どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

九つの泣きべそ人形

2017年04月11日 | 絵本(昔話・外国)


   九つの泣きべそ人形/アン・ペロウスキー・文 チャールス・ミコライカ・絵 いわた みみ・訳/ほるぷ出版/1982年

 ポーランドの昔話をアメリカの方が再話しています。

 ひどいときは朝から晩まで泣きやまない坊やに困ったお母さんは、通りがかったおばあさんに相談します。

 するとおばあさんから、古着のそでで九つの人形を作り、だれにもみつからないように通りかかる荷馬車へ投げ込むように教えられ、次の日に実行します。
 自分の坊やは泣かないようになりますが、投げ込まれた人の赤ちゃんは火のついたように泣き始めます。

 こまった九人の母親が相談していると、またそこにおばあさんが通りかかります。

 母親たちは、おばあさんにごちそうしてから、助けてくれるようお願いします。

 すると、おばあさんは、古着のそでを切って、さらに八つの人形を作り、通りかかる人に、こっそり人形を渡すようにすれば赤ん坊は泣き止むだろうとアドバイスします。

 できあがったのは81の泣きべそ人形。

 この泣きべそ人形をなげこまれた一人に最初のお母さんがいました。

 坊やがまた泣き始めたとき、クッキーをあげようとかごに手をのばすと、かごのなかには九つに泣きべそ人形がはいっていました。

 悩みのタネがもどってきたとなげいていると、おばあさんがやってきて、九つの泣きべそ人形を川へ流すようにいいます。
 そのとおりにして家にかえってみると、坊やはにこにこご機嫌でとびはねていました。
 
 ウクライナ地方に古くから伝わる手法と、ポーランドの切り絵の技法で描かれている絵は、味わい深いものになっています。
 泣きべそ人形が投げ入れられた大工さん。荷馬車に乗ってパイプをくわえ、肩からさげたバックには金づち、スケール、そして馬車の上にはペンキ、さらにうしろにはランプがつりさげられています。
 民族衣装もカラフルです。

 ここにでてくるおばあさん、どんな悩みもひきうけるという評判ですが、格好はみすぼらしく、泣きべそ人形の後始末に大忙しそうですよ。


とんだとんだ

2017年04月10日 | 絵本(自然)


   とんだ とんだ/いまもり みつひこ・きりえ・ぶん/福音館書店/2015年初版

 

 切り絵で蝶を描いているのですが、市販の色画用紙をハサミ一本で切り抜き、それを重ね合わせているとありました。

 見慣れないなと思っていたら、でてくる蝶の名前はほとんど知りませんでした。

 オナガタイマイ、ツマベニチョウ、メネラウスモルファ、クロマダラソテツシジミなどなど。

 おもわず、タテハモドキを図鑑とてらしあわせました。目玉が四つのぞいているような特徴のある蝶ですが、この絵本のほうがわかりやすいようでした。

 蝶の造形の見事なこと。鮮やかな色の秘密は何なのでしょう。蝶に魅かれる人が多いというのもうなずけます。


白い池黒い池・・イラン

2017年04月09日 | 絵本(昔話・外国)


   白い池黒い池/リタ・ジャハーン=フォルーズ・再話 ヴァリ・ミンツイ・絵 もたい しなつう・訳//光村教育図書/2015年初版

 イランの昔話の再話です。
 継母と娘、継母の実の娘の三人暮らしというのは昔話の典型的なパターン。

 継母の娘はナルゲス、義理の娘はシラーズという少女でした。
 
 父が亡くなると継母はシラーズにつらくあたり、学校にも行かせず、家の仕事を全部させられるようになります。

 ある日シラーズがまもなく訪れる冬にそなえて母の残した毛糸玉でセーターを編もうとすると、毛糸玉は風に飛ばされ、ある家の庭に落ちました。

 シラーズがその家を訪ねると、ぼさぼさ髪の汚らしいおばあさんが出できて、条件つきで毛糸玉を返してくれると言います。

 おばあさんのところから帰ったシラーズは、美しく輝くようで継母も見違えるほど。

 見違えるように輝くシラーズをみた継母は、何とか毛糸玉をおばあさんの家にころがりこむようにし、ナルゲスもおばあさんのところへいかせます。

 ところがかえってきたナルゲスは、継母もみちがえるほど貧相な姿でした。

 二人がおばあさんの家でおこなったのは、正反対のことでした。

 おばあさんがやってほしいという一つ目は、食べものの残りやかびがついた皿やカップ、積み上げられた鍋やフライパンを壊すこと、二つ目は荒れ放題の庭を根絶やしにすること、三つ目は自分の髪をばっさり切るようにというものでした。

