月 ~孤独な旅路
旧暦の8月15日を「十五夜」「中秋の名月」という。
「中秋の名月」とは"秋の真ん中に出る満月"の意味で、現在用いられている新暦では1ヵ月程度のズレが生じるため、9月7日から10月8日の間に訪れる満月の日を十五夜・中秋の名月と呼んでいる。(今年は10月1日)
「十五夜」は、中秋の名月を鑑賞する他、これから始まる収穫期を前にして、収穫を感謝する初穂祭としての意味あいがあるため、9月頃に収穫される「芋」をお供えすることから「芋の名月」とも呼ばれていた。
現在では、満月のように丸い月見団子と魔除けの力があるとされたススキを伴えるのが一般的である。
青い月に照らされた遠い遠い道
留まる事さえ許されない遠い遠い道
振り返っても誰もいない孤独な旅路
何とも、もの悲しい風景を連想してしまう。
それでも、心を打つのは人生の旅路の
真実が語られているからだろうか。
私事で恐縮ですが、昨夜、父の告別式を終えました。
すべてを滞りなく終えた今でも、まだ実感がなく、現実感がないのが本当のところですが、少しづつ、喪失感が増大していくようにも思います。
葬儀場内では自称カメラマンの父を偲んで撮りためた写真のスライドショーやミニ写真展を開催し、親族の参列者様に見ていただきました。
父も喜んでいると思います。
22年間に及ぶ透析を頑張り、最後の数ヶ月は車椅子がなくてはならぬ状態になっていました。
昨年、私も介護の資格をふたつ取りましたが、残念ながら、あまり役にたちませんでした。
しかし、この数年、ブログでも紹介した南信州しらびそ高原、白川郷、新穂高、大山、富士山、花桃の郷、白馬、蓼科、白浜などに旅行に連れていったのが、せめてもの親孝行でした。
というより、実は親孝行の真似事をさせてもらったという感じです。
戒名には通夜の日、突然、閃いた「泰然」と「風景写真」に拘っていたので、「景」という言葉を入れてもらいました。
「泰然」とゆっくり歩んだ94年の旅路でした。お疲れさん、おやじ。
参列していただいた皆さん、ご迷惑をおかけした仕事関係の皆さん、ありがとうございました。弔電もありがとうございました。