ソメイヨシノ開花と糸桜満開 ~伏見酒蔵小路散策
3月29日、漸く京都でもソメイヨシノの開花宣言が出た。
早速、伏見酒蔵小路に出かけてみたが、まだ、チラホラ感があるだけで満開のユキヤナギがソメイヨシノを圧倒していた。
ただ、川沿いの長建寺では「糸桜」が今、まさに満開となっていた。
のんびりとした十石舟、名水から作られた伏見酒の飲み比べ、昔ながらの酒蔵が立ち並ぶ風情ある小路の散策。
いつ来ても、癒されるスポットである。
ソメイヨシノ開花と糸桜満開 ~伏見酒蔵小路散策
3月29日、漸く京都でもソメイヨシノの開花宣言が出た。
早速、伏見酒蔵小路に出かけてみたが、まだ、チラホラ感があるだけで満開のユキヤナギがソメイヨシノを圧倒していた。
ただ、川沿いの長建寺では「糸桜」が今、まさに満開となっていた。
のんびりとした十石舟、名水から作られた伏見酒の飲み比べ、昔ながらの酒蔵が立ち並ぶ風情ある小路の散策。
いつ来ても、癒されるスポットである。
安堵町 歴史民俗資料館 ~「灯芯ひき」と「天理軽便鉄道」
近場であるのに行ったことがないというスポット、奈良県生駒郡安堵町へプチトリップしてみた。
安堵町は奈良盆地のほぼ中央、大和川と富雄川が合流するあたりに位置する、のどかな田園の中にある。
「安堵」という、心安らぐような地名だが、実際には地勢的にも昔から水害に苛まれた地域であったろうことは容易に想像できる。
白壁の重厚な造りが特徴の「安堵町歴史民俗資料館」は元庄屋の今村氏の邸宅を活用した展示施設。
奈良県再設置運動(明治時代に一時消滅した奈良県を再設置に導いた運動)に尽力した、今村勤三の生家だ。
江戸時代から伝わる古文書や、日々の生活で人々が使用した民具の数々が展示されているが、町の伝統産業であった「灯芯ひき」の展示に特化した資料館でもある。
安堵町では低湿地を生かした藺草(いぐさ)栽培が盛んだったという。
近代陶芸の巨匠、富本憲吉は安堵町の名士。
「灯芯(とうしん)ひき」とは、藺草(いぐさ)の「ずい」を専用の道具を使って取り出す、江戸時代より続く安堵町伝統の技術のことで、「灯芯」は寺社の灯明や、和ろうそくの芯などに用いられる。
今や安堵町以外では、全国的にも見ることが難しく、日本の灯りや伝統祭事を支える貴重な技として脈々と受け継がれている。
「灯芯ひき」体験会が催されていた。
もうひとつの見物は「天理軽便鉄道」のジオラマで安堵駅周辺。
天理軽便鉄道は大正4(1915)年大阪から天理へ向かう天理教信者の短絡線的需要を見込んで開業。
国鉄関西線法隆寺駅前の新法隆寺から東へ天理まで運行していました。
当初はコッペル機(蒸気機関車)が小さなボギー式客車をひいて一日13往復。
新法隆寺・天理間9㎞の所要時間は34分だったということです。
6年後の大正10(1921)年には大阪電気軌道(のちの近鉄)に買収され、その一年後には平端・天理間が標準ゲージにされ大阪から天理へのメインルートは西大寺経由になり、762ミリのまま取り残された平端~新法隆寺間は1945年に営業休止し、昭和27(1952)年に正式に廃止となりました。 (ウィキペディア)
廃線跡が今でも田園風景の中に残っているという。
まるで、ボンネットバスのようなガソリンカー。
菜の花畑の向こうに聖徳太子の巨大な案山子が立っている。
ステンドグラスが記憶した物語 ~「橋本旧遊郭」②
八幡市の京阪電鉄 橋本駅は大阪府枚方市樟葉駅と京都府八幡市駅の間に位置し「天王山の戦い」で有名な大山崎を淀川の向う岸に望む。
今回、訪問した「旅館 橋本の香」の女性オーナーさんは中国出身の方(30年前来日で今は帰化されている)で数年前に売りに出されて、建て壊し寸前の遊郭「旧三枡楼」を買い取ったという。
というと、また中国人の買い占めかと思ってしまうが、さにあらず、「こんなに日本文化が残る建物をつぶしてはもったいない」と思われたそうだ。
「貧しかったころの日本の歴史や名残を後世に伝えていかねば」ともおっしゃる。
(貧しかった!?遊郭の客が・・・!?そりゃ、舞子はんを囲う旦さんほどではないにしろ・・・。いや、娼妓のことか。)
遊郭最盛期の1930年代には約90の貸座敷が並び、娼妓600人程度がいたそうだが、恐慌により疲弊した農村で身売りを余儀なくされた女性が多く働いていたそうだ。
「旧三枡楼」の煌めくステンドグラスはそんな記憶を有しているに違いない。
購入したあと、「旧三枡楼」は相当、大掛かりな改修が必要だったというが、容易に想像はつく。
購入額と同額くらいの改修費が必要だったかもしれない。