 ナルゲスは、おばあさんのいうとおりのことをしますが、シラーズは台所をきれいにし、おいしそうなスープを作り、庭をよみがえらせ、おばあさんの髪を洗って結います。

 二人が家にかえるとき、おばあさんは毛糸玉を渡し、白い池に三度、黒い池に三度つかって帰るように言います。
 シラーズはおばあさんのいうとおりにしますが、ナルゲスは何度も池につかります。

 池の水に秘密があるように思いますが、白い池も黒い池も同じ水で、つかる人の姿をかえたりはしない。だがその水は、人の心のうちを外に出し、光をあてるのだーという結びです。

 「おばあさんは、たしかに、ぜんぶ壊してくれといったけれど、でも、わたしは壊しませんでした。おばあさんの心の声に耳をすまし、おばあさんがほんとうに望んでいるとおりにしたんです。おばあさんの、こころの頼みのとおりに・・・」というのですが、子どもには少し難しいかもしれません。

 シラーズがきれにした台所、庭がすぐに乱雑になっているというのは、お話の世界でしょうか。

 シラーズの毛糸玉は赤、ナルゲスの毛糸玉は黄色で、どんな意味があるのか気になりました。


花のき村と盗人たち

2017年04月08日 | 創作(日本)

      花のき村と盗人たち/ごんぎつね/新美南吉/岩波少年文庫/2002年初版


 新美南吉の、はじめ笑わせ、最後はほろりとする物語です。

 語られていても不思議ではないのですが、朗読、絵本はあっても、お話会のプログラムは、見当たりませんでした。

 花のき村に五人組の盗人がやってきました。頭はずっと盗みをしてきた本当?の盗人ですが、弟子達はなりたての盗人です。釜師だった釜右エ門、錠前師の海老之丞、越後から来た角兵衛、大工の息子の鉋太郎の四人です。

 頭は、弟子たちを村の下見にいかせます。
 ところが帰ってきた弟子たちは、前の職業意識まるだし。

 釜右エ門は、大釜をみつけ、えらい銭になるといい、お寺につってあった鐘からは茶釜が五十はできると報告。さらにある家の生垣に穴のあいた鍋をみつけ、この鍋二十文で直しましょうともってくる始末。

 錠前師の海老之丞は、どの倉も子どもでもねじきれそうな錠だけで、こっちの商売にゃならないと、盗人であることを忘れます。

 角兵衛は、おじいさんの竹笛の音にひかれ、三つ長い曲をきいたおれいにとんぼがえりを七へんつづけざまにやってみせます。

 鉋太郎は、家の天井につかわれている見事な杉の一枚板にみとれただけ。

 頭がなりたての盗人に説教するのがなんとも楽しいやり取りです。はじめ親方は楽だと思っていたのですが、楽な商売でないことを思い知らされます。

 頭はやがて、盗人ごっこをしていた子どもにあいます。
 ここでも頭のひとりごとが楽しい。
 「遊びごとにしても、盗人ごっこはよくない遊びだ。いまどきの子どもはろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきが思いやられる。」
 自分が盗人をしているセリフとは思えません。

 ところが、子どもの一人から声をかけられ、牛をあずかることになります。

 はじめは何の苦労もなく牛を手に入れたと笑いがこみあげてきますが、いつのまにか涙がとまらなくなります。
 頭の心境はこうでした。
 「じぶんは今いままで、人から冷つめたい眼めでばかり見みられてきた。じぶんが通とおると、人々ひとびとはそら変へんなやつが来きたといわんばかりに、窓をしめたり、すだれをおろしたり。
 声をかけると、笑わらいながら話あっていた人たちも、きゅうに仕事のことを思おもい出だしたように向むこうをむいてしまっていました。池の面にうかんでいる鯉でさえも、じぶんが岸に立たつと、がばッと体をひるがえしてしずんでいく。あるとき猿廻さるまわしの背中の猿に柿の実みをくれてやったら、一口もたべずに地べたにすててしまった。みんながじぶんを嫌っていたのです。みんながじぶんを信用してはくれなかったのです。ところが、この草鞋わらじをはいた子どもは、盗人ぬすびとであるじぶんに牛の仔をあずけてくれました。じぶんをいい人間であると思ってくれたのでした。またこの仔牛も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしています。じぶんが母牛ででもあるかのように、そばにすりよっています。子ども仔牛も、じぶんを信用しているのです。こんなことは、盗人とのじぶんには、はじめてのことでした。人ひとに信用されるのは、何なんといううれしいことか。
 頭は子どものころには美しい心になったことがありましたが、あれから長い間、わるい汚きたない心でずっといたのです。久しぶりでかしらは美しい心こころになりました。これはちょうど、垢まみれの汚ない着物を、きゅうに晴着にきせかえられたように奇妙な具合でした。」

