
十七士の接待役だった伝右衛門は、義士たちを勇士と讃える藩主綱利公の意に従い、切腹までの50日間、義士たちを手厚くもてなし、心をかよわせ、義士からの聞き書きや書簡・詩歌を書き寄せた記録を残した。また伝右衛門は、義士たちの遺髪をもらい受け、郷里山鹿の堀内家の菩提寺・日輪寺に遺髪を葬り、義士たちの冥福を祈った。伝右衛門の死後も、彼の意を汲む人々に受け継がれ、義士たちを供養し続けてきた。戦後一時途絶えたものの、昭和41年に復活した「義士まつり」が毎年、義士たちの命日2月4日にしめやかに行われている。
今年もその「義士まつり」が間もなくやって来る。

赤穂義士十七士の遺髪塔