オーナー女性は「旧第二友栄楼」という屋号の橋本遊廓で最も古い築120年の物件を借金をして購入したというから、日本文化を残そうというご情熱には感じ入るものがある。
「客よ、来い!」の「鯉」の透かし彫り。
街中を少し散策してみた。
私は子どものころ、橋本のお隣の樟葉に住んでいたが、親に「橋本って、何があるの?」と聞くと、親の視線がふと宙を漂う瞬間があったことを覚えている。
現地の方にとっては負の遺産かもしれないが、歴史に目を背けてはいけないと思う。
水路にヌートリアが蠢いていた。
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「橋本旧遊郭」① ~旧三枡楼(旅館 橋本の香)探訪
京都には芸事を披露する芸妓(舞妓さん)のいる花街と別に、一般庶民の男性たちが娼妓と遊ぶ「遊郭」という場所が昔あった。
そんな中でも橋本遊郭は最盛期の昭和12年には娼妓675名が在籍した場所で今もなお妓楼が残っているという希少な地域である。
昭和31年に公布された売春防止法により飲み屋や旅館へ業態変更したところが多いが、現在、老朽化から解体される建物が増えてきている。
そもそも、🔷遊郭とは何か
公娼(こうしよう)を集娼方式によって一定区域内に集団的に居住させておく場所。政治権力が公娼を容認するときに,治安や風俗の対策のために集娼制をとることが多いのは,私娼の取締りや税金の徴収を便利にすることのほかに,政策的に,そこを一般市民社会とは異なる性格をもつ場所とするという意図があった。
~<世界大百科事典>より
江戸時代には吉原(江戸)、島原(京都)、新町(大坂)が三大遊郭として有名だが、実は文化の発信地でもあった。
今回は貴重な遊郭建築が残る橋本の旧三枡楼(旅館 橋本の香)を訪ねた。1935年(S10)築だという。
古色蒼然とした玄関ホールだが、艶めかしさが漂っている。
2Fに上がると娼妓を指名する部屋がある。ステンドグラスが美しい。
最近は旧遊郭めぐりが静かなブームのようで散策する人も増えてきた。
天井のデザインも凝っている。
ソメイヨシノが咲く前に ~平野郷逍遥
ソメイヨシノが咲き出す直前、露払いのように様々な花が咲き始めた。
本堂大改修中の大念佛寺でも十月桜、木蓮、水仙など花盛り。
大阪場所のころ、この幟も風物詩になった。
杭全公園でも早咲きの桜が咲き始めた。
市町の瑞興寺のハクモクレンを楽しみにしていたが、前日の雨で盛りは過ぎていた。
全興寺ではサザンカ、ユキヤナギ。白い花が目を引く。
全興寺には奇妙な河童が出るそうな。
奇妙なカエルも出るそうな。
そりゃそうだ。
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八乙女の舞と田植歌 ~春日大社・御田植神事 ③
摂社・榎本神社での御田植神事が続く。
八乙女は緋縮緬(ひちりめん)の襷(たすき)を掛け、腰に桧笠(かえるかご)を掛けている。
八乙女の田植舞が始まった。そのなかでも、ハイライトシーンがスズメ(とんぼ)と云われるポーズで、かわいい。(上写真)
①②③の歌の間に必ず入る囃し詞である「ヤレヤレ」は、いつまでも耳に残りそうだ。
田植舞の動画・完全版。(13:13)
<田植歌>
① わかたねうえほよ 若苗を植えましょうよ。
えたねうえほよ 田植女共が手に手を取りあって
おんなの むつまじく肩を並べつつ、
てにてをとりて 苗をば拾い取って
ひろひとるとよ 次々と植えて行くというのであります
② みましみしげや 田の畔に美しく咲いている富草の花よ、
わかなえとるてやは 汝もよく繁れよ。
しらたまとるてこそ 露の結んでいる若苗をゆらゆらと、
しらたまなゆらや 手に取るといふと
とみくさのはな その露が白玉の様にうつくしくこぼれるよ
③ ふくまんごくに お米がよく出来るように
ほんごくへ 本国到るところへ
うえちらし 植えて植えて散らし、
てにてをとりて そうして様々とよく出来たらば
ひろひとるとよ 一同打揃うて拾い集めましょう。
*「田舞の所作に関する一考察 ー春日大社の巫女舞を中心にー」参照
次にラストとなる祭儀場、若宮に向かう。
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モオモオッと 五穀豊穣 牛男 ~春日大社・御田植神事 ②
春日大社・本社前の「林檎の庭」から摂社・榎本神社へ祭儀場所を移すため、八乙女初め、御田植神事のご一行が参道を行く。
八乙女の頭飾りは春日大社の象徴である藤の花である。とても、優雅!