 いつまでたっても男の子は牛を取りにきません。頭は弟子達と探しに行きますがどうしても見つかりません。
 そこで村役人に届けます。村役人は眼鏡をかけたいかにもたよりない老人。盗人がものをかえすわけがないと盗人を信用し、酒をご馳走してくれます。ゆかいに笑ったり話したりしているうち、いつのまにか頭の目からは涙がこぼれます。

 頭は、いままでしてきたことを白状し「これらはわしの弟子になったばかりで、まだ悪いことはしておりません。お慈悲で、どうぞこれらだけは許してやってください」と弟子をかばいます。

 牛をあずけて消えてしまった男の子の正体はなんだったのでしょう。

 「ごんぎつね」といい「てぶくろを買いに」といい、とても余韻が残る話です。


モンシロチョウはなにがすき?

2017年04月07日 | 絵本(自然)


     モンシロチョウはなにがすき?/藤井恒・文 たかはしきよし・絵/福音館書店/1994かがくのとも特製版

 
 ようやく春めいてきました。桜も今週末が見ごろです。

 チューリップも咲き始め、水仙やレンゲの黄色、花桃のあざやかな赤、ボケのなんともいえないピンク色など楽しませてくれます。

 そしてもう一つ蝶の季節。

 小さな菜園で、キャベツやブロッコリーにトンネルをしないと格好の子育ての場所。

 一度ブロッコリーにトンネルをしなかったら、茎の間に何匹も幼虫がいてびっくりでした。

 蝶は種類ごとに好きな食物があるようで、モンシロチョウは菜の花やレンゲなど黄色が好き。

 モンシロチョウは、太陽が雲の上にかくれると、体が冷たくなって動けないといいます。

 オス、メスの見分け方はごぞんじでしょうか。こんな疑問にも答えてくれる絵本です。

 大きなモンシロチョウは、特徴がわかりやすく描かれています。

 欲を言えば受粉の役目もしてくれることがあったらもっと興味が持てるかもしれません。


魔法の筆・・中国

2017年04月06日 | 絵本(昔話・外国)

          
    魔法の筆/作: ホン・シュンタオ 絵: ワン・レイミン もりずみ かずひろ・訳/ほるぷ出版/1981年初版


 絵を描くことがたいへん好きだったマーリャンは家が貧しくて絵筆もかえません。

 地面や川辺の砂、家の壁に絵をかいていました。

 ところがある日、白いひげをのばした仙人から、不思議な絵筆を手に入れます。

 この絵筆でにわとりをかくと、本当ににわとりが飛び出してきました。
 子どもとおじいさんが二人で鋤をひいているのをみたマーリャンが牛をかくと、牛は田んぼに入って鋤をひきはじめます。

 村の貧しい人のために絵を描いていたマーリャンでしたが、役人に金の小判をかくようにいいつけられます。
 貧乏な人しか相手にしないとマーリャンがことわると、牢に入れられてしまいますが、マーリャンは、牢に戸をかき、牢屋に閉じ込められていた人とにげだします。

このあとも悪役人との駆け引きが続きます。

 子どものころ読んで大好きだったという方もいらっしゃるのですが、出版から35年経過していますから、うなずけます。

 マーリャンは、自分のためにではなく、貧しい人のために絵をかきつづけるのですが、その後絵筆はどうなったのでしょう。


じいじのさくら山

2017年04月04日 | 絵本(日本)


