ゲイテキとは鯨のステーキのことである。今日、Nさんから「鯨料理を楽しむ会」のお誘いを受けた。だが、僕はわけあってご遠慮申し上げた。それは、若い頃のゲイテキの思い出がトラウマになっているからである。
僕は昭和39年に大学進学と同時に水泳部の寮に入った。この寮のきまりとして1年生には朝夕の食事当番があった。相撲部屋のチャンコ番のようなものである。乏しい部の予算の中から栄養価の高い食事を作るのは厳しいものがあった。いわんやハードな練習の毎日である部員たちの旺盛な食欲を満たすのは並大抵のことではない。特にたんぱく質の補給が大問題だった。まだ当時の日本は、今日のように普通に肉が食べられる時代ではない。そこで、限られた予算内で良質のたんぱく源をということでよく使っていたのが鯨の肉だった。調理器具といってもガスコンロしかない寮ではフライパンで焼くくらいしかできなかった。ビフテキならぬゲイテキである。部員は30名以上いたのでこれをせっせと焼くのであるが、しまいには臭いが鼻についてくる。しかも、日々のメニューにはどうしてもゲイテキの日が多くなった。大学を卒業する時、鯨肉は一生食わないぞと思ったりしたものだ。そんなトラウマが、僕を鯨料理から遠ざけるのである。
まあ、この話は話として鯨料理がお好きな方、あるいは興味をお持ちの方はぜひどうぞ・・・
アトラクションで舞踊団花童が登場します)^o^(
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