天平からの時空旅を終えて ~東大寺参詣2024 ④
無事、東大寺参詣という大役をやり遂げた天平行列のタイムトラベラー一行は安堵の表情を浮かべながら、また、時空の彼方へと帰っていく。
現代に戻るのを躊躇うように束の間の無為のときを過ごされていた。
NARA CITYコンシェルジュのお二人。
天平からの時空旅を終えて ~東大寺参詣2024 ④
無事、東大寺参詣という大役をやり遂げた天平行列のタイムトラベラー一行は安堵の表情を浮かべながら、また、時空の彼方へと帰っていく。
現代に戻るのを躊躇うように束の間の無為のときを過ごされていた。
NARA CITYコンシェルジュのお二人。
東大寺大仏殿との邂逅 ~東大寺参詣2024 ③
1270年余り前を彷彿とさせる約120名からなる東大寺参詣はJR奈良駅前から春日大社一の鳥居、参道、春日野園地、南大門を経て、大仏殿という約3キロの道程。
漸く、南大門が見えてきたときには、天平行列もギャラリーも、やれやれ感が漂う。
相変わらず、インバウンドさんが多いが、突然、現れた日本の古代パレードを見て何と思ったのだろうか。
東大寺は仏の加護により国家を鎮護しようとした聖武天皇の発願で建立された。
751年に大仏殿が完成し、翌年には盛大な大仏開眼供養がおこなわれた。
その後、1180年と1567年に兵火にあい主要伽藍を焼失したが、そのつど再建された。(二基の七重塔は再建されず)
現存する大仏殿は1709年に再建されたもので、世界最大規模の木造建築物としての威容を誇っている。(奈良市HPより抜粋)
シカ様の先導で・・・南大門到着。
光の路の光明皇后 ~東大寺参詣 2024 ②
春日大社参道から浮雲園地、春日野園地を通り抜け、東大寺南大門を目指す。
前日の悪天が嘘のように、秋晴れの空の下、総勢約120名の天平行列は、兵衛隊や雅楽隊、衛士隊も加わって、さながら光の路を歩む。
その中でも、光明皇后はとりわけ煌びやかな光を放っていた。
<光明皇后>
奈良時代、権勢を振るった藤原不比等。その娘である光明子(後の光明皇后)と不比等の孫である首皇子(後の聖武天皇)が夫婦となる。仏教を篤く信仰していた二人は、総国分寺として東大寺を、総国分尼寺として法華寺を建立する。
そして僧・行基の協力を得て、東大寺に盧舎那仏を建立することになる。(nara ebooksより)
光明皇后は、女人も仏を信ずべしとして745年頃法華寺(ほっけじ)を開き、国分尼寺とした。その法華寺に今も残る「から風呂」には、身体中が腫れて臭気に満ちた病人の膿を光明皇后が吸うと、その病人の身体がみるみる美しくなり、光明を放って忽然と消えてしまったという話が残されている。その病人は阿閦如来(あしゅくにょらい)であったといわれている。(奈良県民だよりより)
第5代NARA CITYコンシェルジュの吉本美咲さんが光明皇后を演じられた。
東大寺参詣 2024 ① ~春日大社参道のタイムトラベラー
平城京天平行列は、東大寺建立の詔(みことのり)を発せられた、聖武天皇と光明皇后のご遺徳を偲ぶためのお二人を中心とした行列。
現代の春日大社・一の鳥居前に忽然と甦った天平行列は雅で煌びやかな空気を従えて、時空を超えた東大寺参詣に臨まれた。
なら燈花会 ② ~ほの灯りに包まれて
浮御堂をあとに会場を廻る。
浅茅ヶ原、国立博物館前、浮雲園地、春日野国際フォーラム甍、猿沢池。
暑さと人いきれにうんざり気味だったのが、浅茅ヶ原での「ほの灯りライブ」が一服の涼となり、一息つくことができた。
牧野由希子さん&松井優樹さんのギターとフルートに癒された。
興福寺五重塔の見えない猿沢池も今だけの風景。
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なら燈花会 ① ~浮御堂のリフレクション
毎度毎度の「なら燈花会」の散策であるが、今回だけは4年振りとなる。
まず、いつも通り、一番のお気に入り、奈良公園・鷺池に浮かぶ「浮御堂」からスタート。
「浮御堂」は檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂で、周囲を蝋燭の炎で照らされると鷺池に映るリフレクションが美しい。
八乙女の舞と田植歌 ~春日大社・御田植神事 ③
摂社・榎本神社での御田植神事が続く。
八乙女は緋縮緬(ひちりめん)の襷(たすき)を掛け、腰に桧笠(かえるかご)を掛けている。
八乙女の田植舞が始まった。そのなかでも、ハイライトシーンがスズメ(とんぼ)と云われるポーズで、かわいい。(上写真)
①②③の歌の間に必ず入る囃し詞である「ヤレヤレ」は、いつまでも耳に残りそうだ。
田植舞の動画・完全版。(13:13)
<田植歌>
① わかたねうえほよ 若苗を植えましょうよ。
えたねうえほよ 田植女共が手に手を取りあって
おんなの むつまじく肩を並べつつ、
てにてをとりて 苗をば拾い取って
ひろひとるとよ 次々と植えて行くというのであります
② みましみしげや 田の畔に美しく咲いている富草の花よ、
わかなえとるてやは 汝もよく繁れよ。
しらたまとるてこそ 露の結んでいる若苗をゆらゆらと、
しらたまなゆらや 手に取るといふと
とみくさのはな その露が白玉の様にうつくしくこぼれるよ
③ ふくまんごくに お米がよく出来るように
ほんごくへ 本国到るところへ
うえちらし 植えて植えて散らし、
てにてをとりて そうして様々とよく出来たらば
ひろひとるとよ 一同打揃うて拾い集めましょう。
*「田舞の所作に関する一考察 ー春日大社の巫女舞を中心にー」参照
次にラストとなる祭儀場、若宮に向かう。
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モオモオッと 五穀豊穣 牛男 ~春日大社・御田植神事 ②
春日大社・本社前の「林檎の庭」から摂社・榎本神社へ祭儀場所を移すため、八乙女初め、御田植神事のご一行が参道を行く。
八乙女の頭飾りは春日大社の象徴である藤の花である。とても、優雅!
