昨日はカーサ・クラシカで行う
昼のライブを聴きにいったので、
ウォーキングの方はお休みしました。
今回はオルフの「カトゥリ・カルミナ」の
第3幕とエピローグをとりあげる。
聴いたCDはライトナー盤である。
第3幕の最初は、第1幕と同じく
「私は憎み、そして愛する(Odi et Amor)」で始まる。
第3幕ではレズビアを愛するカトゥルスが、
彼女を忘れようと、苦悩する。
彼女と別れようとする強い決心は、
「哀れなカトゥルス、いい加減にしろ、
お前の幻はすでに消えてしまったと思え。
(Ah, Ah Miser Catulle, desinas ineptire,
et quod vides perisse, perditum ducas.)」
で始まる合唱の中で確信へと向かっていく。
「さよなら、私の恋する人よ、カトゥルスは大丈夫、
もはやお前のあとを追いかけることはない。
(Vale,puella! Iam Catullus obdurat,
nec te requiret nec rogabit invitam;)」
のところにもうレズビアのことを忘れるんだという
カトゥルスの強い決心をみることができる。
曲はクライマックスへと向かい、音楽は盛り上がる。
カトゥルスのところにかけよるレズビアを、
カトゥルスは拒否し、二人は別れる。
曲はエピローグに入り、再び打楽器とピアノが入る。
「いつまでも、いつまでも、私はお前のもの!
(Eis aiona! Eis aiona! Tui sum!)」
というプロローグと同じ音楽が再現される構成は、
「カルミナ・ブラーナ」と同じなのだが、
エピローグは簡潔に、短く終わる。
「カトゥリ・カルミナ」にみせる愛の世界は、
「カルミナ・ブラーナ」の世界とは違って、
カトゥルスという個人を通しての、
恋と絶望と失恋、そして訣別という
リアリティをもったプロセスを演じていく。
それゆえ、より現代との共通点を持つのだろう。
オルフもここでは無伴奏の合唱を通して、
その感情的な世界を描こうとしたのである。
カトゥルスの恋する人を忘れようと苦悩する姿、
そういえば、昔そんなこともあったなあと思うと、
妙に共感してしまうのである。
昼のライブを聴きにいったので、
ウォーキングの方はお休みしました。
今回はオルフの「カトゥリ・カルミナ」の
第3幕とエピローグをとりあげる。
聴いたCDはライトナー盤である。
第3幕の最初は、第1幕と同じく
「私は憎み、そして愛する(Odi et Amor)」で始まる。
第3幕ではレズビアを愛するカトゥルスが、
彼女を忘れようと、苦悩する。
彼女と別れようとする強い決心は、
「哀れなカトゥルス、いい加減にしろ、
お前の幻はすでに消えてしまったと思え。
(Ah, Ah Miser Catulle, desinas ineptire,
et quod vides perisse, perditum ducas.)」
で始まる合唱の中で確信へと向かっていく。
「さよなら、私の恋する人よ、カトゥルスは大丈夫、
もはやお前のあとを追いかけることはない。
(Vale,puella! Iam Catullus obdurat,
nec te requiret nec rogabit invitam;)」
のところにもうレズビアのことを忘れるんだという
カトゥルスの強い決心をみることができる。
曲はクライマックスへと向かい、音楽は盛り上がる。
カトゥルスのところにかけよるレズビアを、
カトゥルスは拒否し、二人は別れる。
曲はエピローグに入り、再び打楽器とピアノが入る。
「いつまでも、いつまでも、私はお前のもの!
(Eis aiona! Eis aiona! Tui sum!)」
というプロローグと同じ音楽が再現される構成は、
「カルミナ・ブラーナ」と同じなのだが、
エピローグは簡潔に、短く終わる。
「カトゥリ・カルミナ」にみせる愛の世界は、
「カルミナ・ブラーナ」の世界とは違って、
カトゥルスという個人を通しての、
恋と絶望と失恋、そして訣別という
リアリティをもったプロセスを演じていく。
それゆえ、より現代との共通点を持つのだろう。
オルフもここでは無伴奏の合唱を通して、
その感情的な世界を描こうとしたのである。
カトゥルスの恋する人を忘れようと苦悩する姿、
そういえば、昔そんなこともあったなあと思うと、
妙に共感してしまうのである。