    じいじのさくら山/作・絵: 松成 真理子・作絵/白泉社/2005年初版

 今年の桜は開花宣言されてからもなかなか満開にならなかったようです。
 天気予報では明日から気温があがって、一斉に満開になるとか。
 いつもは桜が散った後の入学式ですが、今年は満開のしたで、写真もとれそうです。

 さくら山の桜は、じいじがうれしいことがあるたびにこっそりと植えたものでした。

 いまはもう大きくなってそらにまでとどきそう。
 「ちびすけ さくらみにいこう」とじいじ。おれはいつも「うん」という。
 山の道をゆっくり歩き、「じいじはすごいな」というと、じいじは「なんも なんも」

 くさやはなやむしのことなんでもしっていたじいじが、ぽたぽた雪が降った日に病気になってしまいます。けれどもじいじは「しんぱい ごむよう なんもなんも」と。

 ちびすけは雪の中の桜の木に「じいじを げんきに してください」とたのみます。雪がとけはじめると、また「じいじのびょうきを なおしてください」と、なんどもなんどもたのみます。

 やがて桜咲くころ、ふとんからでたじいじとちびすけは、桜をみにいきます。
 けれども山から帰ったじいじは、翌日にはもう、目をさましませんでした。

 おじいちゃん「なんもなんも」と、蕭々としています。

 何より圧巻なのは満開の桜の絵。「おみごと」とじいじがいうと、「おみごと」とおれもいいますが、よんでいるこちらも「おみごと」の一言です。

 おじいちゃんがなくなっても湿っぽくありません。ジーンとくる絵本でした。


幻のスパイス売り

2017年04月03日 | 創作(外国)

    幻のスパイス売り/西風のくれた鍵/アリソン・アトリー・作 石井桃子・中川李枝子・訳/岩波少年文庫/1996年初版


 生まれた村をはなれ、お城にすみこんで、台所仕事をしているベッシー。

 コック長のダンブルドア夫人は気難しい人でした。

 ある日、大がかりなケーキづくりをしていると、ナツメグがありませんでした。そこにスパイス売りのおばあさんの声が聞こえてきます。ダンブルドア夫人にいわれて、ベッシーはおおいそぎでナツメグを買いにでます。おばあさんはベッシーにナツメグの実をひとつ、ベッシーにさしだします。

 スパイス売りのおばあさんは、たくさんの国を歩き、この国には一年に一回だけやってくるのでした。

 ベッシーは木ぐちをカタコト鳴らしながら、丸石をしいた中庭を横ぎり、りっぱな衛兵のまえをとおりすぎ、大きな城門をぬけて、スパイス売りのおばあさんにおいついていました。

 ナツメグの次はシナモン、ジンジャー、キャラウエイ。おばあさんはどれもベッシーにひとつさしだしてくれます。

 ベッシーは、スパイス売りのおばあさんに「ジンジャーを一クラウン、ダンブルドア夫人にくださいませ。スパイス売りのおくさま」などといつも、この老婆が妖精の国の女王でもあるように、丁寧にあいさつしていたのでした。
 おばあさんはベッシーほどのやさしい娘にひとりも会いませんでした。そして心の秘密を読み取ることができたのでした。

 ベッシーを怒鳴りつけ、𠮟りつけていたダンブルドア夫人は、ぐずで役立たずときめて、ベッシーにおひまをだします。

 たまごを羽のようにふっくらとかきまぜ、クリームをふわりとあわだてて、粉をきれいにふるうコック見習いの娘がいなくなってから、城では、さまざなことがうまくいかなくなっていました。

 ベッシーがおひまをだされると、スパイス売りのおばあさんは、長い旅に出て、ダンブルドア夫人はスパイスを手に入れなくなって、くびになり、お城ではだれもケーキをたべられなくなってしまいます。

 ベッシーは、次の仕事の推薦状ももらえず、母親だけがまつ村にかえります。ある日、おばあさんからもらったスパイスを土にうめると、やがてつやつやした葉と世にも美しい花をつけた四本の木が庭に育ちます。

 ベッシーは、いつも大急ぎで走りながら通り抜けるのをみていた衛兵とむすばれることになるのですが・・・。

 ロマンチックにおわるのですが、何よりもケーキ作りにスパイスが欠かせないあたりに興味があります。

 スパイス売りのおばあさんも、バスケットをのこし、青い鳥ならぬ茶色の小鳥に姿をかえて星のまたたく夜空に去っていきます。
 
 料理はあまりしないので、香辛料には興味がなかったのですが、特徴を知ると一層興味がわきます。

 ナツメグ・・独特の甘い芳香があり、ハンバーグやミートローフなどの挽き肉料理や魚料理の臭みを消ために用いられることが多い。またクッキーやケーキなどの焼き菓子にも用いられる。 

