どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ばあばの手

2015年01月07日 | 創作(日本)


    ばあばの手/西澤怜子・作 山中冬児・絵/銀の鈴社/2009年初版

 ファンタジーやメルヘンもいいが、3月10日の東京大空襲の死と赤ちゃんの誕生という死と生が交差するこんな話もじっくりと聞きたいもの。語ってみたい気もしますが、30分は超えそうなので、これも手にあまるかもしれません。
 
 今、さちこはお母さんとの二人暮らし。というのはお父さんが戦地にいっているからです。

 さちこの家に、帽子や服があちこちこげて、黒くすすけた顔の男の人と、防空頭巾もリュックにも焦げ、はきものもはいていない女の人がとびこんできます。空襲で家をやかれ、かろうじて逃げだすことができた、おじいさん、おばあさんでした。

 さちこは、おばあさんの故郷、群馬に疎開して、一年生になります。
 二年生の5月、さちこは、お父さんという題で、作文をかきます。しかし同じ作文があり、先生からどちらがまねをしたかと問われ、同級生がさちこがまねたとこたえますが、さちこは何もいえません。なきながら訴えるさちこに、「生まれたばかりの赤ちゃんをみにいかないか」とおばあちゃんにさそわれます。

 産婆のおばあちゃんは、タライにお湯をいれて、赤ちゃんの体を洗い始めます。さちこもおばあちゃんにいわれて、手を湯の中にいれて、赤ちゃんの足にさわってみます。
 
 おばあちゃんと孫が中心で、お母さん、お父さんの出番は少ないのですが、お父さんが生きてかえってきたかどうかは何もふれられていない最後が、いつまでもおをひきます。

 空襲の悲惨な状況も、聞き手が想像するほうがインパクトがあるのかもしれません。


聞く話す

2015年01月06日 | いろいろ
<その1>
 「ベニスの商人」の私家版をつくって、主に覚えることを中心にしていましたが、少し離れてみると、語るにしても、聞く側からしたらあまり適切でなさそうな表現があることに気がつきました。
 漢字は見る分には視認性が高く、すんなりと入ってきますが、音で聞く場合はどうなのだろうかということも。
 「求婚者」という表現がでてきます。同音異義で「球根」もあります。この場合は少ないのですが、多数の同音意義があるときは、もっとわかりにくい感じがします。
 多分、はじめて聞くと”何”といった感じでしょうか。

 これは例ですが、話す場合には音にも注意する必要があり、読むばあいとの違いを踏まえる必要がありそうです。

<その2>
 夏や春の高校野球。野球だけがなぜこれだけ中継されるのか疑問に思いながらも、つい目を奪われている。
 テレビだと、それほど考えることなく、どんな投手か、打者のカウントや、特徴が伝わってくる。
 しかし、ラジオだとかなり集中して聞いていないと、試合の進行がイメージしにくい。アナウンサーの実況中継が重要になるが、注意して聴いていると、瞬時瞬時の状況が実に巧みに実況されている。

<その3>
 「長くつをはいた猫」「ジャックと豆のつる」の冒頭に、後家という表現がでてくる。状況を説明するためにでてくるのはわかるがこれを語った時には、やや抵抗があって表現をかえてみた。
 後家、やもめ、未亡人、寡婦といった言葉は、大人はともかく、子どもにすんなりはいっていくか知りたいところ。

 お話にでてくる母親と子どもだから、シングルマザーといいかえてもいいが、これもしっくりこない。
 <世界むかし話8/三宅忠明・訳/ほるぷ出版/1979年>の「ジャックと豆の木」では、ジャックという少年がいて、母親が病気の夫とむすこをやしなっていたと訳されているが、これも他の訳からすると、いわずもがなの感じがする。

 話をするのは、テキストにそうかたちで話すことになるので、臨機応変というわけにはいかないが、聞き手にうまく届けようとするアナウンサーの隠れた技術?は、参考になりそうだ。
 話し手によって、すとんとはいってくる人と、そうでない人がいるが、この違いがまだよくわからずにいる。 

すずめのおくりもの

2015年01月05日 | 安房直子


     すずめのおくりもの/安房直子・作 菊池恭子・絵/講談社/1993年初版 1982年初出
 

 挿絵がついていますが、そうでなくてもいろいろ想像すると楽しい。

 月に一度のとうふやさんのお休みの日、すずめたちがやってきて、次々に口上をのべます。

 電線の上に並ぶすずめをよくみかけますが、横一列にならんで順番に口上をのべるあたりは、舞台を思わせます。

 すずめのおねがいというのは、すずめ小学校の入学祝いに、あぶらげをごちそうするというもの。

 おひとよしのとうふやさんは、朝早くから起こされてしまったのに、この頼みをひきうけます。

 すずめたちが差し出したのは、湯飲み茶わん一杯ほどの大豆。まず、豆腐を作る工程がていねいに展開されます。

 豆腐を作るためには、豆をしばらく水につけとかなくちゃと、とうふやさんがいいますが、せっかちで、まちきれないすずめたちが、一時間おきにやってきて、「まめはやわらかくなりましたか?」「そろそろとうふができますか」と聞くところでは、おもわず笑えます。

