徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

戸下の七曲がり

2016-05-09 17:55:07 | 歴史
 今回の熊本地震で大きな被害を被った南阿蘇村。多くの被災地の中でも僕の思い入れの強い地域である。それは僕が社会人としてスタートを切った地域だから。トラックのディーラーに就職した僕が最初に担当したテリトリーが南阿蘇村だった。もっともその頃は、南阿蘇などという名前ではなく、長陽村、白水村、久木野村に分かれていた。今回、崩落した阿蘇大橋もまだ架かっておらず、立野から谷へ下って戸下温泉を通り、戸下の七曲がりを登って行ったものだ。まだ舗装されていない道路に、先行車がいようものならもうもうと砂埃を浴びせられた。今日のようにモダンな建物もなく、高森へ向かう街道沿いには美しい田園風景が広がっていた。その頃は、桜の季節に白水村の一心行の大桜に見物客が群がるということもなかった。中松に古いユーザーがいて頑固おやじで有名だった。担当になって挨拶に行ってもロクに会釈も返してくれなかった。何度となく訪問したが、ほとんど会話らしい会話はなかった。僕が担当地域が替わり、挨拶に行った時、このおやじがひと言「ご苦労だったな」と言った。涙が出るほど嬉しかった。来る日も来る日も通った戸下温泉も、その後、立野ダム計画で廃泉となった。南阿蘇村がテレビのニュースに出る度に、あの50年近く前のことが懐かしく思い出されてならない。

▼毎日上り下りを繰り返した戸下の七曲がり