 シナモン・・独特の甘みと香り、そしてかすかな辛味がありカプチーノ等の飲料やアップルパイ、シナモンロールなどの洋菓子の香り付けに使われる。南アジア、中東、北アフリカでは料理の香りづけに頻繁に用いられる。インド料理の配合香辛料ガラムマサラの主要な成分でもある。インドのチャイの香りづけにもかかせない。

 キャラウエイ・・甘い香りとほろ苦い味、ぷちぷちとした食感が特徴。パン、ケーキ、ビスケット、焼きりんご、卵料理、チーズ、キャベツ料理などに用いられるが、カレーにも時折使われる。特にキャベツとの相性がよく、ザワークラウトには欠かせないスパイスとされている。また、ドイツではリキュールの材料として用いられ、シルバー・ブリット等のカクテルに用いられる。イタリアのリキュール、カンパリのフレーバーとしても知られている。キャラウェイには人や物を引き止めたり結びつけたりする力があると信じられ、その種子を入れておいた品物は盗難にあう事はなかったと言う。また、その実は惚れ薬の材料としても用いられていた。


グラのきこり・・エチオピア

2017年04月02日 | 昔話(アフリカ)

  グラのきこり/山の上の火/クーランダー、レスロー・文 渡辺茂男・訳/岩波書店/1963年初版


 同じエチオピアの「山の上の火」「アッデイ・ニハァスの英雄」とくらべるとあまり聞いたことのないものです。

 木こりが枝にまたがって枝をきっていると(またがっているので、枝を切ったらそこから落ちてしまうのは当然ですが・・)村の坊さんが通りかかります。
 坊さんはなぜ根もとから切らないか聞くと、木こりは「たき木がほしけりゃ木イきるにきまってるでねえか」ととりあいません。坊さんは落っこちて死んでしまうと警告します。

 案の定木こりは地面に落っこちてしまいます。
 坊さんのいったとおりになったので、木こりは死んじまったにちげえねえと、起き上がろうともせずじっと横になったまま。

 木こりの友達が通りかかって、のびている木こりのからだをゆすったり、話しかけたり、頭をこすったりしますが、木こりは死んだふり。

 友達はグラの村までかついでいくことにしますが、分かれ道にくるとどちらの道をいったらいいかわからず、おのおの自分の考えを主張します。
 すると木こりがあっちの道がいいといいます。
 友達はやがて村につくと、坊さんが何事だときくので、わけを話します。

 「木こりが死んでいたのをみつけた」「枝が落っこちて木こりをころしたんです」と、友だちがいうと、死んだはずの木こりは「おらが枝の上にすわってたら、枝がおれたんでがす」といってまた目を閉じます。

 犬がやってきてきこりの顔をぺろぺろなめるので、木こりは「犬をどけろ」「死んだ者をうやまうことをしらんのけ」と大声で叫びます。

 そこへおかみさんがやってきて「すっかりしんじまってはいないかもしれないよ」といいだします。

 どことなくとぼけていて、すれ違いの滑稽さを楽しめる話です。

 訳も味があり、聞いてみたい話です。


世界のびっくりどうぶつ1,2

2017年04月01日 | 画集・写真集




     世界のびっくりどうぶつ1,2/デイズジャパン/2013年、2014年     
 

 テレビでも紹介されたという絵本。

 よくもまあこんな写真が撮れたと思う動物のあっと驚く写真ばっかり。     

 写真一枚一枚につけられたコメントも抜群。

 マナテイは水中をゆっくり動くため、背中がコケだらけになるって信じられない。しかしよくできていて、このコケを食べる魚も。「マナテイの散髪」とあります。

 ゾウの鼻をパクリとするワニ。小ゾウが逆襲して難を逃れたという。

 サソリに目元を挟まれ、悲鳴をあげるマングースもいます。
 旅客船の窓をのぞきこむホッキョクグマ。
 
 動物たちのほほえましい光景も盛りだくさんです。

 3年待ったというカメラマン。とにかく感謝の一冊です。