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八乙女の雅な田植舞 ~春日大社・御田植神事 ①
平安末期より続く、春日大社の御田植神事。
田主、神楽男、八乙女(御巫)たちが若宮でお祓いを受けた後、大宮(本社)林檎の庭において、田主が鍬を使って耕す所作を行い、牛面をつけた牛男が唐鋤(からすき)や馬鍬(まぐわ)を引いた後、神楽男の歌と楽器に合わせて八乙女の田植舞が執り行われる。
到着が遅れ、幣殿・舞殿越しの鑑賞となったが柱が丁度、額縁のようにも見え、八乙女の舞が雅な古代絵巻となって現代に甦った。
八乙女の登場である。
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"浮舟" ぞ ゆくへ知られぬ ~「源氏物語ミュージアム」 ②
「たちばなの 小島は色も かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ - 浮舟 - 」
源氏物語、宇治十帖のクライマックス「浮舟」の哀愁に涙する人も多い。
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「源氏物語ミュージアム」 ① ~平安時代と宇治十帖絵巻
宇治市の「源氏物語ミュージアム」は『源氏物語』最後の十帖である「宇治十帖」と平安時代をテーマにした博物館。
実物大の牛車や装束、調度品などの復元展示や光源氏の邸宅である六条院の復元模型によって物語の華やかな世界を立体的に再現している。
開館した当時に出かけて以来なのだが、大河ドラマの影響 (すぐに感化される人なので・・・)で、もう一度、じっくり、鑑賞しようと再訪した。
石山寺の紫式部。
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人生=桜の扉 ~淀水路・ふたたび ②
3年振りに「淀水路の河津桜」を訪れた。
もう、3年! 今更ながら、時の速さに驚くばかりだ。
あの日、歩行器でしか歩けない母をやっとの想いで花見に連れ出した。
2年前は近くの公園に車椅子を押しながら花見に連れて行った。
そして、昨年は病院に送る途中で車の中から母にとって「最後の花見」をした。
もう、あまり、時間が残されていないのは心の奥ではわかっていたものの、それを打ち消す、もう一人の自分がいた。
時は確実に過ぎ去り、また、この場所でひとり桜を愛でる私がいる。
私だって、あと何度、この桜を見ることができるのだろうと思いながら。
河津桜の咲くころ ~淀水路・ふたたび ①
1955年に静岡県伊豆半島の河津町で発見された「河津桜」は近年全国に徐々に広がっている。
オオシマザクラとカンヒザクラが自然交雑したと推定され、華やかで見応えのある濃いピンクの花、早咲きで開花期間が長いことが特徴。
京都市伏見区の淀水路では関西では珍しく河津桜の並木が見られるが、これは2002年住民の手によって淀水路沿いに2本の河津桜が植えられたのがはじまりという。
現在、地元に「淀さくらを育てる会」が発足し、200本ほどの河津桜を地域活動の一環として育てている。
天空の梅園 ~枝垂れ梅の咲くころ・三室戸寺
昨年オープンしたばかりの宇治市の新名所、三室戸寺「枝垂れ梅園」は宇治市街の眺望を眼下にした広大な丘に約250本の紅・白・ピンクの枝垂れ梅が彩る。
華麗な枝垂れ梅が織りなす風景はまさに天空の梅園。ただ、雨後のため満開時をやや過ぎたか。(3/2撮影)
久し振りに宇賀神さまにご挨拶。
ツツジ以来?、いや、紫陽花以来?、いやいや、蓮以来?
とにかく、ようお参りさせていただいてます。
いつも、ナデナデさせていただいてますが、金運はまだでしょうか?
菅原天満宮・おんだ祭り ② ~福の種と肥え撒き
おんだ祭りでは微笑ましいシーンがもう、ふたつある。
ひとつが、肥え撒きのシーン。
若い方には信じられないだろうが、昔の日本では田畑に肥料として、人糞を撒いていたのである。
もうひとつが、福の種(=種籾のこと)撒き。
私が出演していた平野区・杭全神社の御田植神事でも「福の種を撒こうよ」というシーンがあり、これは各地域に伝播しているようである。
田主が花咲か爺のように見えてきた。
「一滴も無駄にすまい」と肥えを集める芸が細かい。
雑草取り。田畑の管理は大変! 観客の落とし物も見落とさない。
お疲れ様。これで豊作間違いなし。
最後は福の苗を来場者に配る。
御利益ありそう!
撒かれた種籾がトッピングされていた。
菅原天満宮・おんだ祭り ① ~雨中を駆け回る牛くん
奈良市菅原町の菅原天満宮で2月25日、恒例の「おんだ祭り」が執り行われた。
「おんだ祭り」は拝殿の前に青竹を立て、しめ縄を張った一角を稲田に見立て五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄を祈願して狂言形式で行う農耕神事。
神職が祝詞を奏上し、翁のお面をつけた田主役の氏子と、牛のお面をつけた子どもが、農耕作業の一連の動きをユーモラスに演じる。
この時期、各地で執り行われる「おんだ祭り」や「御田植神事」を見るにつけ、ああ、日本人は農耕民族だなあと私の中のDNAが懐かしがる。
生憎の雨中を駆け回る牛くん。 「こりゃ、今年も豊作じゃ!」(翁談)
おひねりは牛くんのお小遣いになるという。がんばれ、牛くん。