一度紹介したことのある「おがわまちの民話と伝説」のなかに、「でいたんぼう」という話がある。
話の内容は「でいだんぼうという大きな男が定峰峠にさしかかり、夕飯を食べようとして笠をぬいだところが笠山となり、箕を脱いでおいた場所が箕の山、水を含んで山に吹き付けたところ、霧がかかったのが大霧山、おなかが一杯になって二本のはしをたてたところが二本木峠、粥を煮たところが粥仁田峠、粥を煮た釜を洗って伏せたところが釜伏山」というもの。
松本清張の短編小説「巨人の磯」の冒頭に、巨人伝説にふれている箇所がある。先住巨人説、英雄巨人説、双子山巨人説、背比べ巨人説などがあることにふれ、さらに柳田国男が「山人に対する里人の畏怖感が自然観に混じりこんで構成されたものだろう。つまり超自然的なものに対する古代の呪術心理」という解釈を紹介している。
松本清張の小説を読んで、巨人伝説に興味をもって調べてみた。
巨人は「でいだらぼっち」、「だいらんぼう、「だいだらぼう」、「でいらんぼう」、「だいらぼう」、「デエダラボッチ」、「デイラボッチ」、「デイラボッチャ」、「デーラボッチャ」、「デエラボッチ」、「デーラボッチ」等様々に呼ばれているようである。
これとは別に、私の生まれ故郷の秋田では「八郎」が秋田の男鹿湾をせきとめ「八郎潟」を作ったという話が有名である。八郎は雲に届くほどの大男で、素手で木を倒すほどの力持ちであったが、あるとき、竜になってしまう。竜になった八郎は谷川を全部せき止めて大きな湖を作るが、これが十和田湖だという。
この十和田湖にやってきた修行僧が、ここを永住の地とするために、八郎と戦いになる。戦いに敗れた八郎は十和田湖をおわれ、八郎潟と呼ばれる湖を作る。ところが八郎潟は冬になると凍りついてしまうので、冬の間だけでも凍らない湖に住みたいと思い、田沢湖の主である辰子姫に頼み込み、冬の間だけは田沢湖で辰子姫と暮らし、春になると八郎潟へ帰るようになる。
この話は、斎藤隆介作 滝平 二郎 絵で福音館書店から絵本も出版されている。
小川町近くの、東秩父でもダイダラボッチ伝説が残っているという。小川町の話とほぼ同じ内容。
巨人伝説は日本、世界とわず数多く存在しているようであるが、ここでは、埼玉県内の伝説にしぼってみる。
<川越の刺橋(とげばし)>
昔、小畦川はカーブが多いうえに流れも速かったため、橋をかけようにも橋桁にする杭を打つのも大変で、やっと打ってもすぐに流されてしまった。そんなある日、ダイダラボッチがやってきて、川越市下小坂の辺りを通った際、足に刺がささった。ダイダラボッチは刺を抜き、小畦川の真ん中にさしていった。その刺は、流されることのない橋の杭となり、無事、橋が完成し、棘橋と名付けた。
<長瀞・皆野町>
昔、巨人が宝登山と武甲山をモッコに入れて担いできたが、紐が切れモッコが地上に落ちてしまった。武甲山は固い岩だったので残り、もう一方は宝登山と蓑山(美の山)になった。そして、天秤棒は、長尾根の山になったと言う。
<飯能地方>
昔、ダイジャラボッチと言う巨人が、多峯主山と日和田山をモッコに入れて天秤棒の両端につるし担いで、高麗までやってきた。ここで一休みしようと担いできた山を降ろした。その時、日和田山はそっと置いたので高いが、多峯主山はどんと降ろしたので、低くなったと言う。また、日和田山に腰掛け、高麗川で足を洗った所を新井と言う。
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