どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ルブナとこいし

2019年05月05日 | 絵本(外国)


   ルブナとこいし/文・ウェンディ・メデュワ 絵・ダニエル・イヌュ 訳・木坂涼/BL出版/2019年


 ルブナは、難民キャンプのテント村で、お父さんと暮らす女の子でした。

 ルブナの一番のともだちは、こいし。難民キャンプにやってきた船が浜辺に着いたとき、ひろったものでした。

 テントの中で、一本のフエルトペンをみつけ、こいしに、にっこりわらったかおをかきました。

 こいしは、おにいちゃんたちのこと、生まれた国のこと、戦争のことなど、いつも、笑顔で、はなしをきいてくれ、かなしいときは、わらいかけてくれます。

 しばらくして、テント村にやってきたアミールという少年と、かくれんぼをしたり、海にもぐったり、一緒にあそぶようになりますが、それもつかの間。
 住むところが見つかっって、ルブナとアミールとこいしに、わかれのときがやってきます。

 わかれのとき、ルブナは、こいしのはいったくつ箱とフエルトペンをアミールにわたします。
 「こいしがルブナにあいたくなったら、ぼくどうしよう」というアミールに、「そのときは、こいしのうらに もういちど えがを かいてあげて」といいのこします。

 詳しいことは何も語られていません。それだけに、どうして難民キャンプにやってきたか想像力をはたらかせるしかありません。

 大人は、世界のあちこちに難民キャップがあるのは知っていますが、どうしたら子どもにうまくつたえられるか問われそうです。 

 難民キャンプにのこされたアミールにあたらしいともだちは、できたのでしょうか。


竜の目をかく

2019年05月04日 | 昔話(アジア)

        チベットのものいう鳥/田海燕・編 君島久子・訳/岩波書店/1977年


 ある国の王のおそばつきが、奇術を用いて、精巧な玩具を作り、王さまのごきげんをとって高い位につき、王さまのお気に入りであることをかさにきて、おごりはじめます。

 人々は、かれと争うことをこのみませんでした。

 ところが一人の老画家が、かれをはじいらせようと城にでかけます。

 老画家は、王さまの人の見る目がないことや、男の無能をあざわらいまあす。
 おこった王さまは、男と老画家に技比べをさせ、老画家が負けたら首を切る、勝ったら、どんな望みでもかなえるといいます。

 男は美人を画家のもとにやり、今夜良縁を結ばれてはどうかともちかけます。ところが画家が美人の右耳をなでると、美人はたちまちくだけて、木や竹や衣服がばらばらと地上に落ちます。

 男は恥ずかしさから、画家がでられないよう部屋に鍵をかけてしまいます。

 すると、画家は絵筆で壁に巨大な竜と首つり台を描き、首つり台には自分が首をつって死んでいる姿を描きます。ただ竜の目だけは描かずに残しておきました。

 絵がまるで生きているようにみえたので、画家がこっそり首をつって死んでしまったと思った男の家に王さまと文武百官がやってきます。埋葬するためには王さまの許可が必要だったのです。

 画家を埋葬しようと死体を取り出そうとしますが、どうしてもうまくいきません。
 その時、新台のうしろから画家がとび出し、天をもふるわすような笑い声をたてます。

 王さまは、この能力ある人物を許しておけば、勢力を増して自分に対して不利になるだろうと、画家を殺害しようとしますが、画家が竜の目を描き加えると、巨大な竜は壁を突き破って天へと飛び去って行きます。

 古来から、竜は人々の想像をかきたてる存在です。


ぬけ穴の首

2019年05月03日 | いろいろ

      ぬけ穴の首/西鶴の諸国ばなし/廣末保/岩波少年文庫/2019年


 江戸時代の井原西鶴の作品を翻案したものです。

 ある日、江戸詰めの大川半右衛門のもとに、国元の豊後から手紙がとどきます。
 兄嫁からの手紙で、兄の半兵衛が、碁会でわきから口をさしはさみ、互いに口論になり、寺田弥平次に殺害され、兄のところには子どもがないので、仇討を頼みたいという。

 面目をたもつという理由だけで、一子の判八をつれて仇討のため江戸をたちます。

 まずは逐電先をさがすだす必要があります。寺田弥平次の親類が但馬にいるという情報を手掛かりに隠れ家を探しだすことに成功します。

 様子を探っていると浪人らしい男と犬がいます。浪人も大勢やとっているようでした。

 どしゃぶりの雨にうたれながら、隠れ家につくと、宿屋でつくってもらった焼き飯で、犬をてなづけ、塀の一部に人一人はいれるほどの穴をあけ、庭に忍び込みます。
 ところが半右衛門が台所の土間でつるりとすべり、そばの棚からものが落ちて大きい音がします。

 浪人がかけつけ、塀に作った穴から、はいだそうとしますが、腰のあたりまで出たあたりで4,5人の追っ手が両足にとりつきでられません。

 先に穴をでていた判八が父親をひきづりだそうとしますが、びくともしません。正体をしられないよう、首をきれという合図。判八はやむをえず父親の首を切り落とし、にげだします。

