熊本地震で発生した大規模な土砂崩れにより阿蘇大橋が崩落した。先日、国会の予算委員会を見ていたら、今後も土砂崩れの危険性は続くため、国道57号線を北寄りに迂回させる可能性も検討されているようだ。となると阿蘇大橋はどうなるのだろう。そして立野ダムの建設計画は?
今から40数年前、立野ダム建設計画のために僕らは冬の練習場を失った。熊本市内には温水プールもほとんど無かった時代、冬場の基礎体力、基礎泳力を養う場となっていたのが、当時長陽村の栃木温泉・小山旅館である。南阿蘇の白川渓谷に開かれた栃木温泉は、対岸に国の天然記念物「北向山原始林」を望む大自然に囲まれたひなびた温泉だった。源泉が発見されたのは江戸時代前期というから相当古い。その豊富な湯量により古くから湯治場として栄えた。その栃木温泉の中でも老舗の小山旅館には25mの温泉プールがあった。ここが済々黌水球部の冬場の鍛錬場となっていたのである。ここで培った基礎体力が夏場の厳しい練習に耐えるベースとなったことは間違いない。
しかし、その栃木温泉も立野ダムの底に埋没するとの話が持ち上がり、各旅館も上の方へ移動した。またこれに伴い「鮎返りの滝」へ降りる道も閉鎖され、プールも使えなくなってしまった。しかし、いまだにダムは建設されていない。もしダム計画が中止になったら、なんとしても栃木温泉を再生してほしいものだ。南阿蘇の観光振興のためにも。
今から40数年前、立野ダム建設計画のために僕らは冬の練習場を失った。熊本市内には温水プールもほとんど無かった時代、冬場の基礎体力、基礎泳力を養う場となっていたのが、当時長陽村の栃木温泉・小山旅館である。南阿蘇の白川渓谷に開かれた栃木温泉は、対岸に国の天然記念物「北向山原始林」を望む大自然に囲まれたひなびた温泉だった。源泉が発見されたのは江戸時代前期というから相当古い。その豊富な湯量により古くから湯治場として栄えた。その栃木温泉の中でも老舗の小山旅館には25mの温泉プールがあった。ここが済々黌水球部の冬場の鍛錬場となっていたのである。ここで培った基礎体力が夏場の厳しい練習に耐えるベースとなったことは間違いない。
しかし、その栃木温泉も立野ダムの底に埋没するとの話が持ち上がり、各旅館も上の方へ移動した。またこれに伴い「鮎返りの滝」へ降りる道も閉鎖され、プールも使えなくなってしまった。しかし、いまだにダムは建設されていない。もしダム計画が中止になったら、なんとしても栃木温泉を再生してほしいものだ。南阿蘇の観光振興のためにも。