。
 参加40店舗のバル特別メニューを4回分、いただけるというもの。

              

 今回、勤務先の飲み会で使ってみた。
 まず、背戸口の「摘旬 くま厨」さんに入店。
 こちらでは、「造り三種と店主おすすめ焼酎1杯」がバルメニュー。

              

              

 続いて、平野西の「沖縄料理 八重山(やいま)」さん。
 こちらのバルメニューは「八重山特製沖縄冷麺」。

              

 太麺でコシある沖縄そば。よく見ると海ブドウが乗っている。

              

              

              

 少しづつ、食べ歩くのが、バルスタイル。
 これで、600円は得した気分。まだ、半分2回分残ったゾ!



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堺旧港・散策 ~龍女神像と旧堺灯台

2014-09-18 | 旅行
堺旧港・散策 ~龍女神像と旧堺灯台

             

 堺港は、古来より天然の良港として栄え、中世の頃には南蛮貿易などで世界各国と交流する貿易港に発展した。
 また、近代では海浜リゾート地として水族館などでにぎわいを見せた時期もあったそうだ。
 往時の面影を偲んで、散策してみた。

 まずは毎月第2日曜に開催されている、「堺旧港観光市場」。
 堺魚市場を中心に屋台が並び、海鮮丼や漁師の天ぷら、アセアン料理などが人気だ。

             

             

 港のシンボルが北波止突堤の龍女神像である。
 像の高さ10m、台座の高さは16mと、かなり大きな像である。
 港周辺のフェニックスと船が織りなす光景はちょっと、エキゾチックだ。

                          

             

             

 この龍女神像。手に玉を持っていらっしゃるのだが、ボウリングをしているように見えて仕方がない。
 視線も遠くのボウリング場のピン看板を狙っているようだし。

             

              

 水門があったが、東日本並みの津波が来たら、ひとたまりもないらしい。

             

 南蛮貿易を偲ぶ絵が工業地帯の壁に描かれていた。

                

 堺港のもうひとつのシンボルが木造洋式、六角錐型の「旧堺燈台」である。
 明治10年(1877年)に建設され、昭和43年(1968年)に役目を終えるまで約1世紀もの間、大阪の海を照らし続けた。
 建設当時の場所に現存する木造様式燈台としては日本最古のもののひとつで、昭和47年(1972年)に国の史跡に指定された。

             

 大浜公園のあたりは幕末、黒船来航を警戒して、砲台が並んだお台場でもあった。
 また、近世のリゾート地の面影を垣間見ることができる。

             

 国土地理院認定の日本一低い山、蘇鉄山(標高6.85m)、が慎ましげに聳える。
 ラジオ塔や相撲場など、スポットも事欠かない。

             

             

 デュランタの紫が美しく咲き乱れていた。


             

             

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「平野すてんしょ」 ~平野5エリアの紹介

2014-09-13 | 平野すてんしょ
 「平野すてんしょ」 ~平野5エリアの紹介

              

 “すてんしょ”とは、平野ことばで「ステーション=STATION」のこと。
 1980年に廃線となった、南海電鉄平野線の今はなき平野駅のことを指す。

 平野区は大きく5っのエリアに分かれる。
 各地への出発点が「平野すてんしょ」である。

              

 平野エリアの中核を成す「平野郷」は、その昔、自衛や灌漑、洪水等の調整池としての役割を持たせるために町の周囲を環濠によって取り囲んだいわゆる環濠都市として堺と並ぶ、自治と商いを誇った町でもあった。
 集落の周囲13箇所に木戸口と地蔵堂を設けて各地への街道が通じ、また、環濠が平野川に通じ、陸路と水運の交通の要地としての地位を得ていた。
 平安時代の初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂の次男で平野の開発領主となった坂上広野麿にちなみ、広野の邸宅があったことから広野と呼ばれ、それが転訛して平野荘となったとも伝えられている。
平野エリアには江戸時代の商家を偲ばせる伝統的な町屋が軒を連ね、タイムスリップしたような錯覚と懐かしい雰囲気に溢れている。
 その平野で「町ぐるみ博物館」運動が実施されている。
 これは、民家・店舗を無料開放して、貴重な文化財を見てもらうことによって、自分たちの町を再認識、再発見して、自分たちが楽しむことによって、“町づくり”をしようとする運動である。
 この運動は「平野を観光地化して、人を呼ぶこと」=経済効果を目的としていない。
 「観光」に対峙するという意味で、「感風」・・・“風を感じる”というメッセージを発信している。

               