 山の奥深くわけいった判八が、父親の首を土の中に埋めようと穴を掘っていると、しゃれこうべがありました。
 夢の中なのか、しゃれこうべが口をききます。しゃれこうべは、「何代も前、弥平次の一門を、大川の先祖が、ささいなことで八人まで殺したことがあって、その報いを、いまわれわれがうけている。殺したり殺されたり、またまた仇討といって復讐するのは、なんとむなしいことだ。武士の意地をすて、出家して二人のあとを弔ってくれ」といいます。

 しかし、「仇討をやめれば、負け損、敵をみすみす目の前にして出家するのは武士の名折れ」と、判八はもういちど弥平次のところに向かいますが・・・。

 この仇討がうまくいくと、今度は、殺された側が仇討を考える連鎖がつづくことになりそうですが、おしまいは連鎖を断ち切るようなおわりかたをします。


黄金の夢・・チベット

2019年05月02日 | 昔話(アジア)

        チベットのものいう鳥/田海燕・編 君島久子・訳/岩波書店/1977年


 「王様の耳はロバの耳」は、よく聴くおはなしの一つですが、この前編にあたる「ふれると黄金になる話」というのがあり、どちらもミダス王が主人公だといいます。

 このチベットの話もおなじようで、艱難辛苦のすえ、ヒマヤラ山の黄金大仙から、手でなでさするものは、なんでも黄金にかわるという点金法術を伝授された紅衣の人(ラマ)。

 妻も娘も、各地からあつめられた珍しい花園も、金にかわってしまいます。
 おまけに食べ物も、飲み物も金に。
 召使に食べさせてもらおうとして、召使がお茶がこぼしたので、平手打ちをすると召使も金の人間になってしまいます。

 悲しみと虚しさ、ひもじさにさいなまれるようになった紅衣の人は、黄金が大きな幸せを受けられないのはおろか、平凡な一人間の最低の生活もなりたたないことを思い知らされます。

 はじめは、歌からはじまります。 
 「最高の権力は、黄金から生まれるものだ。 つきせね黄金をものにした者は、皇帝よりも大きな幸福を受けるはずだ。」

 正直でかしこくて感情豊かな若者が、商売でたくさん金をもうけ、やさしく美しい妻、鳳凰のように美しい女の子にも恵まれますが、妻と娘の前に金の山をつみあげてやったら、もっと喜ばすことができるだろうと黄金大仙のところにでかけるのが前半です。

 ギリシア神話やイソップ寓話と、どこかでつながっているようです。


人生は回転木馬

2019年05月01日 | オー・ヘンリー

     人生は回転木馬/オー・ヘンリー ショトストーリーセレクション 千葉茂樹・訳/理論社/2007年


 離婚したいと治安判事のところにやってきた山男のランシーと女房のアリエラ。

 治安判事ウイダップの前で、お互いの悪口をいいあう二人。

 治安判事は離婚証明を発行すると裁定します。ランシーは、熊の毛皮一頭分とキツネの毛皮二頭分売ってこしらえた五ドル紙幣がありがねのすべてといいます。

 治安判事は手続手数料は五ドルと言いながら、何食わぬ顔で紙幣をポケットにねじこみます。

 判事が離婚書類をわたそうとすると、アリエラが声をあげて判事の手をとめ、慰謝料がほしいといいだします。何しろ女ははだしで、ホグバック山の弟のところにいくにもいけない状況です。

 判事は、離婚証明には、五ドルの慰謝料が必要と裁定します。

 金がないため、翌日まで時間がほしいとランシー。

 判事が夕食の待つ家に向かう途中、強盗にあい五ドルを、強盗のいうように銃の先に突っ込みます。

 翌日、ランシーは五ドルを慰謝料として妻に手渡します。その紙幣は、まるで銃口につっこまれていたかのように巻き癖がついていました。

 目的は達成されたはずですが、ここで終わってはあまりにも平凡。

 ここからがオー・ヘンリーの世界で、売り言葉に買い言葉ではじまった離婚劇も、いったん成立して、別れ際にいろいろ話し合っているうち、互いに相手のことが心配になり、よりをもどします。
 長い人生には山あり谷あり。

 離婚が成立している以上、夫婦のようにふるまうことは許されないという判事に、もういちど結婚式をあげる手数料として五ドルを判事にだして、ふたりはかたく手を握り合い、牛車にのりこみ、山に向かって出発します。

 じつはこの判事、離婚手続料も慰謝料もランシーに決めさせて、自分では金額をいいだしません。「何食わぬ顔で紙幣をポケットにねじこみ」とあるので、自分のポケットに入れつもりだったのかも?

 二人が、よりをもどす心理描写が巧みです。

 この本は、図書館の児童書コーナーにありましたが、夫婦間の微妙な関係は、大人でないとわかりにくいストーリーでしょう。

 おたがいの欠点を口にしてしまえば、夫婦関係はうまくいきません。けれどもさんざん悪口をいっていまえばすっきりして、良い点もみえてくるのかも。