 できた豆腐で、あぶらげをつくることになりますが、すずめが期待に胸をふくらませながら見つめる様子にワクワク感があります。


昔話のなかの昆虫

2015年01月03日 | 昔話あれこれ

 昔話には、犬、猫、牛、豚などなどの動物がでてきますが、昆虫はというと、すぐに思いつくのはハチぐらい。

 チョウ、トンボ、コオロギ、イナゴ、バッタ、キリギリス、カマキリとでてきてもおかしくないものばかり。
 とくに、チョウは、種類によってさまざまな色彩があるのを考えるともっと登場してもよさそうなところ。

 このあいだ、「雲の上にいってしまった子ども」(雲の上にいってしまった子ども/世界むかし話9 北米 北の巨人/田中 信彦・訳/ほるぷ出版/1979年初版)のなかに、珍しくチョウがでてきました。
 もっとも、「子どもがチョウを追いかけ、ハチをみつけては蜜のありかを探し・・・」とあるだけでしたが・・・。

 イタリアの「ロバの耳はなぜ長い」(ロバの耳はなぜ長い/世界むかし話3 南欧 ネコのしっぽ/木村 規子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)でも、「生まれたばかりのチョウが、みずみずしい若草のあいだをとびかい」と、わずかばかり登場します。

 イングランドの「おやゆびトム」(おやゆびトム/世界むかし話8イギリス/三宅 忠明・訳/ほるぷ出版/1979年初版)は、トムがほほえましくなる冒険をしますが、チョウの背中によじ登り、羽の上にすわって木から木へ、花から花へと飛び回るところがでてきます。もっともチョウから落ちて、最後はクモの毒でなくなります。
 トムの服装
    ぼうしは高いカシの葉を、
    上着は、青いアザミの葉、
    シャツはクモの巣、ズボンには、
    かるいかるい鳥のはね、
    リンゴの皮のくつしたに、
    母のまつ毛のかざりたて、
    くつには白いネズミの毛、
    なめした皮のやわらかさ
 も楽しい。

 「コヨーテおやじのさいごのいたずら」(コヨーテおやじのさいごのいたずら/世界むかし話9 中南米/藤井 恵樹・訳/ほるぷ出版/1988年初版)には、セミがでてきます。
 コヨーテおやじが寝ているそばで、セミが鳴き続けるので、怒ったコヨーテがセミを食べようとする場面がでてきます。セミは古い殻からぬけだして、その古い殻の中に石をいれておくというもの。
 音というのでセミが登場したようです。


水をはこぶ少女

2015年01月02日 | 創作(日本)

     水をはこぶ少女/西澤怜子/愛蔵版県別ふるさと童話館 埼玉の童話/リブリオ出版/1997年初版

 
 いつも利用している図書館には、日本、外国の昔話のコーナーがあって、そのコーナーで大半は用がたりています。
 しかし、先日、童話のコーナーをみていたら「埼玉の童話」というのをみつけました。日本児童文学者協会創立50周年記念出版の県別ふるさと童話館の一冊です。
 地元の方が執筆した、ほとんどが描き下ろしのものです。

 埼玉に住んで間がないので、それほど愛着があるわけではないのですが、やはり身近な地名がでてくるのでうれしい話です。
 小川町がでてこないのが残念ですが、近くの東松山の丸木美術館がでてくるのが「水をはこぶ少女」です。

 小学校4年生のサッカー仲間5人が、おばけがでると6年生がいっていた丸木美術館におばけさがしにいきます。
 そしてたしかに、おばけをみてしまいます。
 おかっぱ頭の少女が、都幾川の水を両手にもって、入り口でないところから美術館に入っていくのを見てしまったのです。
 おいかけていくと少女は消えていて、火の海の原爆の図のまえに、しずくのあとをみつけます。

 絵のなかで、人々は水をもとめ、”水をちょうだい”とさけんでいますから、ゆうれいがでても不思議ではなかったのです。

 ”ぼく”が、目玉焼きつくってよというと、「たまごをのんで、アイロンかけとけば」と言うお母さん。
 「つらいけど、みたほうがいいぞ。戦争って、こんなおろかなことなんだよ」というお父さんに存在感があります。
 この子たちが家にかえったあとのことは、書かれていませんが、どんなふうに家の人に話したか余韻が残ります。

 じっくりと考えさせてくれる話ですが、ただ、原爆ですから、何かしらの前提が必要かもしれません。

 話してみたいのですが、どうも力量不足のようです。         

 じつは、この話を2015年8月13日の勉強会で話してみましました。であってから数か月、時期的なものもあって、数か月かかりましたが、夏休み、おばけ、原爆と8月にふさわしいテーマ。