加美の歴史は古く弥生時代(紀元前10世紀から3世紀中頃)に遡り、「加美遺跡」が見つかっている。
大化の改新(645年)により、渋川郡「賀美郷」(かみのさと)と名づけられた。
古代、物部氏の所領であったが、物部氏が滅びて、飛鳥時代、渡来した鞍作氏が住み着いた。
鞍作氏は馬の鞍、武具を作っており、加美には鞍作(くらつくり)という地名が今に残っている。
日本初の仏教寺院、飛鳥寺の飛鳥大仏や法隆寺・金堂の釈迦三尊像を刻んだ飛鳥時代の仏師、鞍作止利(くらつくりのとり)は鞍作氏の一族。(父が仏師で村主の鞍作多須奈、祖父が初代村主、司馬達等)
かつては綿作や菜種油の生産が盛んで平野郷とともに繁栄した農村であったが、現在は工場が多くなり、モノづくりの町として、脚光を浴びるようになってきた。
 旭神社は古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた。
境内には樹齢600年以上のくす、イチョウ、むくの木など天然記念物に指定された古樹がある。
祭神は素盞鳴尊で、創建は天平年間と云われている。





喜連(きれ)は、伎人郷(くれひとのさと)と呼ばれている。
 古き時代、呉(くれ)の国から、やってきた渡来人が機織(はたおり)の技術者、呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)等の呉人(くれひと)が、この地に住みついたので「くれ郷」となり、それが訛って「きれ」になったという説がある。
また、高句麗から伎(くれ)、そして、喜連(きれ)へと転化していったという説もある。

喜連の中心部を、南北に中高野街道が走る。 摂津と河内を繋ぐ交通の要地だ。
 戦乱の絶えない中世には周囲に環濠を巡らせた喜連城が出現した。
かつて環濠には6っの出入り口があり、地蔵堂が設けられた。
環濠が埋め立てられても、地蔵堂は残り、今もなお、お地蔵様がこの町を守る。




 大化年間(645~649年)道昭法師が当地の庵で祈念の最中、天から光明のさしたご神体が降ってきたので、瓜を割(破)ってお供えしたことから瓜破と呼ぶようになったという説がある。
当地の出身と伝えられる道昭は、遣唐使に従って入唐し、玄弉三蔵の教えを受け、帰国後諸国を遍歴して庶民に慕われたことが、続日本紀にみられる。
また、弘法大師が高野山へ登る途中、この地を通り、水を所望したところ、住民が瓜を割(破)ってさしだしたことからこの名がついたという説もあるが、定かではない。
 いずれにせよ、昔から瓜(西瓜)の産地であったことが、地名に由来しているといわれている。
江戸時代、平野の代表的産業が繰綿と綿作で、綿の集散地としても栄え、明治時代には綿業の町へと発展した歴史がある。
美しい花が咲き、実を結び、白い柔らかな綿が生まれる「わたの花」には、平野区の繁栄の願いが込められている。
瓜破の“区民わた畑”では9月になれば、小学生の教育体験として、綿の収穫が行われる。



4世紀後半から6世紀中頃に築かれたと推定される長原古墳群から、多数の埴輪、土器、副葬品が出土している。
それらの中に朝鮮半島で出土するものと、よく似た土器が、しばしば発見されている。
特筆すべきは、全国的にも珍しい、四つの船型埴輪が出土していることである。
当時、大阪平野の大半は瀬戸内海と繋がる河内湖という湖であった。
日本と半島を結ぶ交通手段は船以外になく、当然、渡来人は船で河内湖に乗り入れ、湖岸近くの長原にやってきたに違いない。
その船形埴輪をもとに復元されたのが、古代船「なみはや号」である。
1989年(平成元年)に大阪市が市制100週年を記念して実物大の古代船(全長12.0m、幅1.93m、重量約5トン)を復元し、倭の五王時代の航海を再現して、大阪から韓国の釜山までの700Kmを35日かけて航海し、古代からの日韓交流を新たにした。
 古代の長原は国際交流都市だったようだ。



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「空が青いから、白をえらんだのです。」 ~奈良少年刑務所・矯正展

2014-09-06 | 奈良の旅
「空が青いから、白をえらんだのです。」 ~奈良少年刑務所・矯正展

              
              

 毎年、この時期になると、きまって、この歌が聴きたくなって、奈良少年刑務所で年一回開催されている、矯正展に出かけるようになった。

 

              

 「空が青いから白を選んだのです。」は奈良少年刑務所の「社会性涵養プログラム」の講師で童話作家の寮美千子さんが受刑者によって作られた詩を集めた詩集である。      

 Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだしたのです。
「今年でおかあさんの七回忌です。お母さんは病院で『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』とぼくにいってくれました。それが、最期の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
 ぼく、小さかったから、何もできなくて……」

 
 この詩を読んで感動した、シンガーソングライターの逢坂泰精さんが「くも」という楽曲を創った。
 受刑者には粗暴なイメージばかりが先行していたが、彼等の今まで置かれてきた環境の悲惨さを知り、それ故に閉ざされてきた心を知る。
 そしてどんな罪を犯した人間であっても更生する可能性があることを教えられる。

               

               

               

 竣工100年以上となる奈良少年刑務所はロマネスク様式の正門(表門)や美しい煉瓦造りの外塀や内部の建物など、文化財としても素晴らしい。
 矯正展では内部見学も実施している。(パネル写真から)

               

               

               

 入ってみてはとは、勧め難いが、(まず、年齢制限がある)年に一回の矯正展で訪れてみるのは如何ですか。
(7日まで)


               

               
 監獄グッズの数々。

               

               

               

               

               

                

                            

               

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