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八乙女の雅な田植舞 ~春日大社・御田植神事 ①
平安末期より続く、春日大社の御田植神事。
田主、神楽男、八乙女(御巫)たちが若宮でお祓いを受けた後、大宮(本社)林檎の庭において、田主が鍬を使って耕す所作を行い、牛面をつけた牛男が唐鋤(からすき)や馬鍬(まぐわ)を引いた後、神楽男の歌と楽器に合わせて八乙女の田植舞が執り行われる。
到着が遅れ、幣殿・舞殿越しの鑑賞となったが柱が丁度、額縁のようにも見え、八乙女の舞が雅な古代絵巻となって現代に甦った。
八乙女の登場である。
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菅原天満宮・おんだ祭り ② ~福の種と肥え撒き
おんだ祭りでは微笑ましいシーンがもう、ふたつある。
ひとつが、肥え撒きのシーン。
若い方には信じられないだろうが、昔の日本では田畑に肥料として、人糞を撒いていたのである。
もうひとつが、福の種(=種籾のこと)撒き。
私が出演していた平野区・杭全神社の御田植神事でも「福の種を撒こうよ」というシーンがあり、これは各地域に伝播しているようである。
田主が花咲か爺のように見えてきた。
「一滴も無駄にすまい」と肥えを集める芸が細かい。
雑草取り。田畑の管理は大変! 観客の落とし物も見落とさない。
お疲れ様。これで豊作間違いなし。
最後は福の苗を来場者に配る。
御利益ありそう!
撒かれた種籾がトッピングされていた。
菅原天満宮・おんだ祭り ① ~雨中を駆け回る牛くん
奈良市菅原町の菅原天満宮で2月25日、恒例の「おんだ祭り」が執り行われた。
「おんだ祭り」は拝殿の前に青竹を立て、しめ縄を張った一角を稲田に見立て五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄を祈願して狂言形式で行う農耕神事。
神職が祝詞を奏上し、翁のお面をつけた田主役の氏子と、牛のお面をつけた子どもが、農耕作業の一連の動きをユーモラスに演じる。
この時期、各地で執り行われる「おんだ祭り」や「御田植神事」を見るにつけ、ああ、日本人は農耕民族だなあと私の中のDNAが懐かしがる。
生憎の雨中を駆け回る牛くん。 「こりゃ、今年も豊作じゃ!」(翁談)
おひねりは牛くんのお小遣いになるという。がんばれ、牛くん。
妖しのお狐さま・源九郎稲荷神社 ~「大和な雛まつり」⑤
源義経が兄頼朝の討手を逃れて吉野山に落ちのびたとき、白狐が佐藤忠信に化けて、 静御前を送り届けたので義経は謝意から源九郎の名を贈り、それが社名の由来になったそうな・・・源九郎稲荷神社。
街中を散策する。商工会の「幸福の金魚」。
観光案内所のゆるきゃら「きんとっと」。
大和郡山のシンボル「火見櫓」。
「箱本館・紺屋」のCutie Hina ~「大和な雛まつり」④
江戸時代「紺屋町」は藍染めを職業とする人が集まった集落で紺屋川(水路)で、染めた布や糸をさらしていた。
現在、唯一残った藍染め商の町家を藍と金魚が楽しめる空間「箱本館・紺屋」として再生されている。
「町家物語館」の素朴な「吊るし雛」 ~「大和な雛まつり」③
「吊るし雛」(つるし飾り)は江戸時代から日本各地で伝承されてきたお細工物。
長女の「初節句」を手作りで祝おうと、無病息災・良縁の意味を込め作られた細工物を吊り下げたのが由来と言われている。
手作り感満載の素朴な「吊るし雛」には娘の幸せを祈る心が込められている。
金魚の町らしく、金魚の「つるし飾り」がたくさん、泳いでいた。
風情ある吹き抜けの中庭。
豪華な「御殿雛」。
「流し雛」というものもある。
館を出たら、風船の金魚雛がついてきた。
「大和な雛まつり」② ~厳かな町家物語館の大階段
町家物語館の雛飾りで最大の見どころは二階から三階へと通じる大階段のお雛様で、約120体の雛人形が所狭しと並べられている。
例年のように訪れるが、見るたびに見とれてしまう厳かさ。
関西文化芸術高校の生徒さんの作品が光る。